33❊ブラハーン領土
聖皇教会を出発し、長い道のりを終え、やっとの思いで城へと戻ったセルジュは、自室でニクラウスの足音が近付いてくるのを待った。
騎士らしい無骨な足運び、その足音が扉前で止まると、今度はドンドンと荒々しく扉を叩く音が聞こえた。
「入れ」
ずかずかと入って来たニクラウスは長椅子に腰掛けると、性急に答えを求めた。
「話って何だ? 教皇以上の重要な話があるのか?」
教皇との話し合いに関しては、帰りの馬車で伝えたが、第一王子のことは伝える場所を選びたかった。
その間、モヤモヤとさせられたようで、ニクラウスは少し苛立っているようだった。
「第一王子なんだが、彼はレヴィンに慕情を抱いてる」
「……は、嘘だろ?」
この反応を見る限り、ニクラウスが持っていなかった情報だということが読み取れた。
「教皇がそのことを知っていた。身内とぼかして話をしていたが、全てを把握しているだろう」
「ってことは、聖皇教会も密偵を忍ばせているのか……」
「いや、おそらく、違う……」
セルジュは、パトリック王子の婚約破棄が、ただの婚約破棄ではないと説明した。
それと、必然と導かれるのは、カトリーヌもパトリックがレヴィンに対して兄弟愛以上の感情を持っているのを知っているという事実が浮かび上がる。
サバトルド王国の情報を漏らしていたのはカトリーヌだということに気が付いたセルジュは言葉を紡ぐ。
「カトリーヌ嬢は婚約破棄前に、何度も聖皇教会に足を運んでいるはずだ。その時、パトリック王子の慕情に関して教皇に打ち明けたのだと思う」
セルジュが自分なりの考察を口にすると、納得した様子で、「それで、教皇がレヴィン王子に参拝を求める形になったってことか」と、ニクラウスが言う。
「ああ、でなければ、教皇がレヴィンに目を付けることもなかっただろう」
いくら稀有な誘惑香を持つオメガとはいえ、何か教会に利益がなければ、わざわざ参拝を求めるのは変だ。
けれど、パトリックがレヴィンに恋愛感情があるとなれば話は別だ。レヴィンを手中に収めれば、将来的にサバトルド王国への介入は簡単になる。しかも、パトリックの気持ちを逆手に取ることも可能だ。
「どちらにせよ、レヴィンに手出しはさせないが」
「でしょうねぇ……」
誰を憐れんでいる言葉なのか、ニクラウスは少々げんなりした様子でセルジュを見つめて来る。
「そんなことより、教会で見かけたカトリーヌ嬢は、何処か思い悩んでいるように見えたが、本当に何もなかったか?」
ニクラウスが見る限り、普通だったと言う。けれど、今後のためにも威嚇はしておいても良さそうだと提案してくる。
「そこまでは必要ないと思うが」
「セルジュー、分かってないなぁ、女っていうのは本当に怖いんだぞ、五年前のことでもしっかり覚えて、あれこれ嫌味を言ってくるんだ」
それは恐ろしいなと苦笑を浮かべた。
取りあえず、傷心中のカトリーヌに対して傷を広げる真似はしたくなかったセルジュは、ニクラウスの提案を却下した。
どちらにせよ、彼女は他国への遊学を控えており、国を出て行く身だ。そっとしておいた方がいいだろう。
レヴィンが矢面に立つことがあれば別だが、自分が傍にいる限りそんな事態は起きない。教皇に関しても、今後は無理強いはしてこないはずだ。
一先ず、聖皇教会のことが片付いただけでも良かったと、セルジュは自分を納得させた――――。
それから数年の月日が流れ、久しぶりにブラハーン領土に来ていた。
レヴィンとの成婚まであと数ヶ月、様々な準備に追われる中、セルジュはブランカを王城の侍女として迎え入れる提案をしにきたのだ。
これに関しては、レヴィンの強い要望で、ブランカとトビアスをまた自身の手元に置きたいとの申し出だった。
自分も考えてなかったわけではなかったが、レヴィンに後押しされたことで、足を運ぶことになった。
「わ、私がお城に?」
「ああ、レヴィン王子の侍女として迎え入れたい」
ブランカの不安そうな目の奥には、希望や理想といった未知への気持ちも読み取れる。
過去でも、この話を持ち掛けた時、同じような反応だったが、今回は恐れもあるように見えた。
「ですが、私、お城でやっていける自信がないです……」
狼狽する彼女にセルジュは、大丈夫だと声をかけ、城務めだからといって気負う必要はないと説明した。
「君が仕える相手はレヴィン王子だから」
「けど、王族の方なら尚更、私では……」
「その点ならまったく問題ないと思うが、まあ、彼に仕えてみれば分かる」
困惑している表情は消えないが、きっと彼女は引き受けるだろうと、セルジュは静かに答えを待った。
彼女の柔らかな唇が一旦きゅっと結ばれ、それが解れたと同時に、「分かりました。私に務まるかは分かりませんが、よろしくお願いします」と、凛とした姿で返事をしてくれた。
「ああ、宜しく頼む」
きっと了承してくれるだろうと分かっていたものの、彼女の言葉でようやく安心した。
トビアスに関しては既に雇う手配が整っており、城内の管理を早速任せている。過去の通りならば、仕事をしていくうちに、またお互いに惹かれ合うのだろう。
そんなことを想像して、自分が雛を育てている親鳥にでもなった気分だった――。
諸々の用事を済ませたセルジュは実家へ顔を出すことにした。
過去では見る事が出来なかった歳を重ねる二人の様子を眺め、「母上、幸せですか」と尋ねた。
「急に何を言うの? 幸せに決まってるじゃないの」
くすくす笑う母の目尻に出来たシワを見て、過去で両親を失った日のことを思い出した。
とても晴れやかで良い天気だったあの日、セルジュは騎士学校から戻って来る途中だった。
ブラハーン領へと戻る馬車の窓から見える道筋をツーッと撫でるように、視線を先へ向けた時だった。
何かの衝突音が辺り一帯に響き、黒煙が上がった。そう事故だった。荷台に括り付けようとした牛が暴れ、その牛が両親の乗った馬車に体当たりした。
それだけなら良かったが、暴れる牛を止めることが出来ないまま、牛の踏みつけによって、両親は頭蓋骨を損傷し、即死だった。
領民は気に病んで自殺してしまったし、セルジュにとっては全てが悲しい事件だった。
「そんなことより、あなた本当に大丈夫なの?」
「大丈夫とは……?」
「レヴィン王子様のことよ。あなたは正義感が強くて優しいけれど、夫婦はそれだけじゃ駄目なのよ」
母の言いたいことはよく分かる。確かに夫婦とは時間を共有していればいいというものでもないし、一方的な思いはうまくいかないことが多い。
過去では幾度となく、レヴィンに執務室で一緒に過ごすよう促し、時を過ごすことで夫婦仲が改善するかと思ったが、逆効果だったこともあった。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
「ならいいけど、レヴィン王子様が繊細な方なのは見て分かるのよ。あのお人形のような整った顔を見れば分かるわ、あなたに不満があっても言い出せないはずよ」
セルジュは複雑な気持ちで母の話を聞いた。
レヴィンが他人に与える印象が人によって違うのが面白い。ニクラウスからは冷血漢王子呼ばわりされていたが、母から見れば天使のように見えるのだろう。
くすっと笑ったセルジュは、しばらく会っていないレヴィンの姿を思い起こした。
素顔のレヴィンは、常に気高く、俗悪などという言葉とは無縁の人だ。
それでいて、母が言うように繊細な部分もあり、傷つきやすい人だということも知っている。
――それと、意地っ張りだということも……。
口角を上げ、屋敷の隅々に目をやった。
レヴィンと一緒に過ごした日々が蘇って来るのが嫌で、ここに来るのを躊躇っていたが、あと数ヶ月後には、あの頃のレヴィンに会えるのだと思うと、セルジュの胸は高鳴るばかりだった――――。




