29❊たくさんの後悔
夕食を終えたセルジュは、レヴィンのために用意した客室まで送って行くことにした。
渡り廊下に差し掛かった所で、「たった数年で、こんなに国を繁栄させたのは凄いな」と言いながら彼が歩みを止めた。
この渡り廊下は裏庭と中庭を一望できる作りになっており、嫌でもその美しい景色が目に飛び込んでくる。
彼は景色に目をやり、「美しいな」と深く温かい溜息を混ぜて、その言葉を吐き出した。すかさず、「部下が設計したのです」とセルジュが答えれば、今度は渡り廊下の支え柱に目をやった。
「城だって立派なものだ」
サバトルド王国の伝統ある建物を普段から目にしている彼からの世辞を聞き、これは建設に関わった人間が聞いたら、さぞ喜ぶだろうと思った。
最近の流行りを取り入れた飾り柱は、職人が寝る間も惜しんで彫った物だと聞いている。
城の建設に携わった職人たちに、褒美の品でも考えるべきかとセルジュが考え事をしていると、こちらへ顔を向けた彼が、「今日は一緒に寝よう」と唐突に言う。
一瞬で思考が固まったが、セルジュは確認の言葉をなんとか絞り出す。
「一緒に寝るのですか?」
「別に問題はないだろう」
問題あるのかないのかで言えば、特に問題はない。だが、明日の朝、城中で噂になることは免れないだろう。
――小さな子供に無体をしたと噂になるのだけは勘弁してもらいたいのだが……。
ハァ、と小さく息を吐いたセルジュは、「俺は知りませんよ」と忠告した。
その数時間後、湯浴みを終えたレヴィンが部屋を訪ねて来た。寝台にもそもそと登る彼が横たわると、単純に二人きりで話がしたいのだと言う。
「昼間は護衛がいたり、お前の周りは常に人がいるから、この時間くらい独り占めしたい」
「あなたが望むなら、いつだって人払いは出来ます」
セルジュはレヴィンが望むことなら何でも叶えると伝えたが、この国の者に我儘は言えないと彼は言った。
元々、王族として育って来た人間からすれば、人を従わせるのが仕事のようなものだ。
けれど、この国の王であるセルジュが、子供のレヴィンの言いなりになると心証が悪くなる。だから色々と気を遣っているのだろう。
「それで、お話しとは何ですか」
「兄上のことなんだが……」
パトリック王子の話だという言葉を聞き、セルジュはぎくっとした。
「この間、兄上の婚約者だったカトリーヌ嬢が取り止めになって、妹のクレア嬢に変わったんだ……」
その件なら過去でも耳にしたことがあったが、当時たいして気にもしていなかった。どうやら、レヴィンもそうだったようで、過去では気が付かなかったが、その日を境にライナーの態度が変わった気がすると言う。
「具体的にはどう変わったのですか?」
「うーん、話し方が硬くなったというか、よそよそしくなった」
過去のライナーを思い出しても、そうだった気がすると彼は言う。
「そうですか、少し調べてみましょう」
「ああ、ライナーに殺されるなら、彼を調べた方が間違いなさそうだし……」
――いっそ、殺しましょうか?
思わず出そうになった言葉を心の奥底へ沈めた。
そもそも、ライナーを殺しても根本的な解決にはならない気がした。
彼がレヴィンを殺す引き金は戴冠式であり、それまでは問題はないと思う。それに説得さえ出来れば何も殺す必要はないのだ。
パトリック王子に関しても、今世では簡単にこちらに手出しは出来ない。過去とは違い、セルジュもそれなりの地位を築いたのだから、おいそれと刺客を潜り込ませることも出来ないだろう。
――もちろん、暗殺者が来てくれても構わないが……。
平和になり過ぎて少々刺激が足りないくらいだ……、とセルジュは挑発的な思考を隠すことなく、「分かりやすく暗殺者が来てくれたら色々と追い詰められるのですが」と言えば、レヴィンが目を見開いて睫毛を震わせる。
「結婚前に、婚約者が死亡なんて嫌だからな!」
「俺は死にません。レヴィンを置いて死ぬことは絶対にありませんから」
こちらの言葉を聞いたレヴィンは呆れた顔をしながら、「よくもまあ……」と言いかけて口を噤む。
彼が横たわる寝台へと移動し、セルジュが腰を落としながら名を呼べば、分かりやすく焦り出した彼が必死に目を泳がせる。
以前から、レヴィンの美しい瞳の中に映る自分の姿を見るのが好きだった。何故か特別な物になれた気がして、よく見つめていたが、決まって彼は自分の用事がない時は視線を逸す。
「ん、あ……、えっと、他にも話が……」
「ええ、聞きます」
一向に言葉が出てこないレヴィンを見て、どうやらなさそうだと判断したセルジュは、「大丈夫ですから」と切り出した。
「そんなに怖がらなくても、本当に何もしません」
「怖がってなど……」
「そうですか?」
「怖がってなどない、というか私が何度結婚したと思ってる。男も女も経験あるんだ、今さらお前を怖がるわけないだろう」
ああ、本当に聞きたくない話だ。
真っ黒な霧が体にまとわりつくような感覚は、自分でもよく分かっている感情だった。これ以上、妬心が大きくなる前にセルジュはレヴィンの言葉を遮った。
「そういう話はやめて下さい。あなたの過去の伴侶を俺に殺させるつもりですか」
「な、なぜだ」
「分かりませんか? それだけ愛しているということです」
ぼっと火が付いたように頬を染め、その熱が首筋にまで移動したレヴィンが、寝台の掛け布に潜り込んでいく。
どうやら、あまりこういう言葉には慣れていないようで、分が悪くなるとセルジュから隠れようとする。
布に包まったまま、「っ、以前と全然違うじゃないか」そう言ってレヴィンが抗議の声をあげる。
「以前と……、何がです?」
「前に結婚してた時、一度だってそんなこと言わなかっただろ」
そんな彼の言葉を聞き、確かに正直な話をしてしまえば、過去で夫婦だった時、初めは距離感をどうすれば良いのか分からなかった。だから愛情とは少し違った感情を抱いていたのも事実だ。
気持ちの変化があったのは、ハリーが屋敷を訪ねて来た時だった。あまりにも無防備な姿を晒すレヴィンに、腹立たしい気持ちになったことを今でもよく覚えている。
――俺のことは警戒するのに、ハリーには心を許しているように見えた。
だけど、今思えば、レヴィンには過去の記憶があったのだから、彼に対して警戒がないのも頷ける話だった。
とはいえ、その過去の記憶のせいで、自分は避けられていたが……、と少々捻くれた感情が湧く。
明確に心の変化があった時から、彼に触れることに戸惑い、口づけをすることも躊躇い、許可を得ることすら恐れていた。
なぜなら、彼から拒絶の言葉を聞きたくなかったからだ。
――今さら、こんな話を聞かされても彼は嬉しくはないだろう。
しかも、ひと回り以上も歳の離れた男が子供じみた嫉妬や独占欲を剥き出しにした発言をすれば、滑稽にみられる可能性もある。
セルジュは大きく息を吸い込み、「過去は過去です」と告げながら彼の背後にそっと寄り添った。
それに、セルジュは知らなかったのだ。彼が些細なことで照れてしまうような、こんなにも可愛い人だったことを。
「ただ、少しだけ、過去のことを言うなら、あなたとの時間をもっと持てば良かったと後悔してます」
「……うん」
「これからは、たくさん一緒に過ごしましょう」
返事の代わりなのだろう。レヴィンがこちらに向き合うように寝返りを打つと、ぎゅっと自分に抱き付いて来る。
お互いに、たくさんの後悔をしているし、やり直したいと思っていることだけは間違いなかった。
「もう寝ましょうか」
「ああ……」
素っ気なく返事をする彼は、ぷい、と背を向けた。また、いつものレヴィンに戻ってしまったが、逆にありがたいと思った。
情けないことに、こんな小さな姿の彼でも、自分には十分過ぎるほど欲望の対象になってしまう。
しっかりと自分の立場を正したセルジュは、もう一度彼を背後から抱きしめ、小さな身体を守るかのように、そのまま眠りについた――――。




