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02❊妻だった女


 その日の夕刻――。

 早く帰って来ると言っていたセルジュだったが、領地内で問題が発生したらしく、帰って来れないと従者から言伝をもらった。

 雨季になると農地の近くを流れる河川が氾濫することが度々あり、どうやら昨日の雨により川の量が増えているため補強が必要になったからだと言う。


 ――真面目だな、領地内の民にやらせておけばいいのに、わざわざ領主自ら動くのか……。


 ふと、とあることを思い出し、レヴィンは執事へ声を掛けた。


「マシュー、出かける準備を」


 こちらの呼びかけに執事のマシューは途惑いながら、「どちらへ向かわれるのですか?」と聞いて来る。


「私は夫の帰りを大人しく待ち続けるような〝貞淑な伴侶〟ではないからな」


 レヴィンの言葉で、すぐさま何処へ行くのか理解をした彼は、途惑いを見せたものの、すぐに執事らしい態度へと一瞬で切り替え、「分かりました。直ちに準備を致します」と言い、馬車の準備に取り掛かった。

 家に籠ってばかりいたら不健康だと自分に向けての言い訳を頭の中で並べながら、玄関先に用意された馬車に乗り込んだレヴィンはセルジュの元へ急いだ――。


 砂利の多い道を馬車で移動し、目的の場所が近付いて来ると遠目に人が集まっているのが視界に入る。

 それを見て、ああ、やっぱりな……、とレヴィンは大きな溜息を吐いた。

 領民に紛れて川の付近で土嚢を積み上げるセルジュを見つけ、どうして領民に対して献身的になれるのだろう? と頭を傾げた。

 決して馬鹿にしているわけではないが、王族だった自分からしてみれば、自分達の領土を領民達で改善するのは当たり前のことで、この領土を取り仕切る領主のセルジュは命令を下すだけで十分のはず、それなのに……。


 ――何故、自ら動く必要があるんだ……。


 せっせと土嚢を積み上げる様子をレヴィンは馬車の中からじっと見つめる。あんなに泥だらけなのに、セルジュが輝いて見えるのが不思議で、「理解出来ないな」と小さな独り言を呟いた。

 取りあえず、馬車に乗ったままなのも変だと思い、様子を見に来たことをセルジュに伝えようと馬車の扉を開けた時、馭者席にいた側仕えのカールが慌てて手を伸ばしてきた。


「一人で降りないで下さい。危ないですよ」

「カール、私は女ではない」

「分かっておりますが、整備もされてない砂利道を歩いたことはありませんよね?」

「……本当に、お前は……」


 腹の立つ、と言葉を続けたかったが、言わなくてもカールは察するだろう。

 子供の頃からずっとレヴィンの側仕えとして身の周りのことを世話して来た人間だ。そんな男が今さら悪態を付かれたところで胸を痛めるはずはないし、言うだけ無駄なことだ。

 仕方なくカールの差し出した手を取ろうとした時、大きな体が目に前に現れ、ふわっと体が浮いた。


「っ、セルジュ⁉」

「気を付けて下さい。ここは、あなたのような人が来る場所ではないのですから」

「……どういう意味だ?」

「言葉通りです」


 くすくす笑うカールが、ほらね? と言わんばかりの顔をして見せる。

 どうにも馬鹿にされている気分になったレヴィンは、ツンと顎を斜め上へ向け、「皆で馬鹿にして……」と拗ねた言葉を吐いた。


「ところで、どうして来たのですか? 使いの者に今日は帰れないと伝えたはず」


 言いながらセルジュがガラス細工でも置くかのように、そっと地面にレヴィンを立たせた。

 もちろん、目的があって来たことは間違いないが、それを当人に伝えるわけにはいかなかった。

 実はレヴィンと結婚しなかった前世、セルジュは領地の地味な女と結婚したことを思い出したのだ。ここにその女がいる確信もないまま衝動的に来てしまったとは言えなかった。


「し、心配になっただけだ……、一晩も帰れないほど大変だと聞いたら、心配するのが普通の〝妻〟なのだろう?」


 面を食らったかのように、ぽかんとしたセルジュの態度を見て、レヴィンは急に恥ずかしくなった。

 しばしの沈黙のあと、ふわっと彼の口元が緩み、「心配して頂き、ありがとうございます」と丁寧に頭を下げてくる。

 まるで他人行儀なセルジュの態度に苛立ち、レヴィンは余計なことを口走った。


「別に御礼なんかいらない。そんなことより何時になったら、その畏まった態度を変えるんだ?」

「……そう言われましても」

「……もういい」


 自分は本当に子供だなとセルジュと言葉を交わす度に思う。

 何度も人生をやり直して来たというのに、どの人生も二十一歳で死んでいるからだろうか。精神面が二十歳前後でずっと止まっていることを痛感する。

 こちらの様子を見ていたカールが、気まずさを掻き消すかのように、すかさず声を発した。


「セルジュ様、レヴィン様は領地に来るのは初めてのようなので、少し見学していても宜しいでしょうか?」

「ああ、それは構わないが……、そろそろ陽も暮れる。早っ――」


 言いかけて口を噤んだセルジュの視線の先を見れば、一人の女性が立っていた。

 薄い栗色の長い髪に、細身の身体で綺麗というよりは、こざっぱりとした印象の女性だ。 


 ――ああ、彼女だ。過去でセルジュの〝妻〟だった女……。


 レヴィンは過去に一度だけ見たことがあった。あれは二度目に結婚した夫、フランツと街に買い物へ出た時だ。

 それほど有名ではない衣装店ですれ違った時、セルジュから挨拶を受けた。


 ――あの時の二人は幸せそうに顔を見合わせていたな……。


 今の当人たちは知る由もないことだが、レヴィンは申し訳ない気持ちが、ふつふつと溢れて来る。

 だからと言って、貴女の未来の夫を奪って申し訳ない、と謝罪も出来ない。どうして自分だけが、こんな奇妙な世界で立ち回らなくてはいけないのか、「はぁ……」とレヴィンが溜息を溢した時、セルジュの肩が揺れた。


「どうした? 何を動揺している……」


 たかが溜息程度でセルジュが動揺を見せたことが珍しく、まじまじと彼の顔を覗き込み、何をそんなに気まずそうにしているのかと首を傾げた。

 ふと、あの女を見て口を閉じた様子を思い出し、レヴィンは多少なりとも勘付いてしまった。

 

 ――もしかして……あの女と不倫を?


 過去では夫婦になるほどの相手だ。この世界でも惹かれ合ってもおかしくない。ということは――、ああ、自分はなんて馬鹿なんだ、と額に手をあてた。

 帰って来れないという伝言をレヴィンに伝えたのは、あの女と一晩過ごすつもりだったことに気が付き、慌てて、「カール!」と呼びつけた。


「邪魔をしてはいけないから帰ろう」


 レヴィンがそう言うと、声を揃えて二人が、「え?」と驚きの声をあげた。


「私が居たら困るだろう?」


 自分の言い方が少し拗ねた様に聞えたのか、ふっと頬を緩ませたセルジュは――、


「困ることはありませんが、陽も暮れて来ますので、お身体に触ります」 

「あー……、そ、そうだな、そういうことにしておこう」


 レヴィンは慌てて馬車へ乗り込むと、「急に来て悪かった」とセルジュに伝え、屋敷へ帰ることにした。

 馬車に揺られながら、あの女に子供が出来たら、妾として屋敷に招き入れて、自分は別邸で静かに暮らすのもいいかも知れないと思う。


 ――子供……。


 結婚してそろそろ半年だがレヴィンはセルジュに一度も触れられたことがない、その理由は簡単だ。

 いくらレヴィンがオメガだからと言って、誘発香(フェロモン)を発してない男など普通は抱けないのが当たり前だ。

 だからレヴィンがセルジュに気を遣ってやれる唯一のことは抑制剤を欠かさないことだけだった。

 誘発香で誘惑してしまえば、アルファである彼は贖う術などない。だから〝抑制剤〟これだけは絶対に間違っても忘れてはいけないことだった。

 それに、レヴィンにも過去の蟠りがあった。彼に殺され続けた人生、それをどうしても拭い去れない。先ほども抱き上げられた瞬間、身体が強張ったのが気付かれないかヒヤヒヤした。

 

 ――あんなに優しい男から恨みを買った理由さえ分かれば……。


 もし今回も彼に殺されてしまうなら、その原因さえわかれば……、そこまで考えてから思う。

 それが分かったからと言って、また同じことを繰り返すのではないだろうか? 仮にセルジュには殺されなかったとしても〝死〟の瞬間、婚約者を選ぶ場面に戻るのなら……、と過る悪夢の瞬間を思い浮かべ、レヴィンはぶるっと肩を震わせた――――。


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