06❊おもてなし
時間も忘れて執務をこなしていると、夕食の準備が整ったことを知らせに来たカールが、「あまり一人で考え込まないで下さい」と言う。
幼少期から勉強し過ぎると発熱を起こしていたレヴィンを気遣って、出た言葉なのだろう。実際は、勉強と言うよりは過去と現在が頭の中で入り混じるせいで、発熱を起こしてしまうのだが、そんな説明を信じる者などいない。
――もし、言ったとしても、気が狂った王子と認定されておしまいだ。
最初の回帰と言うべきか、あの時は本当に混乱した。
胸を焼くような痛み、辺りの悲鳴、薄れ達く意識、それらが全て取り除かれ、シーンと静まる誓の間、そこで待っていたのは、始まりの悪夢だ。
背中を王妃に押されて言われる、「さあ、選びなさい」その言葉と、目の前に広がる光景に心臓が止まりそうになった。
一体、何が起きているのかと、今までのことが夢で、これが現実なのか、それとも自分は間違いなく死んで、これが夢なのか、わけが分からなくなり、そのまま気を失った。今思えば当然の反応だ。
「レヴィン様は昔から、物事を複雑に考え過ぎるんですよ」
「お前は考えなさ過ぎる」
軽く言い合いながら食堂へ辿り着き、カールは今さらのように従者らしく腰を折ると扉の前に立ち、レヴィンを見送った。
先に席に着いているハリーに向けて、「お待たせしてすみません」とレヴィンが謝罪の言葉を口にすると、騎士らしい姿勢を見せたハリーは、「いえ、とんでもございません」と堅い口調で言う。
「ハリー様、セルジュとは随分久しぶりにお会いになるのでしょう? 私など気にせず自由に過ごして下さいね。」
「お気遣い頂き、ありがとうございます」
こんな時は、我ながら二重人格だと思わざるを得ないな、とレヴィンも思うが、長年、王族をやっていれば、仕方がないことだ。
品格、格式、体裁、美観、そんな物に縛られている世界を、自分は何度も何度もやり直して来たのだ。
思っていることは顔に出さず、心の中は冷え冷えとしており、口から出る言葉は思ってもいない偽りばかりだ。
――過去さえなければ、こんなに歪んだ性格にならずに済んだかもな。
歪んでいる自覚があるだけマシか、と自分の席へ向かうと、セルジュが立ち上がり、こちらに向かって来る。
椅子を引き、レヴィンが腰を落とすと同時に腰掛けやすいように押してくれた。
「わざわざ、ありがとう……」
お礼を伝えた途端、ハリーに聞こえないようにセルジュは、「申し訳ありません」と言った。
一体、何について謝られたのか分からないままレヴィンは彼を見つめた。
もう少し分かり易い顔をしてくれたらいいのに、と何度思ったか分からないが、それ以前に謝罪の理由くらいは教えてもらいたいものだ。
――どうして謝ったのかは、あとで聞くことにしよう……。
とりあえず、今は客人をもてなさなくてはいけない。
咄嗟に気持ちを切り替え、サっとハリーへ顔を向けたレヴィンは彼との会話に集中することにした。
思いの外、楽しい夕食を終え、自室に戻ると湯浴みを済ませる。身体もサッパリしたというのに、どうしても考えてしまうのは、セルジュが何について謝ったのかだった。
ひとりで悶々と考えているより、本人に聞いた方が早いと思ったレヴィンはセルジュの元へ向かうことにしたが、その途中でハリーとバッタリ会った。
今日は屋敷に泊って行くようにと客室に案内したが、何か困ったことでもあったのだろうか? と疑問に思った。なぜなら彼の格好は屋敷の中を歩くには少々厚着に思えたからだ。
「ハリー様、何か問題でも?」
「あー……、問題と言うか、少し食べ過ぎてしまったようで、軽く散歩でもしようかと思ったのです」
「なるほど、宜しければ中庭をご案内しましょうか?」
「いいのですか?」
もちろん、とレヴィンが笑みを浮かべれば、彼の視線がスっと背後に行くのを感じた。
「……うーん、やはり一人で行って来ます」
「え? 大丈夫ですか」
「ええ、一人の方が大丈夫な気がします」
おかしなことを言うハリーが、「それでは――」と言いながら自分の横を通り抜けていくと同時に、ふわっと柔らかい布が頭に降って来てレヴィンは飛び上がるほど驚いた。
「っ⁉ セルジュ?」
「まだ濡れています……」
「そ、そうか……」
セルジュの口角がピクっと上がるのを見て、笑われたように感じたレヴィンは、「どうした?」と聞いた。
「レヴィンは客人の前と俺の前では全然違うので……」
「わ、悪かったな、私は二重人格なんだ」
こんな憎まれ口を叩きたかったわけじゃなく、本当は食事の時どうして謝ったのかを知りたかったのに、微かに笑われたのが何故か癇に障った。
大きなセルジュの手がレヴィンの髪を拭く、それをパシっと振り払うと彼を睨んだ。
「子供じゃないんだ、自分でやる。そんなことより、どうしてさっき謝ったんだ」
「さっき……?」
ああ、これだから騎士という人間は嫌いだとレヴィンは思う。物事の切り替えが早く、数秒前のことなどすぐに忘れて先へ突き進む。
それなのに、レヴィンの方は数時間前に言われたことを、何時間経っても忘れられないなんて、自分が馬鹿なのかと思えてくるほどだ。
「食卓で、『申し訳ありません』と言っただろう……」
「ああ、それは……、ハリーのことです。俺の客を相手にするなどレヴィンには苦痛で――っ……」
レヴィンは懸命に顎をあげて、自分より頭ひとつ半背の高いセルジュの胸元を掴んだ。
「勝手に決めつけるな、私は客を苦痛だと思ったりしない。それにセルジュの客なら私は……」
いつでも歓迎すると言おうとして口を閉じた。
これでは、まるで夫に良く思われたいと行動する〝妻〟みたいだ。死から逃れたい一心で、彼に必死で媚びを売っている間抜けな人間だと、酷く冷めた感情が自分を覆い尽くした。
レヴィンはセルジュのシャツから手を離し、一呼吸置くと話を続けた。
「そんなことより……、彼は何の話があって来たんだ? 城で何かあったのでは?」
「――いえ、彼とは幼い頃からの友人です。こうして年に数回は互いの家に泊まったりする仲でした。だからレヴィンが心配するようなことは何ひとつ……」
彼の眉根が寄ったのを見て、レヴィンは微笑した。
嘘をついていることを見抜けないとでも思っているのだろうか、他の者なら気が付かないかも知れないが、ほんの僅かな動きでもレヴィンにはセルジュが嘘をついていると分かってしまう。
なぜなら、それだけ、殺されるきっかけを掴むために必死に毎日彼の動向を窺っているのだからだ。
これ以上、彼に問い質しても答えてくれることはないと察したレヴィンは――、
「分かった。けど何かあればすぐに教えてくれ、それが良い事でも悪い事でも……」
内緒にされるのは寂しいから……、と最後の本音は言えなかったが、セルジュくらいは自分に誠実で居て欲しいと願った。
――まあ、愛人の件は仕方ないから大目に見る。
彼にだって人生を楽しむ資格があるし、それに自分にとって重要なのは二度とあの婚約者を選ぶ『誓の間』に戻らないこと、レヴィンの願いはそれだけだった――。




