27❊一番の願い
目まぐるしい日々を過ごしながら内政に力を入れていたある日――。
中央都市の連盟機関に我が国が新しい国として登録され、ようやく国名を名乗ることが可能になった。
この時すでにレヴィンの十歳の誕生日まであと一年に迫っていた。
「なぁ、本当にベンディークって名前で良かったのか?」
ニクラウスが国の名に疑問があるようで何度も確認してくる。
セルジュの家門から名を取った方がいいと言われたが、父にも母にもブラハーンの名は自分の領土だけで十分だからと、そう言われていることを伝えた。
「ブラハーンの名を使うより、元々あった町の名前の方が民も馴染みがいいだろう」
セルジュの言った言葉に、少々腑に落ちない表情を見せるニクラウスだったが、他人の土地だった場所を整地して国にしただけなのだから、セルジュの家名が入るのはおかしいと言えば、彼も納得の声をあげた。
「しかし、これから大変だな」
ニクラウスはそう言いながらセルジュの持つ書状を覗き込む。
国として名を挙げたからには、今後は諸国からの外交がひっきりなしに行われる。それを考えると胸を撫で下ろしている場合ではないと思う。
国交問題に関してはニクラウスの部下を含め、話術に長けた人間がいるので任せても問題はないだろう。
「なあ、ところで王妃はどーするんだ? これから外交が盛んに行われることを考えると、伴侶がいない王なんて結構面倒臭いことになるぞ」
確かに彼の言う通りだった。けれど、それに関しては先手を打ってあった。
「……実は、サバトルド王国の王妃に、第二王子であるレヴィンと婚姻を結びたいと打診の手紙を出した」
「んああぁ?」
驚いた声を出すニクラウスだったが、すぐに真顔になると、「第二王子って、まだ十歳にもなってないだろ、しかも男……」そこまで口に出してから、年齢や性別ではなく、レヴィンに価値があることに気が付いたようだった。
「そういや、レヴィン王子はオメガの中でも稀有な誘惑香を持っていると聞いたな」
「そうなのか?」
いつの間に掴んだ情報なのかとセルジュは首を傾げた。
過去、王妃の側近だった自分ですら知らない情報を、いとも簡単に手に入れているニクラウスに驚く。
だが、そんなことも知らずに婚姻を申し込んだのか、と批難するかのような目でこちらを見ると、彼は、「王室のお抱え医師が診断した結果、かなり強力な誘惑香を持っているらしい」とレヴィンに関する情報を教えてくれた。
それこそ属性のない人間にも有効なのではないかという話だった。
――過去、一度だけレヴィンの誘惑香を吸い込んだことがあったが、道理で、理性が飛びかけたわけだ。
騎士は毒や麻痺などの適応訓練以外にも、オメガの誘惑香を絶つ訓練をする。
檻の中で数人のオメガに囲まれ、その誘惑香に耐えなくてはいけないため、地獄の苦しみを味わうが、その訓練のおかげで、滅多なことでは理性など飛ばない。
だから、レヴィンの香りを嗅いだ時は自分でも驚いたくらいだ。
「なーんだ、聖皇教会に立てつくにはうってつけの稀有なオメガを手にして世界でも牛耳るつもりなのかと思った。なんせ教皇閣下はオメガを目の敵にしてるからな」
小さなため息を吐いたセルジュは、教皇かと小さくつぶやき、その話を続けた。
「教会と事を荒立てるつもりは微塵もない。向こうがどうしてもというなら別だが」
くすくすとニクラウスが笑いながら、うちの王様は気が荒いなと目を眇めてくる。
けれど、政略結婚とはいえ子供を人質に取るなんて意外だと言われて、セルジュは反論した。
「だれが人質だ」
「違うのかよ」
「レヴィン王子に関しては、少し個人的な事情があるんだ」
ふーん? と口を窄めるニクラウスは、色々と聞きたいようだったが、聞いてもセルジュが答えるとは思わなかったのだろう。それ以上は口を出さなかった。
それから数日後、サバトルド王国からの使者が王妃の手紙を持って来た。
返事は見るまでもないが、万が一ということもあるため、蝋封を切り内容を確認する。王妃からの感謝の言葉が書かれてあるのを見ると、パトリック王子からの婚姻の申し出に頭を悩ませていたことが窺えた。
あとは日程の段取りを決めた後、レヴィンを迎えに行くだけとなった――。
ようやく迎えた運命とも呼べる日、サバトルド王国に足を踏み入れたセルジュは、聊か緊張していた。
レヴィンを失った日から、今まで自分でもよくやったと思う。ようやく、彼に会えるのだと思うと、一気に胸が高鳴り、愛しい気持ちが湧き上がる。
唯一の不安と言えば、レヴィンに過去の記憶があるかどうかだけだった。
けれど、彼がセルジュのことを覚えていなくても、結果としては同じだ。自分の役目はレヴィンを守ることだけであり、最終的な目的を達成するには問題はなかった。
「ようこそ、サバトルド王国へ」
城内の案内係に〝誓の間〟の扉へと誘導される。久々の王城内だが、懐かしい気持ちなどは湧かなかった。
自国から連れて来た兵士達が先に誓の間へと足を進める。全員が中へ入ったのを見届けてから、ゆっくりとセルジュも誓の間へと踏み入れた。
会場内には見知った顔が並んでおり、一部の人間からは厳しい顔を向けられているのがハッキリと分かった。
――大方、ベンディーク王国の繁栄を望んでいなかったのだろう。
それにセルジュがここまで国を発展させるとは誰も思っていなかったはずだ。
荒地とはいえ、この国よりも広大な土地を保有しているのだから上位貴族からして見れば、面白くない話なのは間違いなさそうだ。
だが、そんなことよりも……、と正面の小さな人物に目をやる。
彼を見た瞬間、間違いなく彼もセルジュと過ごした日々を忘れていないことを悟った。なぜならレヴィンの驚きに満ちた顔と、潤んだ瞳が全てを語っていたからだ――。
今日までの道のりを静かに思い返していると、不意に、目の前のレヴィンがこちらの顔を覗き込んできた。
「具合でも悪いのか?」
「いえ、すみません。少し、考え事をしてました。婚姻なのですが来年にでも可能ですが、どうされますか?」
セルジュの要望としては今すぐにこの国から連れ去りたい。けれど、彼が自分と同じ気持ちだという自信がなかった。だから、レヴィンの反応をうかがった。
「いや、十八の成人式でいい。私の身体が……」
押し黙ったまま、言い出せないでいる彼に、「身体ですか?」とセルジュは尋ねた。
「子供だから、お前には不便だろう……」
夫婦の営みに関して言っているのだと分かり、大丈夫だと答えたが、レヴィンの方が気になるようで、彼の希望通りに十八歳で結婚することにした。
「他に要望はありませんか?」
考えてみれば、彼の意見など聞く暇もなく、婚約が決まったのだから、要望があって当然だと思っていると、みるみるうちに彼の頬が赤くなる。
「輿入れは十八なんだろ? それなら……、それまで会えないのか?」
そう言って可愛らしい言葉を口にした。
この人は、いつもこちらの思考を簡単に迷子にさせる人だった。
何をどう答えるのが正解なのか、その正解を探すのにセルジュがあれこれ考えている間に、彼の表情が徐々に曇っていく。
「レヴィンさえ良ければ――」
やっとセルジュが答えを見つけ出した途端、それを遮るように、「もういい!」と彼のご機嫌が悪くなる。
これは過去でも何度もあったことだった。予想もしていない言葉をレヴィンが口にした時、セルジュはどうしても返事が遅れてしまう。ちょっとしたすれ違いだが、これが積み重なると数日間、レヴィンは口を開かない。
くすっと笑みを浮かべながら、セルジュはそっぽを向く彼の名をもう一度呼んだ。
「レヴィン、あなたさえ良ければ、私の国にいつ来て頂いても構いません。王妃は、あなたの望むことは全てお許しになるでしょうから」
なかなか、ご機嫌が戻らないレヴィンを見つめ、そろそろだろうか? と期待する。
「わかった……」
口を軽く尖らせながら、ぶっきら棒に返事を返す彼の様子が可愛らしくて、思わず笑みがこぼれた。
セルジュは、「本当なら、今すぐ連れて帰りたいのですが」と、自分の気持ちを伝えたが、それは性急な言葉だったようで、また機嫌が悪くなった。
これ以上、余計な事を言ってしまわないように、セルジュは軽く頭を下げてから立ち上がると、レヴィンは不安そうな顔を見せ、「帰るのか?」と聞いてくる。
「あまり長居するとレヴィン王子を不機嫌にさせてしまいそうですから」
「その言い方はやめろ」
どの言い方だろうか? とセルジュは自分が言った言葉を思い出す。けれど、不躾な言葉遣いをした覚えもなく、首を傾げていると、彼の唇が動いた。
「王子、なんて言うな」
どうやら、他人行儀な言い方が癇に障ったらしい。
もう言いませんと、セルジュが誓うように彼に宣言した瞬間、「うん……」と小さくレヴィンが返事をした。
それが、子供っぽくて恥ずかしかったのか、彼はハッと我に返り口元を抑えると席を立った。
「それじゃ……、また」
そう言って顔を隠すようにレヴィンは走り去って行った。
彼の後ろ姿を見つめながら、早く自分の手中に収めてしまいたいと逸る衝動を抑え、その場から離れようとした時、出入り口の近くにいたニクラウスと目が合う。
こちらの会話は聞こえてないはずだが、彼が何か言いたそうにニヤニヤしている。
どうせ揶揄いたいだけだと察したセルジュは、ニクラウスの視線を無視し、外交官との打ち合わせに向かった――。
サバトルド王国で一通りの用事を済ませた後、ニクラウスがレヴィン王子を連れて帰らなくても良かったのかと聞いてくる。
「取りあえず、今日は顔合わせと、婚約の申し込みだけでいい」
あれほどレヴィンとの結婚を熱望していたわりには、あっさりしているセルジュのことが気になるようで、「もしかして〝おじさんは嫌〟とか言われたか?」とニクラウスが、お道化たことを言う。だから、わざとらしく深い溜息を吐いた。
「う、嘘だろ。大丈夫だ、まだ若い! それに、お前は俺が今まで見てきた中で一番の男前だ!」
軽く笑みをこぼしたセルジュは、城を出る前に、もう一度振り返った。
本当は、この城に残しておきたくはないが、レヴィンの気持ちも尊重したいと思った。
考えてみれば、彼は今日過去から舞い戻ったばかりなのだ。気持ちの整理をしたいのも当然だろう。
そんなことよりも、問題はパトリック王子と側近のライナーだ。戴冠式までは大丈夫だとレヴィンには伝えたが、何処でどう転ぶかは分からない。
「ニクラウス、密偵を潜らせることは可能か?」
「んー、まあ、出来なくはないけど」
彼がチラッと城へ視線を送るのを見て、出来ればパトリック王子の側に一人忍ばせたいと伝える。
「え、レヴィン王子じゃなくて?」
「ああ、レヴィンの方は王妃がいるから大丈夫だ」
そう、パトリック王子が何かしらの強硬手段に出たら、王妃が連絡を寄こすはずだ。だから、レヴィンに関しては問題はないだろう。
もし、何か予期しないことが起きるというなら、ひとつの可能性を考えてセルジュは奥歯を強く噛んだ。
――邪魔というなら王妃だ……。陛下は近親婚に反対はしていない、反対しているのは王妃だけ、それなら王妃を殺せばいい。
どの過去も王妃が亡くなったという記憶はない。けれど、今回はレヴィンを取り巻く環境を、セルジュが大きく変えてしまっている。
――何事もなければいいが……。
彼に危険が及ばないこと、それだけがセルジュにとって一番の願いだった――――。




