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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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第8話 食事との対話

 部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台を囲むように三人は腰を下ろした。


 司は少しだけ迷うように視線を泳がせてから、思い切ったように口を開いた。


「あの……ここの料理って、どうしてあんなに美味しいんですか? 本当に……今まで食べた中で、一番でした」


 言い終える頃には、司の顔はすっかり緩んでいて、さっきまでの食事の余韻がそのまま残っているようだった。


 ノームはすぐには答えず、顎に手を当て、髭をゆっくりとなぞる。


 少し考えたあと、穏やかな声で言った。


「特別なことは、していないだろう」


 そう前置きしてから、ノームは司の方を見て、言葉を続ける。


「……ただな、司。今までの食事、惰性で食べていなかったか?」


「テレビを見ながらとか、本を読みながらとか、別のことを考えながらとか」


「え……惰性、ですか?」


 思い当たる節がありすぎて、

司は眉を寄せた。


「本来、食事は“対話”なんだ」


「対話……?」


「そうだ」


 ノームはうなずき、いつになくはっきりとした口調で話し始める。


「魚や野菜を育てる人、獲る人。それを運ぶ人、加工する人、調理する人。器を作る人もいる。」


 ノームが少し声を大きくして続けた。


「そのすべての時間と手間が、一皿の中に詰まっている」


 一度言葉を切り、静かに言い切った。


「労働の時間は寿命だ。つまり、我々は『命』をもらって生きている」


 司は、思わず息を呑んだ。


「だからこそだ。自然の恵みも、人の手間も、ちゃんと味わって感謝する。そして――」


 ノームは少しだけ胸を張り、誇らしげに続ける。


「今から頂く命に恥じない生き方をしてきたか。それを考えながら食べる。私は、それが食事だと思っている」


「……なるほど」


 司は小さくうなずいた。


 胸の奥に、すとん、と何かが落ちた気がした。


 これまでの食事が頭に浮かんだ。


 テレビを見ながら、ゲームをしながら、

味なんてほとんど気にも留めず、ただ空腹を満たすだけ。


 ノームの言葉が胸に刺さり、司は少し恥ずかしくなって視線を落とした。


「おいおい、真に受けすぎだって」


 タカギが笑いながら、司の肩を軽く叩く。


「歳取るとさ、こういう説教くさい話、したくなるんだよ」


「タカギ! 誰が年寄りだ!」


 ノームが目を吊り上げて声を荒げると、

タカギは両手を上げて「悪かった、悪かった」と、にやりと笑った。


 そのやり取りを見て、司は思わず「ふふっ」と小さく笑う。


 まだ出会って一日しか経っていない。


 それなのに、この二人となら――

なぜか、とても気を許せる気がしていた。


 やがて話を変えるように、ノームが腕を組み、司に向き直った。


 さっきまでの笑いが落ち着いたせいか、部屋の空気が少しだけ引き締まる。


「さて司、これまでの流れで何か質問はないか? なんでもいい。疑問に思ったことを聞きなさい」


 司はちゃぶ台の木目を見つめ、少し考える。


 頭の中に浮かんだのは、さっきの食堂の明るさと、のんびりした空気だった。


(――奴隷って、もっとこう……怒鳴られて、走らされて、休む暇もないものじゃないの?)


 司は小さく息を吸って、顔を上げる。


「あの、こんなにのんびりしていていいんですか? 奴隷って聞いてたので、飲まず食わずで休みすらないのかと思ってました」


 奴隷のイメージと、今の現実がどうにも噛み合わない。


「だよな? 普通はそう考えるよな」


 タカギがうんうんと大げさにうなずきながら、


「だけどこの世界ではなぜか、奴隷に意外と優しいんだ」


 と話した。


「まあ、監視役も同じ異人だから甘いのかもな」


 ノームは落ち着いた声で言った。


「それに、甘いだけじゃないぞ。ちゃんと規則が決まっている」


 ノームが咳ばらいをひとつして、話を切り替えた。


 まるで学校の先生が『校則』を読み上げるみたいな真面目さだ。


「まずは『時間厳守』。たとえば今日みたいに寝坊でもすれば、どうなると思う司?」


 ノームは司の顔を正面から見て質問した。


「なんだろう……二人が起こすのが大変? かな……」


 司が首をかしげて言うと、

タカギが即ツッコミを入れる。


「俺らが起こす前提かよ。自分で起きられるようにしろっての」


「えへへ……」


 司は照れくさくなって、後頭部をぽりぽり掻いた。


 ノームはため息まじりに、けれど怒らずに続ける。


「今朝、タカギが『水晶玉』に向かって『全員起床』と伝えたろう? あれは看守に伝えたんだ。そのあとはどうしたか、覚えているか?」


「えーと……たしか……看守がドアを開けるまで、話をしたんだよね」


 司が思い出しながら答えると、ノームは小さくうなずいた。


「そのとおりだ。看守は、この異人棟の全員が起床するまでドアの鍵を開けない決まりになっている」


「もし司が寝坊して起きなかったら……どうなると思う?」


「そりゃ……ぼくたちだけじゃなくて、他の組の人たちも部屋から出られないね」


 司は『当たり前』という顔で言った。


 でもノームは、『そこだ』、と言わんばかりに指を軽く立てる。


「そう。そこが問題だ司。この異人棟には約百人の異人が生活している。誰か一人が寝坊すると、その百人が外に出られなくなる」


 司の喉がごくり、と鳴った。


「そして朝食の時間は決まっている。時間を過ぎれば、食べることができなくなる」


 ノームの声が、少しだけ強くなる。


 司はようやく、空気の重さを理解し始めた。


「つまりだ」


 タカギが肩をすくめて、分かりやすくまとめる。


「寝坊したそいつは、この異人棟全員から嫌われるってことさ。そいつのせいで朝飯が食えねぇんだから、そりゃ恨まれる。わかったか?」


「……うん!」


 司は勢いよくうなずいた。


「まあ、食事以外にもいろいろ迷惑がかかる」


 ノームが腕を組み直し、ゆっくりと続ける。


「時間厳守というのは、連帯感を生み出すためであり、足枷でもある」


「それに異人に嫌われると、何かと生きづらくなる。ここは助け合いで成り立っているからな」


 ノームの言葉は穏やかなのに、はっきりと重かった。


 司は背中に、見えない鎖がひとつ増えたような気がした。


「それとだ、司が会うことはまずないだろうが、『監督官』の命令は絶対だ」


 ノームが言った。


 さっきまでの説明より、声が少し低い。


 部屋の空気が、ほんの少し冷えた気がした。


「監督官?」


 司は初めて聞いた言葉に食らいついた。


「ああ、司も会っているはずだ」


 ノームは落ち着いた口調のまま、

司の顔を見た。


「この部屋に来る前に、名前や年齢を聞かれなかったか? たしか……水をかけられたと言っていたな」


 その一言で、司の頭に映像が戻ってきた。


 暗い部屋。


 冷たい水を叩きつけられる感覚。


 耳に刺さる罵声。


 そして、腹部への蹴りを入れられたことを。


 息が詰まり、目の前が白くなった、あの痛み。


「うん、会ったよ」


 司は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。


 思い出したくないのに、勝手に思い出してしまう。


「あいつらは異人ではない。この世界の人間だ。正確には、この世界の人間と異人の間で生まれたハーフだ」


 ノームはゆっくりとした口調で話してくれた。


「監督官は生まれながらに差別されてきた。この世界で生まれたが、異人の血が流れているというだけで疎まれ、まともな生活ができなかった。唯一与えられたのが異人の監視、つまり『監督官』という役割だけだった」


 ノームは右手で顎を触りながら続けた。


「彼らは我々異人を恨んでいる。異人がいなければ自分たちはまともな生活を送れたはずだとな……」


 ノームは悲しそうに言った。


「だけどよ」


 タカギが言った。


 苛立ちがそのまま声に出ている。


「俺たちにはなんも関係ねぇ話だろ。それを八つ当たりしてくんの、勘弁してほしいって」


「ああ、そうだな。だが……彼らにも言い分はあるのだろう」


 ノームはそう言って、一度だけ目を伏せる。


 それから、もう一度司に向き直った。


「司。監督官にもう会うことはまずないが……もし出会ったら、決して歯向かうなよ?」


 ノームの目が、真っすぐ司を射抜いた。


「歯向かえば殺される。命令は絶対だ。いいな?」


 『殺される』という言葉が、部屋の中に落ちて、転がった。


 司は背筋が凍るのを感じながら、力強く頷いた。


「よし、それでいい」


 ノームは少しだけ表情を和らげた。


「まあ、我々が監督官に会うことはない」


「基本、会うのは新入りの時と、看守になってからだ。それ以外で会うことはないから、安心しろ」


「ひとつ忘れてるぜ」


 タカギが、むっとした顔のまま言う。


「罰を与えるときも、だ」


 ノームが小さくため息を吐く。


「それはお前が命令違反を繰り返すからだろう。そうでなければ会うことなどない」


「けっ。俺に命令できるのは限られた人間だけなんだよ」


 タカギは少し胸を張るように言ってから、ふっと口元をゆるめた。


「まあ、ノームの組になってからは監督官に会うことはなくなったがな」


「なにを偉そうに言っている」


 ノームが呆れたように首を振る。


「たしかに私の組に来る前は問題児だと聞いていたが、意外と素直だったな」


「”意外”は余計だ。よ・け・い」


 タカギは頬を少し膨らませる。


「何、気持ち悪いことを言っているんだ。子供でもあるまいし」


 ノームとタカギは顔を見合わせて笑い出した。


 司も二人のやり取りを見て、楽しくなり、一緒に笑った。


 そのとき。


 箪笥の上に置かれた水晶玉が、赤く光り出した。


 部屋の空気を切り裂くように、アラーム音が鳴り響く。


「さて、仕事の時間だ。司、出かけるぞ」


 ノームが両手を膝に添え、「よいしょ」と言いながら立ち上がった。


「ああ、かったるいな」


 タカギも立ち上がる。


「仕事? 何をするの?」


 司も二人に合わせて立ち上がりながら聞いた。


「なに、到着してからの楽しみだ」


 ノームが、にやりと笑った。

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