20❊お祝いムード
いよいよ明日、戴冠式が行われる。
テラスから城をじっと見つめ、レヴィンは自分の呪われた運命は明日で終わるのか、そうでないのか、不安でいっぱいだった。
「どうかされましたか?」
ブランカがお茶を淹れながら、「もしかして煩いですか?」と垣根を隔てて聞こえてくる人の声に彼女が反応する。
「いや、大丈夫だ」
「それにしても、街が一気にお祝いムード一色になりましたね」
「そうだな」
微笑みながら頷いたレヴィンは、彼女が淹れてくれたお茶を味わう。
「そういえば、ブランカ達は戴冠式どうするんだ?」
「はい、我々もご一緒させて頂きます」
「あー……、いや……、悪いんだが、セルジュと二人がいいんだ」
もしかすると、危険なことがあるかもしれないと思ったレヴィンは、二人だけで行きたいと申し出た。
何かを誤解したブランカは、「わ、私ったら、気が利かなくてすみません」と顔を赤らめる。
そんな様子を見ながらレヴィンは、色々とすまなかったな……、と声にならない謝罪を口の中で泳がせた。
――私が誤解していたせいで、彼女に冷たい態度だった……。
実際は、節度ある距離感を保っていただけだが、胸の奥底にある妬心はどうしようもなく、彼女との会話を避けたこともあった。
普通に考えて、あのセルジュが不貞を行うはずがないのに、どうしてずっと疑っていたのか。本当に愚かな考えだったと今さらだが思う。
「今日はセルジュ様も早く帰ってこられるみたいですので夕食はご一緒出来そうですね」
そう言って彼女は焼菓子の皿を机に置いたが、他にも何か言いたそうにしているのが見て取れて、「どうかしたのか?」とレヴィンは訊ねた。
どうやら、数日前セルジュがまた傷を負ったようだった。森を抜けて来る途中、不注意で怪我をした本人は言っているが、どう考えても人為的な物だと彼女は言う。
「レヴィン様には言わないようにと仰ってましたので、内緒にしておいてください」
「分かった。それで傷は酷いのか?」
「いえ、浅い切り傷ばかりです」
「もしかすると、賊に襲われた可能性があるな」
どちらかといえば賊の方が気の毒に思える。
だいたい、〝あのセルジュ〟に傷を負わせることが出来る山賊がいるのだろうか? とレヴィンは妙に引っ掛かる。
この国にいる人間なら彼に挑むことがどれだけ無謀なことか知っているはず、どう考えても変だと思うが、どちらにせよ、ブランカの信用にも影響するため、この話はレヴィンの胸の中に収めることにした――。
お茶を飲み干したレヴィンは、頃合いを見て執務室へ戻る予定だったが、温かい気温のせいなのか、それともこの揺れるチェアーのせいなのか、ぼんやり庭の花を見つめていると異様な眠気に襲われ、ふと意識が途切れた。
『王子……!』
――これはいつの記憶だろう……。
何かが焦げた臭いと、近くに見える赤い炎、遠くからも聞こえる爆音、様々な方向から聞こえる叫び声を聞きながらレヴィンは天を仰いだ。
セルジュの顔が見える。それは朧気で次第に消えてなくなる陽炎のようだ。
『仕方なかったんだ……』
『何を言ってるんだ……、君は何をしたか分かっているのか……』
誰と誰の会話だろうか? と思っていると不意に身体が揺さぶられた――――。
「レヴィン⁉」
パチッとレヴィンの意識が戻った瞬間、セルジュが心配そうな顔をして、こちらの顔を覗き込んでいる。
「帰ってたのか」
「ええ、今帰って来たばかりです。うなされてましたが、大丈夫ですか?」
「……夢を……」
そう夢を見ていた。あれは時計塔で起きる惨劇で、セルジュともうひとり誰か居たが、それが本当のことなのか、自分が作り出した幻想なのかも分からない。
ふと、レヴィンの膝に彼の手が置かれているのに気づき、その手に傷を見つける。
「……どうしたんだ、その手……」
「帰る途中の森で怪我をしただけです」
「賊でも現れたのか?」
「いいえ」
相変わらず、分かり難い男の表情をレヴィンなりに考察する。こちらの質問に当惑している様子もなく冷静そのもだが、嘘をつく時だけは分かる。
決して悟られまいと、毅然とした態度で騎士の顔を貼り付けている時だ。どちらにせよ、正直に話す気はないのだろう。
何も教えてくれないセルジュの態度を見て、苛立ちが頂点に達したレヴィンは、膝に置かれていた彼の手を払いのけ、不貞腐れるように無言で自室へ向かった。
――ああ、ああ……、本当に私は可愛気のかけらもない……。
バタン! と勢いよく扉を閉め、そのまま倒れ込むように寝台へ身を沈める。
どうしてセルジュにだけ、こんな子供っぽい態度をしてしまうのだろうか? 嫌われても当然な態度を繰り返してきた自分に対して嫌悪する。
今まではブランカと愛し合っていると思っていたからレヴィンは嫌われても平気だった。
セルジュが自分に〝好意〟を抱くなどありえないことだったからだ。
ふと、この間のやり取りも彼なりの世辞だった可能性を考えて何だかムカムカしてくる。
けれど、苛つきは次第に虚しさに変わる。明日が運命の日で、もしかすると最後になるかもしれないのだ。
喧嘩などしている場合ではないことに気が付き、レヴィンは寝台から降りて、部屋から出た。
今ならセルジュは自室だろうと思い、彼の部屋の扉を勢いよく開けたが、着替えの最中だったようで上半身裸の彼を直視したレヴィンは固まった。
見事な躯体を隠しもせず、「どうしましたか?」と無表情に訊ねられて返す言葉が思いつかない。
「わ、わるい……、あとで……」
慌てて反転し、部屋から出て行こうとしたが、「レヴィン」といつもの調子で名を呼ばれて立ち止まった。
彼に背を向けたまま、「着替えているとは思わなくて」と言い訳をした瞬間、セルジュから深く長い息が吐き出されるのが聞こえた。
その溜息を聞き、もしかして自分勝手な行動をしているレヴィンのことを呆れているのかも? と悪い方向に捉えてしまい、足元がグラついた。
「構いません」
「何が……?」
「俺が何をしていようが、あなたが気にする必要はありません」
つまり、それはどうでもいいという事なのだろうか? とレヴィンは眉間に皺を作りながら、くるりとセルジュの方を向いた。
ぼんやりこちらを見つめる彼を見ていると、バクバクと動き回る心臓のせいで唇が震えそうになる。
「は、早くシャツを着ろ」
こくり、とうなずいたセルジュは手に持っているシャツを着る。
王妃の側近時代から彼を知っているし、さらに言うなら、一度目に殺されて誓の間に戻った時、彼を直視できなくていつも避けていた。
二度目も、三度目も、四度目も、ずっと、ずっと、彼の顔を見ることが出来なかった。
けれど、今は違う。彼を見るだけで、こんなにも胸も身体も熱くなる。レヴィンは目をぎゅっと瞑り、今にも破裂しそうな胸を抑え込む。
――いつからだ、こんな風に、心が震えるようになったのは……。
ふと、自分の周囲が暗くなり、はっとして見上げると、セルジュが目の前にいた。
「いつの、間にっ……っ」
レヴィンが見上げて声を出した瞬間、柔らかな吐息と共に熱い物が唇に触れる。一瞬たじろいで後ろに下がろうとしたが、セルジュの腕に阻止された。
つん、と目頭が熱くなり、自分の呼吸が乱れはじめる。
初めてくちづけをしたわけでもない、過去に何百回としてきた経験があるのに、どうしてこんなにも胸が高鳴るのだろうか。
口内でうごめくセルジュの熱い舌が、レヴィンの舌根までも味わうように深く忍び込んでくる。いつまで続くのか分からない長く甘いくちづけに、とうとう耐え切れず、レヴィンの腰が落ちかけた。
「大丈夫ですか」
「……ぅ、平気だ……」
セルジュが瞬時に抱き上げてくれたおかげで、無様な姿を晒さずにすんだ。
「すみません。許しもなく触れて」
そう言ってセルジュが濡れたレヴィンの唇を指で拭く。その行為がくちづけよりも恥ずかしく思えた。
「許しなど必要はない……」
「そうですか? ずっと俺との接触を避けていたように思いますが」
そんなことはない、と嘘でもいいから言うべきなのに、レヴィンの口は動かなかった。
「いいんです。〝誓の間〟で選ばれた時から様々な覚悟をしていましたから」
そう言われた言葉に、何故か胸が痛んだ。
セルジュがどんな思いをしてきたのか、婚姻を受け入れるしかなかった彼の立場を今まで考えもしなかったことに心苦しい気持ちになる。
「無理矢理、婚姻を迫って悪かった……」
「……決して責めているわけではありません」
お前に殺される運命から逃れるためだった……、と言葉には出来ない真実をレヴィンはぐっと堪え、「そろそろ夕食だ」と言いながら静かに部屋を出た。
廊下を歩きながら、視界がぐらぐらと揺れて来る。頬を伝う熱い液体は何のために流れているのか自分でも分からない。
けれど、ひとつだけ分かったことは、義務や使命ではなく、彼に心から愛されたいと思っていることだった――――。




