32❊呪われている
案内された部屋に入ると、甘い香りと湿度の高い空気にセルジュの思考が飲み込まれそうになる。
正面を見れば、真っ白な神官ローブに身を包んだ小柄な男性が佇んでおり、色素の薄い肌と、その肌に映える漆黒に染まった髪を左右に垂らした人物が、「ようこそ聖皇教会へ」と挨拶をする。
「お忙しい中、お時間を頂きありがとうございます。私のことはセルジュとお呼び下さい」
「私は教皇のフォルマです。長旅でお疲れではありませんか? どうぞ、そちらにおかけください」
座る許可を得たセルジュは、勧められた席へと座る。
「正直、驚いているんですよ。こんなに若い王だとは思ってもみませんでした。それに精悍ですし、あなたを射止めたのが年端もいかない王子なのだと聞いて二度驚きました」
セルジュが座った途端、教皇から世辞と嫌味を同時にもらう。
彼の視線が撫でるように自分の身体を見るが、その目を遮るように、「用件だけ伝えに来ました」と強い口調で言った。
ピクリと教皇の瞼と口端が僅かに動く、本来ならば彼の外観や、教会について世辞を言うべきなのだろう。そうなのだと思ったが、セルジュには褒める言葉はひとつも浮かんでこなかった。
少々不満な顔を見せた教皇が、「陛下は、性急な方なのですね」と皮肉っぽく言う。
「戦いにしか身を置いたことがないものですから、人と接するのが上手くありません」
「そうなのですか、それで用件とは……?」
分かっていて聞いて来る辺り、性根が悪いなと思いつつ、相手に合わせて話を進めた。
「聖皇教会より、我が伴侶になるレヴィンを成人後に定期的な参拝の申し送りがありましたが、それを不問にして頂きたい。それと我が国は教会を持ちません」
「……それは、決定事項なのでしょうか?」
訝しげな表情に変わった教皇だったが、それを無視してセルジュは淡々と言葉を述べた。
我が国は隣国との友好国として条約を結んでいることや、民も行き来する許可証をもらっているため、わざわざ自国に教会を持つ必要はないと説明をする。
不快で不満だとでも言いたげに、口元を歪めた教皇は、「その判断は間違いです」と言うが、こちらとしても、レヴィンを危険な目に遭わせるわけにはいかなかった。
この先の数年後、教会の過激派がオメガ撲滅の暴動を起こす事を知っている身としては、国に教会を置くことは得策ではない。
「間違いでも、我が国に教会は必要ありません」
きっぱりと強い口調でセルジュは、自国に教会は建てないと宣言した。
長い沈黙のあと教皇は黒い髪を片方ゆっくりと撫で上げると、笑みを浮かべて唇を動かした。
「レヴィン王子の参拝が気掛かりでそんなことを仰っているのですか?」
「ええ、なぜレヴィンなのか、お聞きしても?」
「……私は彼のことが可哀想でならないのです」
明らかに嘘だと分かる言葉にセルジュは目を細めた。
「レヴィンが可哀想?」
「ええ、彼、呪われておりますから……」
ガツンと後頭部を殴られたような気分だった。「呪われている……?」と、セルジュは教皇の言葉を繰り返した。
「ご存じないのですか、レヴィン王子は稀有な誘惑香を持っているのです。オメガの中でも最も淫らなオメガ……、それに魅入られた可哀想な身内もいるのだとか……」
そう言って教皇がくすくす笑う。
彼の『呪われている』という言い回しを聞き、自分達と同じ回帰者なのかと思ったが、そうではないことが分かり、セルジュはホッと胸を撫でおろした。
けれど、まさか教皇がパトリック王子のレヴィンへ向ける慕情を知っているとは思ってもみなかった。
――まさか……。
嫌な予感と、冷や汗が背中を伝う。自分は先ほど〝誰〟をみかけた? と自問自答していると、教皇はローブの隙間から細い脚を出し、わざとらしく足を組んだ。
「特別な誘惑香を持ち、人々を無差別に虜にしてしまう彼が不憫でならないのです。参拝を求めているのも彼を救うためです」
つらつらと心にもないことを言う教皇は、さらに言葉を続けた。
「このままでは、陛下も判断を誤る時が訪れるかもしれないと思っていた矢先……、教会の建設を断念。やはりレヴィン王子の存在は良くない影響を及ぼしているようにお見受けします」
首を傾げて、こちらに問いかける教皇の姿を見つめ、セルジュは深い息を長く吐いた。
「我が伴侶となるレヴィンは、聡明かつ慎重な人間です。加えて言うなら身勝手な言動を口にする方でもありません。私が彼のせいで判断を誤るなどありえない。閣下の発言は非常に不愉快です……」
人の話を退屈そうな顔で聞いている教皇に向かって、セルジュは続けて唇を動かした。
「ところで、教皇閣下はご自分の属性を私の前に晒しても平気なのでしょうか」
鋭い眼で教皇を見据えながらセルジュは問う。
「……ああ、良かった。私の誘惑香がまったく出てないのかと心配になっていたところです」
「お戯れはご遠慮願いたいものです」
平然とした態度で笑みを浮かべる教皇を見て、オメガが発情期でも正気でいられることがセルジュとしては不思議で仕方なかった。
「ハァ……、オメガとしては陛下の態度は屈辱ですが、強靭な精神力をお持ちだということが知れて良かったです」
「いえ、教皇も相当な精神力かとお見受けします」
発情期の熱に乱れ狂うことなく、淡々と話を進める彼を不思議に思っていると、それが伝わったのか、「私は、とうに属性の縛りがなくなってます」と教皇が感情を無くした表情を見せる。
同じように他のオメガも発情期に平常でいられるようにしてやりたいと言う彼の表情は、どこか寂しげだった。
――自分が虐待を受けて、その境地へ到達したから、他のオメガも虐待をしているのか。
そう言い出しそうになる口をきゅっと結んだ。
そもそも、誘惑香を発しているだけでも、アルファにとってご馳走をぶら下げているようなものだ。
いくら、オメガが発情期に乱れることがなくなったとしても、血気盛んなアルファからの強姦や凌辱は免れないだろう。彼の考えではオメガは救えないのではないだろうかと思う。どちらにせよ、今日はここまでにした方が無難だと判断したセルジュは、長椅子から腰を上げた。
こちらの行動を汲み取った教皇は、一度は手に取ったお茶の器を口に含むことなく置くと、大きく息を吐き出しながら目に力を入れた。
「教会の件は、またお話致しましょう。それと、レヴィン王子の件は不問とします」
意外なことに教皇がレヴィンから手を引くと言った。おそらく、聖皇教会としては国に教会がない方が困るのだろう。
まず第一に、信者を増やすのに、なんらかの薬か術者を使うため、どうしても教会という建物が必要なのだと思った。
とはいえ、まだまだ弱小国のセルジュの国に教会は必要がない、しばらくは拒むことは可能だろう。
「閣下が話の通じる方で良かったです」
「いえいえ、私は常に平和を世界に届けたいだけです」
平和? よく言えたものだなと、うっかり出そうになった言葉を喉奥で殺したセルジュは、深く一礼すると部屋を出た。
――やはり、一筋縄ではいかないか。
のらりくらりと話の核心をそらすのが上手い、こういう時こそニクラウスが傍に必要だったが、今回は仕方ないなと顎を下に向けた。
教会の外へ出ると、自分を待っているニクラウスが視界に入る。彼に近付き、
「彼女は?」と聞いた。
「従者らしき人間と帰った」
「そうか、それで何か収穫はあったか?」
両手を上げて肩をすくめるニクラウスを見れば、特に収穫はなかったことが分かった。
セルジュはどこまで彼に話すべきか迷う。それは第一王子の話で、今後に関わる重要なことだが、この男の場合すでに情報を持っている可能性がありそうだと思った――――。




