48❊氷狼の騎士
教皇はレヴィンの目の前までくると、地面に座り込んだ。
こちらの膝の上に顎を乗せ、「もうすぐ、あなたの大切な人がくるはずです」そう言いながら見上げてくる。
「けれど、大丈夫、あなたが彼に〝一言〟言うだけでまるく収まります」
「私が……」
何を言えば、と聞こうとした時だった。
雷でも落ちたかのような爆音が耳の奥へ浸透した。バリバリとガラスが割れ、黒い影が次々と温室へと入ってくると、あっと言う間に、辺りは鎧を身に纏った兵士に囲まれた。
その中でも、特に勇猛な男が銀色の鎧に身を包み、長い剣を片手に向かってくる。あと数十歩の所で立ち止まると、こちらに向かって、「教皇!」と怒気を露にした声を発した。
「セ、セルジュ!」
一瞬だけこちらへ目をやるものの、すぐに教皇へ視線が移動した彼の顔は、今まで見たことのない怒りを滲ませていた。
「何をそんなに熱り立っているのですか、しかも建物を崩壊させて侵入してくるなど少しやり過ぎでは? 取りあえず、お話を……っ」
今まで、のらりくらりと話をしていた教皇だったが、何かを感じ取ったのか急に押し黙った。
セルジュを見て怯えているのかと思ったが、そうではないと気が付いたのは教皇が、「ロイドさま……」と小さな声で人の名を口にしたからだった。
「レヴィンを人質に取れば何とでもなると思ったか? 見くびってもらっては困る」
僅かに身体を動かした教皇に、「動くな」と冷たい声でセルジュが制する。普段の温和な彼しか知らないレヴィンは、あれは本当に自分の伴侶なのだろうか、と同じ人物なのか疑いの目で見た。
酷く冷たい目をした彼は、この世の全てを凍りつかせてしまう気さえしてくるほど、冷淡な態度で剣先をこちらへと向けている。
どうして彼が〝氷狼の騎士〟という異名が付いたのか、この時、ようやく分かった気がした。
少しでも身体を動かせば氷の牙が喉元に噛みついてきそうで、レヴィンは静かに呼吸するのが精一杯だった。
「取り押さえろ……」
セルジュが怒りを押し殺しながら周りの兵士に合図を送る。その途端、辺りにいた兵士が一斉に教皇を取り囲んだ。
おそらく、レヴィンがいなければ、もっと怒気を露にし、呼吸などする暇もなく教皇に襲い掛かっていた気がした。
取り押さえられた教皇を見て、ホッと小さな息を漏らしたセルジュが自分の元へ駆けつけてきた。
「大丈夫ですか、助けに来るのが遅くなってすみません。怪我は? 痛みは? 何をされましたか?」
彼はレヴィンを質問攻めにした。こちらが返事をする間もなく抱きしめられ、思わず視界が滲んだ。
ひくっ、と泣き声がこぼれ、自分の泣き声で本当は怖かったのだと知った。
「セルジュ……、ごめん」
「謝る必要はありません」
自分の軽率な行動が招いた結果だということくらい、レヴィンだって十分に分かっている。無事ならそれでいいと彼は言うが、そんなわけがない、兵士だってこんなに大勢動員されて、たかが自分の身を案じて来てくれたのだ。
「私はどうすればいい……?」
「何がです」
「聖皇教会は五大陸の要で、こんな大勢の兵士を連れて来のだから、教会の聖騎士団も、他の大陸の国だって黙ってない、きっと罰則がある……」
もしかすれば、歴史に名を残すような大陸戦争が始まる可能性がある。レヴィンは事の重大さを十分に分かっているつもりだった。
「それなら、大丈夫です。ニクラウスが交渉に回ってますし、あなたを略取したのは教皇なのですから、処罰を受けるなら彼です」
「交渉って……」
「彼は頼んでもいない情報をかき集めるのが趣味でして、脅しの情報なら豊富に持ってます」
気まずそうな顔でセルジュはそんなことを言った。
それに、ここにある幻覚草は、今後、取り締まる必要もありますから、と彼は面倒臭いとでも言いたげに眉根を寄せた。
今まで遠くにいた優しい土色の瞳を持った人物が、こちらへ歩み寄って来ると、「フォルマが迷惑をかけてしまったようですね」と悲しそうな表情で大きく頭を下げた。
「私は、ロイドと申します」
名を名乗った彼は一旦呼吸を整えると、以前、聖皇教会に身を置いていた者だと自己紹介を続けた。
彼の視線がセルジュへ向けられ、「少し、レヴィン殿下と話をさせて頂くことは可能でしょうか?」と確認の声を出した。
間髪容れずに、セルジュが駄目だと言って彼を睨んだが、レヴィンはそれを宥めた。
「話とは何でしょう……?」
「ええ、フォルマのことです。出来れば彼の処罰を軽減して頂きたいのです。彼がこんな風になってしまったのは、私の責任でもあります」
ロイドは目を伏せると、教皇が数々の虐待を受けて育った不幸な人なのだと訴えてくるのを聞き、幼少期の話なら教皇から直接聞いたとレヴィンは説明をした。
そうでしたか、と彼はホッとしたような潤んだ瞳を見せるが、怒りも宿っているように見えた。
「……前教皇を、彼の父親を殺したのは私です……、殺したと言うよりは呪ったと言った方が良いかもしれませんね」
彼は今の教皇を救ってやりたかったと言う。
アルファに慰み者として扱われ、誰の子かも分からない子を生み、その子供を次々に殺されて、もう彼の精神は崩壊寸前だったと言葉を詰まらせた。
聖皇教会に所属していた頃は薬師を務めていたというロイドは、彼の身体よりも心の限界を感じたという。
だからロイドは、幻覚草を使って前教皇を廃人へと変えたと説明した。毎日飲むワイン、食事時の水、湯浴み、全てにこの草を煎じたと告白する。
「最初はどれほどの効果があるのか分かりませんでしたが……、日に日に幻覚に苛まれる前教皇を見て、次第に恐ろしくなりました」
最後はどれだけの悪夢を見たのか、全身を掻きむしった傷から溢れる大量の血のせいで亡くなっていたらしい。
この幻覚草を今の教皇に手渡したあと、彼は聖皇教会から離れ、隣国で孤児院を建てひっそり暮らすことを選んだと言う。
「では、あなたはアルファではないのですね……」
「ああ、ご存じだったのですが、この草はアルファにだけ猛毒だということを……」
ロイドは、ちらりと兵士たちへ視線を向ける。
隣で話を聞いていたセルジュが、我が国のアルファ兵士は毒やオメガの誘惑香にも耐えうる訓練をしていると説明した。
それを聞き、安心したような顔を見せたロイドは、フォルマの処刑だけは許して欲しいと願う。
「陛下、彼を私に任せてくれませんか? もちろん処罰は受けますが、処刑だけは……、どうか……、お願いします」
自分にも責任があるとロイドは言う。
幻覚で亡くなったとはいえ、ロイドが前教皇を殺したようなもので、その責任から逃れ、今の教皇に幻覚草を手渡したのは自分なのだと告白した。
「殺したのではないと……、悪夢を見て勝手に死んだのだと、そんな幻覚作用のある草をフォルマに説明したら、彼は言ったのです。『私がやったことにすればいい』と、だから……」
項垂れるように頭を下げたロイドは、自分のしてきたことや、今の教皇をここから連れ出せなかったことを後悔していると言った。
聖皇教会はここで幕を閉じるだろうとロイドは温室の方へ目を向ける。あんな恐ろしい薬物を野放しにした自分が悪いと、彼は薬草の存在を軽視していた自分を悔やんでいるようだった――――。




