第9話 居住区と工業地区
司たちは仕事へ向かうために部屋から出て歩き出した。
外に出ると、朝の空気はひんやりとしていて、土と湿った木の匂いが鼻をくすぐった。
歩きながら、ノームがこの場所についてぽつりぽつりと教えてくれた。
「司、ここは居住区と呼ばれている場所だ」
「さっきも話したが、真ん中に食堂があって、その周りを囲むように異人棟が輪っか状に並んでいる」
ノームの言葉どおり、道の両脇には同じような形の建物が等間隔で建ち並んでいる。
「看守や、異人兵もその異人棟にいるの?」
司が少し息を切らしながら尋ねると、
一緒に歩いていた看守たちが、まるで合図でもあったかのように司のほうへ視線を向けた。
司は反射的に口をつぐみ、そっと前を向く。
「もちろんだ。看守も異人兵も、ここで暮らしている。ここにいる者は、例外なく全員だ」
ノームは落ち着いた声でそう言った。
「これから向かうのは、居住区をぐるっと囲むように作られた工業地区だ」
「工業地区?」
司はさらに呼吸を荒くしながら聞き返す。
「あぁ。鉄、木材、石――この国で使われる物のほとんどは、あそこで加工されている」
ノームは淡々と続けたが、少し間を置いてから、わざとらしく肩をすくめた。
「力仕事ばかりだ。特に鉄を溶かす炉の前はな……暑すぎて、何人か倒れるほどきついぞ」
ノームが意地悪そうな顔をして言うと、
タカギが何かを思い出したかのように嫌そうな顔をした。
周囲を歩いていた異人たちの何人かも、同じように目を伏せたり、顔をしかめたりしていた。
「そろそろ見えてきたな。あれが関所だ。あそこを通り抜けると工業地区だ」
ノームが指差した先に、道の真ん中をふさぐように小さな小屋が立っていた。
小屋の前には看守と異人兵が三人ずつ立っている。
看守は異人が通るたびに、バインダーらしきものに何かを記入していた。
「あれはなにを書いているの?」
司が激しく呼吸をしながら聞いた。
「あれか? 通る組の番号を記録しているんだ。行きと帰りを比べて、戻ってこない奴がいないか見てるらしいぞ」
ノームが答えた。
「あんな雑な方法でちゃんとわかってるのか? なあ看守さんよ」
タカギが近くに歩いていた看守に質問した。
看守は冷たい目をしながら一度フンっと鼻を鳴らし、
無視するように少し早歩きになって歩き過ぎていった。
「なんだよ、愛想がないな。モテないぜ」
タカギが肩をすくませながら言った。
「あまり注目を集めるな。ただでさえ、うちの組は目をつけられているんだ」
ノームが不満げな顔でタカギの顔を見て言った。
「いまさら何言ってんだよ。看守がなんだってんだ。大したことないって」
タカギが笑いながら歩いていると、右肩をガシッと誰かが掴んだ。
「おい、調子に乗るな。特別な指導が必要のようだな」
その声に、ゆっくりとおそるおそるタカギが振り返る。
強面の看守が真顔でタカギの右肩を片手で握っていた。
その手の握力があまりにも強力だったため、
タカギは思わず身じろぎして苦痛の声をあげた。
「イデデデデデ、悪かったよ。悪かったって許してちょ」
タカギが涙目で謝ると、
強面の看守が「気をつけろ」と短く忠告して歩き出した。
「まあ、ああやって調子に乗っていると看守が可愛がってくれる。司はマネするなよ」
ノームが首を振りながら司に言った。
涙目で落ち込んでいるタカギを見た司は、
「うん、わかったよ」
とぜえぜえ言いながら答えた。
関所を無事に通過すると景色が一変した。
さっきまでの居住区は同じ形の建物が並んでいたのに、ここから先はごちゃっとしていた。
道沿いには、いろんな大きさの建物が並び、
壁の色も形もバラバラだ。
木と石を組み合わせた工房。
黒く煤けた炉のある建物。
積み上げられた資材の山は、近くを通るだけで木くずや砂が足元に落ちてくる。
空気には金属と煙の匂いが混じり、鼻の奥が少しツンとした。
遠くからはカン、カン、という金槌の音が絶え間なく響いていて、
たまにガチャンと大きな音も聞こえる。
建物の中からは人の声が聞こえて、すでに作業している者もいた。
怒鳴り声みたいな声と、笑い声みたいな声が一瞬だけ重なって、
すぐにまた音に飲まれて消えた。
「司、もう少し歩いたら馬車が待っている。それに乗って移動するぞ」
ノームが言った。
「本当? 助かった……もう疲れたよ」
司は息を切らし、両ひざに手を当てて前かがみになりながら弱音を吐いた。
「なんだよさっきから辛そうな顔してると思ったら、もうバテたのかよ。まだ三十分ぐらいしか歩いてないぜ」
情けないなと、タカギは茶化しながら言った。
「だって、こんな土の上をずっと歩いたことないよ。もう足の裏が痛くて痛くて」
司が言った。
司の足元は固い土で、ところどころ小石が混じっていた。
歩くたびに靴の裏で石がずれて、地味に踏みづらい。
「バカ、まだ仕事すらしてないのに情けないこと言ってんなよ。ほら行くぞ」
タカギが司の手を引っ張って歩き出す。
「ちょっと、待ってよ」
司が、タカギに引っ張られてふらつきながら歩き出した。
しばらく歩くと、数台の幌馬車が道沿いに縦列で並んでいた。
馬車は一台ずつ間隔を空けて停められており、
その前には異人たちが自然と列を作っている。
ちょうど出発したばかりなのか、一台の幌馬車の車輪がゆっくりと動き始めていた。
その光景を見た司は、駅前のタクシー乗り場を思い出した。
馬車の列の横を歩いてくると、ノームがふいに立ち止まった。
それにつられて、司とタカギも足を止める。
「司、幌馬車には番号が振られていて、我々は決められた番号の馬車に乗り込む」
「どうやら、まだ目的の『三番』の馬車は来ていないようだな」
ノームは首を左右に振りながら、前後の馬車を確認して言った。
「そいつはよかったぜ。乗り遅れたら大変な目に遭うからな」
タカギが、やれやれと首を振りながら言った。
「遅れたらどうなるの?」
司が疲れきった顔で聞いてみた。
「置いていかれ、取り残される。そして、監督官のおしおきが待っている」
ノームは少し声を落として、小さく言った。
「そうならないように、時間を守らないとな」
さらにノームは、司を見て真剣な目つきで話しかけた。
おしおきとノームは言うが、子供を叱りつける程度で済むとは司は思えなかった。
(もしかしたら、あのとき以上の……)
司は頭を振って、想像するのをやめた。
そうこうしていると、
先に停まっていた幌馬車たちが次々と出発していき、代わりに、次の幌馬車が前へと並びだした。
司たちの目の前に停まった幌馬車の幌の側面には、大きく黒字で『3』と書かれていた。
「ラッキー。ちょうど目の前に停まったね」
司が言うと、
「司、ちゃんと未来予知して、ここに来るってわかっていたからここで待っていたんだ」
ノームが、少し自慢げに言った。
「本当?」
司がすごいという顔でノームの顔を見上げると、
ノームは誇らしげな顔をしていた。
「エスパーだからな」
タカギが皮肉っぽく言った。
「お前に言われると腹が立つな」
ノームの顔がみるみる不機嫌そうになり、
タカギに不満げに言った。
「悪いな。俺もエスパーだから、ノームの心を読んだんだ」
タカギが意地悪そうに言うと、
「もうエスパーごっこは終わりだ」
ノームはふてくされたようにそっぽを向いた。
「悪かったよノーム。怒んなよ」
タカギが両手を顔の前で合わせて謝るが、
「フン」
ノームは短く鼻を鳴らした。
「二人とも子供みたいだね」
司がクスクスと口元を隠して笑うと、
二人も「そうだな」と言って笑い合った。
そのとき――
「おい、早くしろ」
後ろから、『98』と書かれた首輪をつけた男に睨まれ、
三人は同時に頭を下げて謝った。
ノームが幌馬車に乗り込むと、
「司、つかまれ」と手を差し出した。
入口は大人が一人通れるくらいの幅で、幌の布が垂れていて中が見えにくい。
司はノームの手につかまり、そのままよじ登るようにして幌馬車の中に入った。




