39❊晩酌
パトリックが滞在して三日ほど経った頃、夕食を終えたセルジュに、よければ二人で酒を飲まないかと彼に誘われた。断る理由もないため承諾したが、何を企んでいるのかとセルジュは疑う。
客室へ向かうついでに、自室へと立ち寄り、レヴィンにパトリックに誘われたことを報告した。
「兄上と酒を飲む?」
「ええ、誘われましたので少し顔を出してきます」
恨めしい顔をしたレヴィンが、「私は行っては駄目なのか……」と瞳を潤ませる。
兄弟以上の感情が彼にないのは分かる、分かっているのに、何故こうも腹立たしいのか。
「レヴィン、お願いがあります」
「なんだ?」
「私が戻るまで寝ないで待っていてくれませんか?」
たちまち顔を赤くするレヴィンに、「大丈夫です。許しなくあなたの衣服に手をかけることはしません」と誓いを立てれば、彼はコクッと小さく頷いた。
実際は、そんな約束など意味はなかったりするが――、とセルジュは軽く微笑むと部屋を出た。
王城から客室のある隣の塔へと向かう通路の途中で、セルジュは月夜を眺める。
今世でパトリックとの接点は、幼い頃に剣の指南をした一年だけだ。
その後は、レヴィンに求婚した日に再会し、軽い嫌味を言われたが、あの時のパトリックの顔は今でもよく覚えている。
手に入れられなかったレヴィンへの悔しさが入り混じった執拗な瞳と表情は、それこそ男の顔だった。
気乗りしないまま貴賓室へ向かえば、扉前にはライナーが立っており、セルジュは彼に声をかけた。
「ライナー卿、遅くまでご苦労だな、一緒にどうだろう?」
セルジュはクイッと顎を貴賓室へ向けたが、「いえ、滅相もありません」と彼は深く頭を下げた。
当然か……、と諦めて貴賓室の扉を開けようとした時、「あの、陛下」とライナーが呼び止めた。
「陛下に話をしたく……」
「ああ、聞こう」
「今は……」
「そうだったな、義兄との雑談を終わらせたあとにしようか」
セルジュはわざとらしく、チラッと貴賓室へ目を向けたあと、ライナーを見た。
真剣な表情と言うよりは、とても思い悩んだ顔をしている。パトリックの件で頭を悩ませているのか、それとも、自身の婚約者のことなのか。
どちらにせよ、この時期に彼と話が出来ることはセルジュにとっては意味のあることに思えた。
セルジュは彼に背を向けると、貴賓室の扉を叩き、「失礼します」と言って中へ踏み入れる。
「陛下にわざわざ足を運んで頂き、申し訳ない」
長椅子にゆったりと腰掛けるパトリックの姿を見て、どちらが〝王〟なのか分からないな、と胸中で苦笑を漏らしながら、「いえ、声をかけて頂き、嬉しく思います」と返事をした。
彼の真向かいに腰を下ろし、ゆったりと背凭れに身体を預け、「今日の夕食は如何でしたか」と聞いた。
「とても美味しかったよ。私の好きな物ばかりだった」
「それは良かった」
「それにしても、本音を言えば、陛下が数年の間に、これだけ大きな国を築くとは思ってもみなかった」
そう言いながら彼はワインのコルクを開けた。トクトクとワインがグラスへと注がれ、ツッと目の前に差し出される。
セルジュは躊躇うことなく、グラスを手に取り、ワインを口に含んだ。その瞬間、濃厚な苦みと深い味わいが口いっぱいに広がる。
「驚いた……」
その言葉にセルジュは眉根を寄せた。
パトリックがワインに毒でも入っていたらどうするつもりだったのかと聞いてくるが、セルジュは冷静に答えた。
「レヴィンを悲しませることを義兄がするとは思っていませんよ」
「なるほど?」
ニクラウスには教皇のことを聞いたところで無駄だと言われたが、他に聞きたいこともなければ、話すこともなかった。
だから、「少し前に聖皇教会へ出向いたと聞きましたが」と話題を振った。
「その件か、教皇は何処で嗅ぎつけたのか、私が最も恐れる話で脅しをかけてきたよ」
それがレヴィンの件だと分かり、それなら、元婚約者のせいだと教えたくなった。むやみに女の心を踏みにじり、婚約破棄などするから、弱みを他者へ漏らされたのだと口に出しそうになる。
女の恨みは恐ろしいと昔ニクラウスから聞いたが、本当だったな、とセルジュは目をきゅっと狭めた。
「私が誰を心――」
その表情と言い方でレヴィンへの思いを打ち明け〝宣戦布告〟をしてくるつもりなのかと、彼の次の言葉を待った。
「いや、忘れてくれ……」
教皇に何をどう脅されたのかは気になるが、言い淀むところを見ると、よほど屈辱的なことだったのだろう。
別にセルジュからレヴィンへの思いについて触れても構わなかったが、過去とは違い、彼はセルジュに対して何も仕掛けてきていない。
そんな相手に自分から喧嘩をけしかける気にもなれず、協定の話を進めた。
「我が国が教会の建設に前向きではないことで、聖皇教会からの抗議が絶えません」
「その件なら私も聞いた。今後も建てる気はないのか?」
「何度も会議を重ねた結果、我が国は必要ないと結論が出ました」
パトリックは目を細め、「ふぅん、教会はこの国を不純物扱いするだろうな、まあ、戦争にでもなれば、あの五月蠅い男を黙らせることが出来るし、私には好都合だ」と、好戦的な姿勢を示した。
セルジュはてっきり、パトリックは教皇側に付くのかと思っていたが、脅された件がよほど癪に障ったのだろう。教皇と一戦交える気でいるのが窺えた。
「聖皇教会が何を言ったとしても、我が国はベンディーク王国を支持するから安心して欲しい」
「心強い言葉に感謝します」
「それにしても、私の指南の師匠だった剣士が今や国王とは……、人生は分からないものだ」
くすっと笑みを浮かべたパトリックは、「今のは嫌味だ。怒って良い」とはっきり言う。
レヴィンそっくりな言い回しを聞き、こういう所は兄弟だなとセルジュは笑みをこぼした。
しかし、いつになったら結婚をするつもりなのだろうか、クレアは既に結婚適齢期を超えている。過去でも戴冠式前に婚姻の発表はなかったことを考えれば、戴冠式が終わったあとなのだろう。そこまで引き延ばす理由が、レヴィンのためなら執着も大概にしてもらいたいものだと思った。
その後、他愛もない会話を終えたセルジュは、客室から出た。
辛抱強く待っていたライナーが深く頭を下げるのを見て、「では少し歩こう」と言って中庭へ続く道へ向かった。
「それで、話とは……」
丁度、腰の辺りにある垣根に差しかかった時だった。
こちらとしても彼に殺された過去があり、その記憶が消えていない。本来なら、その喉元を斬りつけてやりたいくらいだが、湧き出る殺気を腹の奥へと仕舞い込む。
話があると言っていたが、なかなか言い出せない彼を見つめた。そういえば、彼もパトリックが王妃に近親婚の許しを訴えていたのを知っていたんだったな……、と過去を思い出し、仕方なくセルジュは口火を切った。
「もしかして、パトリック王子のレヴィンに対する慕情の件なら今さら報告は無用だ」
「ご存じでしたか……」
「我が国の部下は優秀な者が多い。周辺国の要人に関する情報なら、ほとんど入手済だ」
どうやら、セルジュがパトリック王子の気持ちを知っていることに関して、意外だとは思っていなかったようで小さく頷いた。
「その件に関しての報告なら聞く必要はない」
「はい……」
自分やレヴィンを殺した相手を目の前に、違和感しか感じなかった。
こうしてみると彼は慎重な性格に見えるし、ましてや仕えている主を裏切るようにも思えない。そんな男が銃を持ち、主の想い人であるレヴィンを殺したのだ。
あの時の彼の心境はどのようなものだったのか、まったく理解出来ないが、ひとつの可能性として、セルジュは大きく深呼吸をし、「葉巻は吸わないように」とだけ伝えた。
「ど、どうして……」
「先ほども言ったように、我が国には優秀な部下が多い」
じっと彼を見据えた。
正直、今の彼を見るまでは、戴冠式前に殺した方が良いと思っていた。その方が確実にレヴィンの脅威ではなくなるからだ。
けれど、もし、ライナーが誰かの駒なら、彼を亡き者にしたところで意味がない。彼の後釜が次から次へと現れる可能性だって否定できないのだ。
――やはり、彼の行動を止める方法を探した方がいいな。
迷いのある顔を見せるライナーが、何度も唇を動かしては、閉じるのを繰り返していた。
まだ他に言いたいことがあるのかと、セルジュは彼が喋り出すのを待ったが、一向にその気配を感じ取れなかった。しびれを切らしたセルジュは結婚について触れた。
「ところで、君はまだ結婚はしてないのだろうか」
「私の婚約者は遊学に長い間出ておりましたので、婚儀を進めるのが遅れましたが、今年婚姻の予定をしております」
随分遅い成婚だが、彼の言う通りカトリーヌが四年という年月をかけて遊学していたことはセルジュも知っている。
ニクラウスが言うには婚約破棄されて、王子の側近と結婚など普通なら耐え難いことなのだと言っていた。だからカトリーヌは抵抗を見せたのだろう。
どちらにせよ、彼からの話はもうなさそうだと判断したセルジュは、「それでは、そろそろ失礼する」と言葉を残し、その場を去った――――。




