今日は飲まなくてもいい日
朝から気怠くて仕方がないレヴィンは、いつものように薬を手に取った。
――あ……、そうだった。
つい癖で今まで抑制剤を飲んでいたが、今日は飲まなくてもいいのか、と手に取った薬を見つめる。
元々、抑制剤を飲んでも副作用が少ないレヴィンからすれば、発情期をそのまま迎える方が苦痛だが、世継ぎの問題もあるので、今後は積極的に発情状態を作り、情交をした方がいいと思う。
――世継ぎ……。
子供は出来れば三人は欲しいと思っているが、発情期がバラバラなので医者からも受胎は難しいと言われている。
けれど、難しいだけで受胎しないわけではないので、それなりに頻度を増やせば大丈夫だろう。
お腹を擦りながら女の子は絶対に欲しいな、と幼い頃によく遊んだ女の子を思い浮かべる。実は隣国のルイーズ王国のローズ王女と交流があり、幼い頃は彼女を妹のように可愛がっていた。
天真爛漫で可愛い王女だったが、いつの日からか男装をするようになった。
――本当に……、ショックだった……。
妹のように可愛がっていた子が、急に男装をして現れたら誰だって驚くし、特にレヴィンは男兄弟だったこともあり、自分と対等に話をしてくれる女の子は貴重な存在だった。
過去を何度もやり直しているレヴィンからすれば、彼女が男装に走るきっかけを潰してやりたいと思ったが、本人曰く、「元々、こっちの方が性に合う」と言われては手も足も出ない。
「どこをどう間違えて男装に目覚めるんだ……」
「何がです?」
いつの間にか部屋に入って来ていたカールの声に、レヴィンの身体が飛びそうになる。
「び、びっくりさせるな!」
「お声がけしましたよ」
やれやれ、と肩を竦めるカールは先ほどの話に食い付いてくる。
「それで、男装がどうしたのです?」
「あー、ローズ王女のことだ。あんなに可愛かったのに、急に男装に目覚めるなんて……、もし、私が女の子を生んで、その子が男装したいと言ったらどうしようかと思って……」
まだ子供も出来てないのに、くだらないことで悩んでいますね、と言いたそうな顔をしたカールを見つめる。
その目を潰してしまいたい衝動に駆られながらレヴィンは言葉を区切り、話を変えた。
「それはいいとして……、今日は城内の在庫管理に行く。陶器職人を呼んでいるから、在庫室へ案内してくれ」
「分かりました」
元々ニクラウスがやっていた城内の仕事だったが、普段あまりにも暇なため、仕事を追加してもらったのだった。
この国はサバトルド王国とは違い、空気が乾燥しているせいで器が割れやすく、在庫の食器なども自然と割れていることが多い。
そのまま廃棄するよりは舗装に使ったり、錬金師に渡した方が良いということで、今日は引き取りにきてもらう手筈になっていた。
一人で黙々と在庫を照らし合わせていると、カールが職人を連れて来る。早速とばかりレヴィンは、「これなんだが」と割れた器が集められた木箱を見せた。
ほっこりと頬を緩ませた職人は割れた器の入った木箱を荷台に乗せると、何度も頭を下げ、また割れた器が溜まったら教えてくれと言って城を出て行った。
それを見送ったカールが、「随分とスッキリしましたね」と木箱がなくなった箇所を見つめる。
「ああ、また何か新しい物を仕入れ……、ん?」
壁に穴が開いていることに気が付いたレヴィンは、カールに穴の奥を確認するように言う。
「えぇえ? 嫌ですよ……ネズミが出てくるに決まってるじゃないですか」
「だとしたら、荒らされるだろ、退治しろ」
うげ、と口元を歪ませるカールが恐る恐る穴を覗き込む姿勢を取ると、途端に可愛らしい鳴き声が聞こえてくる。
「あ……猫がいます!」
どうやら子猫が穴の中にいるようだった。
それを聞きレヴィンも穴を覗き込むと、小さなくぼみにすっぽりと収まった子猫が、ふるふると身体を震わせていた。
カールが言うには、猫の毛が汚れてないことや、身体も痩せてないから、きっと遊んでいるうちに、親とはぐれてここへ迷い込んだのだと言う。
「子猫事情に詳しいな……」
「詳しいというわけではありませんが、まあ、そのくらい想像はつきます」
何だか得意げな顔で説明されて、わけもなくその鼻を折ってやりたいと思う。
どちらにせよ、このまま在庫室に居座られても困ると思い、子猫が安心出来る場所を作ってやることにした――。
「本当に部屋で飼われるのですか?」
「私の傍が一番安全だからな」
それはそうでしょうけど、と納得した表情を見せるものの、カールが言っていいのかどうしようかと、悩ましげに口元を揺らしていることに気が付き、「言いたいことがあるなら言え」とレヴィンは促した。
「殿下、今日から発情期の予定なのでは?」
「ど、どうしてそれを……」
どうやら、今日は早めの食事を部屋に持って来るようにセルジュから言われており、それ以降は自分達が呼ばない限り、誰も立ち寄るなと命令が下っていると教えられ、顔から火が出そうになる。
つまり、城全員に今日から自分達は寝所で子作りに励むので邪魔するなと宣言しているような物だ。
どうしてあの男は、そういうことを赤裸々に皆に言いふらすのだろうか。まったく理解出来ないなと、火照りそうになる顔と身体を必死で鎮める。
「取りあえず、猫は私が預かりますので」
「そ、そうか……」
子猫が寒くないように布を固めて、そこで寝れるように猫用の寝台を作ってやると、それを抱えて出て行く。
少し名残惜しくも感じるが、実は先ほどから微熱が身体を駆け巡っており、じわじわと確実に自分の脳が別の人間に支配されようとしているのを感じる。
大丈夫だ理性を手放すほどでもない、けれど、ずっと抑制してきた発情期を迎えるので多少の不安はあった――。
あれから、どのくらい経過しただろうかと窓の外を見れば、空が赤く染まり始めていた。
それなら仕事を終えたセルジュがもうすぐ来てくれるはずだと安堵したが、脳内から出る命令に、そろそろ耐えられなくなっていた。
〝お前を満たしてくれるアルファがもうすぐ来る、ほら誘え……〟
座っていることすら出来ず、レヴィンは長椅子に横になったまま、部屋の景色が歪んでいくのを朧気に見つめた。途切れることなく襲ってくる火照りは、自身の何もかもを熱気の渦へと巻き込んでいく。
ハァ、と吐息を漏らす度に体温が上昇して、じわりと変化していく身体、口からは更に熱い吐息が零れ落ち、めまいで部屋の景色が霞み、さらに畳みかけるように耳元でもう一人の自分が囁く。
〝可哀想に……、熱くて熱くて骨までとけてしまいそうだな、ほらアルファを探しに行け〟
――探しに……。
〝そうだ、いつもお前を抱くアルファがいるだろう? あれを捕まえにいけ〟
――うん……。
自分が誰かの命令で動くような可愛い人間ではないことはレヴィンが一番分かっていることだ。だから、これは夢なのかもしれないと思う。
ふらりと立ち上がると、部屋の扉へと向かう。半分脱ぎかけの衣服が身体からスルリと滑り落ち、その感覚に身体が震える。
――何をして……。
ハッとして自分の身体を見ると、どれだけだらしのない格好をしているのか、と残りわずかな理性が自分を叱咤する。
〝気にするな、お前は高貴なオメガなのだから、どんな姿でも大丈夫だ。ほら、知っているだろう? 皆がお前の姿を見て淫靡に崩れ落ちる姿を……〟
――う、煩い……。
交ざり合う過去の男達の姿が次々に浮かび、レヴィンは奥歯を噛みしめると、急いで衣裳部屋へ行き、セルジュの衣服を手に取った。
ああ、どうしてこんなにも安心できるのだろうか、僅かしか残っていないセルジュの香りに包まれると、今日助けた子猫と同じようにまるくなりながら、衣服を抱き抱えて床にペタと横になった――――。
「……ィン、――レヴィン!」
耳に届く声が鼓膜を刺激する。ゆらゆらと揺れている自分が不思議で、重たい瞼を押し上げると、逞しい裸体が目の前にあった。
鍛え上げられた見事な筋肉が凝縮し、「レヴィン、あなたという人は……」と苦しげな声が聞こえる。彼の余裕のなさそうな顔を見つめていると切なくなる。
「お願い……」
そう言ってレヴィンが手を伸ばすと、彼の舌が腕を伝って首筋まで迫って来た。
そのまま熱い粘液が唇へと移動し、口内に彼の舌が侵入してくる。きゅっと口の中を吸われて、もうすっかり崩れ落ちた理性がさらに粉々になっていく。
それでもセルジュの衣服だけは手放していなかったようで、困った感情と焦りが入り混じった表情で、「……こんな物より、俺の方を欲しがってください」と切実に言われて、それを手離した。
強く抱きしめられて彼の腕を掴むと、浮き出た血管が信じられないほど脈打っているのが分かった。
自分の全てを包み込むセルジュに身を任せたレヴィンは、その日から三日間もの間、寝台から出る事はなかった――――。




