40❊相違点
思った以上に時間がかかったこともあり、レヴィンのことが気掛かりだった。
なりふり構わず走りたいのを我慢し、大股で自室に向かう。隣の塔から本城へと続く長い渡り通路を歩き進め、自分の部屋が見えてくるとセルジュは急いで中へ入った。
「レヴィン?」
部屋に戻ったが彼の気配が感じられず、ぞわっと背中に嫌な汗が落ちそうになる。大急ぎで外へ出ようとした時、バルコニーからレヴィンが顔を出した。
「随分と遅かったな」
「……良かった。いなくなってしまったかと思いました」
彼の前へと行き、彼の細い腰に腕を回し、ぎゅっと抱きすくめる。
「兄上と何を話した?」
「色々です。教会の話や条約の話とか……」
少し不機嫌な様子を見せる彼は、「それだけか?」と聞いて来る。
何を疑っているのだろうか。レヴィンが気にするようなことは何ひとつないはずなのに、とセルジュは首を傾げる。
「何だか、今日の兄上は変だった」
「そうですか。きっと疲れているのでしょう」
レヴィンの小さな背中を擦った。
湯浴みを終えたばかりなのか、しっとりと重みのある髪に気が付き、それを手に絡めた。
兄のことを必要以上に心配する様子を見て、「パトリック王子のことが好きですか……?」とセルジュは思わず口走った。
「当たり前だろう、兄上はいつも私のことを気にかけてくれる人だし、それに信頼している」
複雑でどうしようもない思いが駆け巡った。レヴィンが信頼している兄をセルジュは隙あらば殺したいと思っている。
これが彼の身を案じているからなのか、それとも醜い嫉妬からなのか、どちらかは分からない。けれど、パトリックが原因で過去の〝あなたは殺された〟という事実を打ち明けてしまいたい衝動に駆られた。
「レヴィン……」
名を呼ばれて見上げる彼が、セルジュの顔をなぞるように視線を動かす。
どうして名を呼ばれたのか、その理由を探すような視線を遮るようにレヴィンの唇に自分の唇を重ねた。
パトリックのことは言ってはいけないことだと、懸命に頭の中から追い出そうとした。
息継ぎの合間に聴こえた「セルジュ……」と切なそうな声を聞き、あっさりとパトリックのことは脳内から消え去ったが、代わりに身体中の血管が熱く膨張し、はちきれそうになる。
拒絶されたら手を引く気持ちで唇を奪いながら、彼の衣類に手をかけた。肌に触れると、汗ばんだ皮膚がじっとりと吸い付き、否応なしに気持ちが高ぶっていく。
舌を動かせば逃げ惑う彼の舌が愛おしく、何度か舌先で突いた。
ゆっくり舌を出し入れすると、粘り気のある液体が卑猥な音と共にレヴィンの口端から零れる。
「セ、セルジュ……、今日は……」
「嫌ですか?」
「だって、兄上もいるし……」
セルジュはわざと室内をキョロキョロと見回し、「おかしいですね、俺とあなたしかいませんが」と言った。
「お前は……っ!」
小言を言い出しそうな唇をまた塞いだ。
本当なら、発情期の方が身体の負担が少ないのは十分承知していたが、待てそうになかった。
――この人はいとも簡単に俺を支配する……。
銀色の瞳は思考を鈍らせ、なめらかな髪は五感を刺激し、潤う肌は媚薬のように香る。
セルジュは熱くなる身体を押し付けながら彼を抱き上げると、そっと寝台へと寝かせた。
きっと、明日は死ぬほど怒られるのだろう。もしかしたら口を聞いてくれない可能性もある。けれど、もう自分を止める術を持っていなかった。
自制心など、とっくの昔に燃えさかるような欲望に焼かれて灰となった。それを拾い集めても汚れるだけだと、言い訳がましいことを思いながら、セルジュも寝台に身体を埋めた――――。
「昼……? 信じられない……」
「ですね」
これは何度目の枕だろうか、とセルジュの顔面に飛んで来る枕を受けてから過去を思い出してみる。
怒られるのを覚悟していたはずなのに、後悔が募るのはレヴィンが目を覚ましたのが昼過ぎだったからだ。
「兄上には何て説明したんだ!」
「熱があると……」
朝食に顔を出さなかったレヴィンを心配したパトリックに、『昨晩、急に熱が出てしまい休ませています』と報告したが、凡そ見当がついているのか、『昨晩……? おかしいな私は煽った覚えはないのだが』と冷ややかな目で見られた。
この報告をするべきなのか、しない方がいいのか、どうしようかとセルジュが悩んでいると、レヴィンは真っ赤な顔をこちらに向けて口を開いた。
「しばらくしないからな!」
この言葉も何度目だろうか、とセルジュは考える。
気怠い身体を起こし、ふわりと揺れる髪を片方で軽く束ねたレヴィンは寝台から足を下ろすと立ち上がった。
うまく力が入らなかったのか、よろめく彼を見てセルジュは咄嗟に抱き抱える。肌に触れると熱を帯びており、まだ昨夜の熱が冷めていないようで婀娜っぽい雰囲気につい飲まれそうになる。
押し倒しそうになる身体をぐっと我慢したセルジュは紳士の仮面を貼り付け、「気を付けてください」と壊れ物を扱うように床にそっと降ろした。
その後すぐ扉を叩く音が聞こえ、「失礼致します」と言ってブランカが部屋に入ってくるが、自分がいるとは思ってなかったようで慌てふためく。
「す、すみません。あの、私は後でまた――」
「いや、俺はもう行く。レヴィンの着替えを手伝ってやってくれ」
セルジュは、また後で会いましょうと言ってレヴィンの頬を撫でると部屋を出た。
政務室へ向かうとニクラウスが首を長くして待っていたようで開口一番、「昨日はパトリック王子と何の話をされたのです」と聞いてくる。
「教会の話をしたが、パトリック王子は教皇に脅されたと言っていた」
「一国の王子を脅しですか……」
セルジュは目を細め、「よほどのことを言われたんだろうな」と鼻先で笑った。
「内容によってはサバトルド王国は聖皇教会に加担する動きを見せるのでしょうか?」
「いや、我が国ベンディーク王国を支持するから安心して良いと言っていた」
過去を含めてサバトルド王国は聖皇教会には屈しなかった。
それはパトリックが国王になってもそうなのだろう。それに関してはレヴィンがオメガだからという理由もある気がした。
オメガを否定しようとする教会に賛同すれば、当然レヴィンは傷つき悲しむだろう。複雑な表情を見せるニクラウスに、「取りあえず……」とセルジュは言葉を区切る。
「教会に関しては、お前の持ってる弱みもあることだし、そんなに心配はしてないが、水面下で何をしているのかは気になるところだ」
当面、気にするのは教会だけでいいだろう。最悪の事態を想定していたが、パトリックからは教皇に屈するのだけは嫌だという意志は読み取れた。
それに、おそらく今世ではパトリック王子はセルジュを殺してまでレヴィンを手に入れたいと思っていない気がした。
そもそも、セルジュはパトリックがレヴィンに恋をする過程を知らない。今世は何か相違点があったのかもしれないし、自分の知らないところで、過去とは何か違うことが起きた可能性を考えた。
「ニクラウス、ライナーのことはどこまで情報がある?」
「ガイアス伯爵家の使用人を一人買収済ですが、品行方正とは彼のことを言うのでしょう」
使用人の情報では、次男らしい控えめな性格をしており、長男のダニエルとも仲は良いと言う。
「彼のことを悪く言う使用人はいませんが、婚約者のカトリーヌ嬢に関しては『相応しくない』との声が聞こえてくるようです」
カトリーヌは王族を省けば、あの国では最も高貴な令嬢だ。それを使用人ごときが『相応しくない』と言うほどなら、よほど傲慢なのだろう。
幼い頃の彼女を見かけた時は、可愛らしい令嬢だと思ったが、レグメント侯爵閣下が甘やかしすぎたのか、それともパトリックとの婚約破棄で性格が歪んだのか。
どちらにせよ、他人の婚約者の所作や性格まではセルジュの関与することではなかった。
「しばらくは、ライナーの方を注意深く監視してほしい」
「分かりました」
頭を下げたニクラウスは、すぐにその場から立ち去った。
それを見届けてから、中庭が見える窓辺へと移動したセルジュは、深い溜息を吐く。
二つの影が庭を散策しているのが目に留まる。仲睦まじそうな様子は普通に心温まる光景だが、片方が良からぬ感情を持っている時点で、セルジュには耐えがたい光景だ。
それを振り切るかのように、さっと窓辺から離れるとセルジュは部屋を出た。




