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10❊純潔のまま


 冬季に入ってからは、大半を家の中で過ごすことになり、レヴィンはセルジュが従者と一緒に薪を割る姿を自室から覗き見るのが日課になっていた。 

 彼から受け取った植木鉢の蕾は無事に開花し、可愛らしい花を咲かせ、殺風景な窓際が少しだけ華やかに見える。その薄紅色のビオラの花を見つめながら、レヴィンは窓辺から外に居るセルジュへ視線を向ける。


「……っ!」


 ただ、目が合っただけだというのに、彼の実直な眼差しは見てはいけないものを見た気にさせた。

 慌てて窓辺から離れたレヴィンは、勝手に早くなる鼓動を何とか落ち着けると、いつも通り執務室へ向かった。

 それにしても領地民からの苦情がこれほどまで少ないとは……、と毎月届く納税書と一緒に添えられている伺書を見ながらレヴィンは感心する。

 多少は難癖を付けてくる人間はいるが、実際は当人が賭博などで遊び惚けている場合が大半で、仕事を与えられている領民からの苦情は一切ないのだから大したものだ。

 レヴィンが感心しながら業務を片付けていると、ノック音と共にカールが執務室へ入ってくる。彼は無言で手に持っている手紙をそっと机の脇に置くと静かに立ち去った。


 ――兄上から……か。


 実は少し前に、来年の春には王都へ引っ越すことを知らせる手紙を書いたので、その返事なのだと推測した。

 何も特別なことは書いてないはず……、そう思いながらレヴィンは手紙を開く。

 以前と同様、身体の心配をしてくれる言葉が綴ってあり、王都に引っ越してくるなら、屋敷に招待してくれと書いてあった。

 前に〝会わない方がいい〟と言っていたのに、この矛盾は何だろう? と不思議に感じる。兄は気分屋な人物ではないし、一貫性のある人間だ。

 少し気にはなるものの、あまり深く考えても仕方がない、数ヶ月前とは状況が変わったのだろう、と軽く受け止めた。それと、最後に――、

 

〝夫婦仲がうまく行っていないのなら、いつでも離縁するんだよ〟

 

 過去も含めて兄は婚約を決めた時から、常にそう言っていた。

 いつでも婚約を止めても良いと子供の頃から言っていたし、成長するにつれて、兄は婚約破棄をよく口にした。


 ――離縁など……。 


 セルジュは信じられないほど優しい、嫌になる要素などひとつもない。不意に時計塔で起きる未来の出来事を思い出し、レヴィンは頭を振った。

 彼に殺される時期だけは、どの過去もブレたことはない、だから、今回も兄の戴冠式の日だろうと思いながら手紙の離縁の文字を見つめた。

 今までの過去の通りなら、あと一年と半年でセルジュに殺されるのだ。その理由はなんだろうか、今回はそれが明らかになるのだろうか? とレヴィンは今までの生活を振り返った。

 一度もセルジュと夫婦らしいことをしていないことに気が付き、ふと過去の伴侶達のことを思い出した。誰もが例外なくレヴィンの身体に溺れた。

 滅多に来ない発情期だったせいで、皆、その時期だけはレヴィンと過ごすことを楽しみにしていた。

 今思えば異常ともいえる状態だった気がした。

 オメガの誘発に促されただけにしては、食べる暇も惜しんでレヴィンを抱き、抱かれようとするのだから正気ではない。今さらだが当時の状況を思い出し、レヴィンは首をひねった。

 ふと、過去の濃密な情交を思い出してしまったせいか、身体が急におかしな熱を発した。


 ――まずい……な……。


 抑制剤を飲まなくてはいけないと、急いで引き出しを開けたせいで床へ落としてしまった。

 当然、引き出しに入っていた物がバラバラと散らばった。

 こんな時に限って抑制剤が遠くへと飛ばされており、慌てて床へ跪き、落ちた物を拾い上げていると、凄い勢いでセルジュが、「レヴィン⁉」と部屋に入って来る。


「セルジュ……」

「大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ、勢い余って床に落として――」


 しまったと思った時は遅かった。近付くな! と言う間もなくセルジュが傍に来ると、レヴィンの誘惑香(フェロモン)を吸い込んだ。


「セルジュ……、ダメだ」


 吹き上がる身体の熱を抑えられないレヴィンは、拒絶の言葉を口にするのがやっとだった。


「……っ」 


 大量に誘惑香(フェロモン)を吸い込んでしまったセルジュの身体が反応しているのが見て取れる。せっかく、あの女のためにレヴィンは操を守ってきたというのに……、と、ぎゅっと目を瞑ると――、「これを飲もうとしていたのですね」そう言ってセルジュは抑制剤を手渡してくれた。


「え……」


 どうしてだ? とレヴィンはセルジュの顔を覗き込んだ。

 大粒の汗を流しながら誘惑に耐える彼がすっと立ち上がると、部屋に置いてある水差しを持ち上げ、「空ですね、カールに持って来させます」と言って立ち去った。


「嘘だろ……」


 オメガの誘惑に反応を示しているのに、セルジュが立ち去ったのを見て、思わず出た言葉だった。

 明らかに彼の身体はレヴィンを欲していたのに、何もしないで立ち去る人間がいることに単純に驚いたのだ。

 いくら自制が利くと言っても、あれだけ吸い込めば辛いだろうに……、と思う反面、どれだけセルジュが、あの女性を愛しているのかを知った気分だった。

 しばらくして、カールが水の入った水差しを持って来る。


「レヴィン様! だ、大丈夫ですか⁉」

「平気だ……」

「早く、お薬を……」

「ああ、すまない」

 

 カールから水の入ったコップを手に取り、薬を一気に流し込んだ。


「発情期が来たのですか?」

「ああ……、本当はもう少し先のはずだったんだが……」 

「そうですか、元々レヴィン様は発情回数が少ないですからね、こういう時もあるでしょう」


 カールは同じオメガだが、定期周期が決まっているからか、あまり突発的な発情は起きないようだった。

 荒くなった呼吸と発熱した体は薬のおかげで治まったが、こちらを見ていたカールは不思議そうにする。

 言いたいのに言い出せない雰囲気を感じ取ったレヴィンは、「なんだ? 何か言いたそうだが」と発言を促した。


「いえ、ご夫婦なのですから、セルジュ様に鎮めて頂いたら良かったではないですか」

「な、何を言ってる」

「普通のことですよ? ……え、まさか……、え?」


 初夜さえも迎えてないことを知られたレヴィンは、カッと顔と耳が熱くなった。


「もういい、出て行け!」


 レヴィンの怒りの交じった声を聞き、カールは飛び上がると、脱兎の如く部屋から出て行った。

 夫婦なのに〝初夜〟を迎えてないということが、どういうことなのか、カールは不審に思ったはずだ。

 はっとしたレヴィンは急いで扉を開け、出て行ったカールを呼びつけた。


「戻って来い」

「えぇえ? もう、相変わらず我儘ですね……」


 しぶしぶ戻って来たカールを部屋へ押し込み、さっきの話は、他言無用だと釘を刺し、「誰かの耳に入ることがあれば、処刑台に送ってやる!」と脅したが、彼は青ざめるわけでも無く、大きな溜息を吐き――、


「言えるわけ無いじゃないですか。それに、お二人が〝清い関係〟だなんて知られたら、第一王子に離縁させられるに決まってます」

「そうだな……」


 このことが国王や王妃の耳に入れば、間違いなく離縁は免れないかも知れない。清い関係であれば、嫁ぎ先は見つけやすいし、何より王族との繋がりを持ちたい貴族は多い。しかも、セルジュのような男爵程度の爵位しかない男から奪うのは簡単だ。

 

「早く本物の夫婦になられた方が賢明ですよ」

「……時期ではない」

「え?」

「今は、そんな時期ではないし、それにセルジュには――」


 つい、愛人の話をしてしまいそうになり、レヴィンは言葉を飲み込む。こちらの様子を見ていたカールは、しょうがないですね、とでも言いたげに言葉を続けた。


「どんな理由があるにせよ、いつまでも、邪険にするのは酷かと思われますよ? セルジュ様は見るからに精力が……っん……がっぁ……」


 何を言い出すのかと、レヴィンは慌ててカールの口を塞いだ。


「時期ではないと言っただろう!」


 レヴィンだって、今のままでいいとは思ってはいない。ただ、どうしてもセルジュと夫婦の契りを交わすことは躊躇いがあった。

 今までの過去、彼に殺され続けていたのだから、当然の拒絶反応だと思うし、それに、やはり愛人の問題もあった。

 どちらにせよ、今回、セルジュに殺されないのであれば、その問題はいずれ解決しなくてはいけないと思った――――。


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