17❊怪我
それから月日は流れ、兄の戴冠式まであと数ヶ月と迫る中、過去とは違うことが次から次へと起きた。
兄から近くで式が見られるように配慮するという手紙が届き、関係者しか座れない式典の後方に特別な席を設けると書かれていた。
このまま兄の誘いを受ければ、死なないのかもしれないが、他の誰かが代わりに死ぬことになる気がして、落ち着かない気分になる。
――いいや、きっと何処に居ても私は死ぬ……。
そう、なぜならセルジュと一緒なのだから、時計塔でなくても夫婦でいる限り、彼はいつでもレヴィンの命を狙うことが出来る。
けれど、戴冠式場は銃も剣も持ち込むことは出来ないし、それを考えると戴冠式では殺されないのかもしれない。
そもそも、今世は何の恨みも持たれていないはず。だから本当にセルジュに殺されることになるのか疑問に思う。
ふと、彼はレヴィンを殺した後どうなるのだろう。過去のセルジュは処刑されたのだろうかと、自分を殺したあとのことを考えた。
――王族だった私を殺したなら、過去は妻だった彼女だって不幸を背負ったはずだ……。
そんな愚かな選択を彼がどうしてしたのか分からない、どちらにせよ、もう運命の日は刻々と近づいている。
ふっと肩の力を抜いたレヴィンは椅子の背凭れにぐっと体をあずけ、時計塔で起きた記憶を呼び覚ますように目を瞑ったが、慌ただしい足音が聞こえて来て目を開けた。
カールが扉を叩くと同時に執務室へ入って来ると、切羽詰まった顔で唇を震わせ、「大変です! セルジュ様が怪我を……」という言葉に、斧で心臓を割られたかのように痛みが走った。
レヴィンは慌てて立ち上がり、椅子が倒れたのも気にせず、急いで玄関ホールへ向かった。
「セ、セルジュ!」
ブランカがセルジュに肩を貸している光景に、カッと身体が熱くなった。なぜなら、慌てて駆け付けた自分が滑稽に思えたのだ。
この屋敷では自分が伴侶で支えるのは自分の役目なのに、と分かり易い妬心が胸の奥から湧くのを感じる。
――いいや、彼は彼女の物だ。私は伴侶だという肩書があるだけで……。
乱れた心を鎮めるように大きく深呼吸をすると、ゆっくりと彼に近付き、レヴィンは冷静な声を出した。
「怪我をしたと聞いた」
「はい、ちょっとした不注意で落馬を……」
ひざ下に布地を巻き付けているが、そこから血が滲んでいるのを見て、「切ったのか?」と聞けば、彼は小さくうなずいた。
どうやら落馬した際に足を切株で強打したらしく、馬も見つからずここまで歩いて来たのだと言う。
「トビアスは直ぐに医者の手配を、それからカールは……、ブランカと一緒に、彼を部屋へ連れて行ってくれ」
それだけ告げると、他の使用人に湯と清潔な布を用意させた。
すぐに医師が駆けつけ、セルジュの容態を見たが、かなり深い傷のようで、急いで縫わなければいけないと医師は言う。
「今からだと麻酔が効くまで時間が掛かってしまいますので、麻酔は無しで縫合することになります」
医師はレヴィンの顔を見たが、「そうですか、宜しくお願いします」と言ったのはセルジュ本人だった。
「しかし……、凄い精神力だ。普通なら気絶しててもおかしくないのに、平然と会話が出来るなんて」
「怪我には慣れてます。戦争に何度も行きましたし、この程度の傷なら可愛いものです……」
血の気がなくなり真っ青な顔をしているにも拘わらず、平然と喋るセルジュに、医師が感心したように吐息を吐いた。
「では、早速、縫合に入ります。皆さんは部屋から出て下さい」
部屋を出る時、セルジュと目が合う。医者の説明通りなら、いつ意識を失ってもおかしくない状態のはずなのに、彼は大丈夫だと言わんばかりにレヴィンに微笑んだ。
人は大丈夫ではない時ほど笑みを見せるのだろうか、どちらにせよ、その笑みにレヴィンは微笑み返すことは出来なかった――。
医者が帰ったあと、ブランカにセルジュのことを任せることにした。
自分やカールが看病するより彼女の方が安心出来るだろうと配慮したつもりだったが、カールは何故か納得がいかないのか、「何故、彼女に全て任せるのです?」と言う。
「適任だからだ」
「適任って……、ただの幼馴染ではないですか、俺にも任せて下さい」
「力が必要な時だけ手伝ってやってくれ」
「……わかりました。それにしたって、レヴィン様は心配ではないのですか?」
「心配?」
どういう意味で言っているのかとカールを厳しい目で見た。
「あ……、すみません」
「心配とは傷のことか? それとも彼女とセルジュの只ならぬ――」
しまったと思った。つい、カールの言葉を深読みして余計なことを言ったと咄嗟に口を噤んだものの、聞こえてしまった言葉尻から、レヴィンが二人の関係を疑い、黙認していることが彼に伝わってしまった。
「レヴィン様、本気でそんなことを仰ってるのですか? あのセルジュ様が不貞を働いているとでも? 信じられっ――」
「カール!」
それ以上は言わないで欲しいと目で訴えるより先に手が出てしまった。パシっと彼の頬を叩き、「部屋に戻る」とだけ言い付けると、レヴィンは自室へ逃げ込んだ。
――ああ、母上……、あなたのことが今ならよく分かります……。
寵姫たちを横目で見つめ、いいのよ、私は〝王妃〟なのだから、と矜持を持ち続け、それだけを支えに生きて来た彼女の切なさが分かる。
今になってあの頃の母の後姿がレヴィンの胸に突き刺さった。
母と違う所は、自分達は夫婦とは呼べるような間柄ではないということだ――。
その日の夜、皆が寝静まったあとで、こっそりセルジュの部屋を訪れた。
額に乗せられた水で濡らした布を見て、熱を出したのだと気が付き、それを取り替えようと手を伸ばした。
「……っ、お、起きてたのか?」
「今、目が覚めました」
「そうか……」
「レヴィンの足音が聞こえたので……」
それを聞き、くすっと笑みを浮かべた。
「何がおかしかったのですか?」
「教えない」
レヴィンも足音でセルジュを聞き分けられるし、その足音で今日は良い事があったのだと分かるほどだ。けれど、それを彼には言いたくはなかった。
「熱は……、下がったのか?」
「まだ少しあるかも知れません」
「そうか、ブランカに……、ああ、もう寝ているか……」
セルジュが大きな吐息を吐くと、レヴィンの手を握った。
「レヴィンは、そんなに俺が嫌いですか?」
「何を言ってるんだ……」
「あなたからは拒絶の態度しか読み取れないんです」
ズンっと心臓に杭を打たれたかのような痛みが走った。何かを探るような目というよりは、本当に不安な目でレヴィンを見ている。
「嫌ってなんか……、そうなら結婚相手に選ぶわけがない!」
大きな彼の手が熱くて、握られているレヴィンの手が爛れてしまいそうだと感じた。
レヴィンは今まで幾度となくセルジュに殺されてきたが、恐ろしいと感じる記憶は残っていても、恨んだことは無かった。
なぜなら、セルジュという男が、どれだけ誠実な人間か知っているし、殺されるには理由があったと考えているからだ。
「レヴィン……少し一緒に居て下さい」
「ああ、ここにいる……」
小さな子供のように、駄々をこねる彼の言葉が何故か嬉しかった。
初めて彼から頼られたからだろうか、セルジュほどの男でも病気になれば気弱になるのだと知り、レヴィンはこっそり笑みを浮かべた。
彼が寝付くまで側に居ようかと思っていたが、ブランカが室内へ入って来たことで、言いようの無い気まずさを抱いた。
セルジュへと視線を落とし、「熱が……あるみたいだ」と彼女に告げると、ブランカはレヴィンへ微笑みを浮かべ――、
「心配なさらないで下さい。昔からセルジュ様は深い怪我を負うと熱を出すのですが、翌日には何事も無かったかのように元気になられるのです」
「そうか……」
「私は看病に慣れてますから、お任せください。もう夜も更けておりますし、これ以上はレヴィン様のお身体に障ります。お部屋でお休みになって下さい」
邪魔だと言われた方がスッキリするのに、とレヴィンはブランカに促されるまま椅子から腰を持ち上げた。
こちらの気配に気が付いたセルジュが薄目をあけ、「ブランカ……?」と彼女を呼んだ。
この部屋で、幾度も呼んだであろう名をレヴィンの目の前で言葉にするのを聞き、薔薇の棘でも呑み込んだように胸が痛んだ。
ブランカにあとは任せ、「それじゃ、おやすみ」とセルジュに挨拶を済ませると急いで自室へと向かう。
部屋に入るなり寝台へ身を沈めると、無様な自分自身を見つめ返し、自分が彼を心配する必要はないのに馬鹿だ……、とレヴィンは愁いの吐息を吐いた――――。




