第65話 恋と警告
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
突然、司が大声を出した。
その場にいた者たちは、驚きのあまり一瞬固まった。
次の瞬間、ノームが慌てて司の口を押さえ込んだ。
「静かにしろ、司!」
騎士に見つかれば何をされるかわからない。
ノームは必死の顔で、司の口を両手でふさいでいた。
この場にいる全員が、驚愕の目で司を見ている。
「なんだよ。急に人の手を引っ張って歩き出したと思ったら、急に振り向いて発狂するなよ。心臓に悪いぜ」
タカギが両手で胸のあたりを押さえながらぼやいた。
どうやら司は、妄想の中でナーの手を取ったつもりで、現実のタカギの手を引っ張っていたらしい。
ノームは心配そうに司の顔を覗き込み、額に手を当てて熱がないか確認する。
「熱はないようだな」
「司、水を飲め。少し顔が赤いぞ」
ノームがやさしく声をかけた。
「無理もねえ。異人街を出てから、緊張と不安でいっぱいだったんだろうよ」
「休ませてやりたいが、歩き続けないといけないしな」
タカギが周りをキョロキョロと見回し、どこか休める場所がないか探す。
しかし、今は行軍中だ。
勝手な行動を取れば、騎士に殺されかねない。
二人の反応は当然だった。
朝から司は、ぶつぶつと独り言を言いながらにやにやしていたのだ。
周りから見れば、極度のストレスでおかしくなったようにしか見えなかった。
別の組の組長が水を差し出し、飲むように勧めてくれた。
別の異人は、「布をかぶって少しでも日差しを避けたほうがいいのではないか」と提案している。
「看守に相談して、少しだけでも休ませてもらえないか?」
そんな声すら聞こえてきた。
その状況に、司は顔を真っ赤にして理性を完全に取り戻した。
「だ、大丈夫だよ。もう大丈夫だからさ」
周りの異人たちは、怪訝な顔で司を見る。
本当に大丈夫なのか。
そんな空気がありありと伝わってきた。
しかし、本人が大丈夫と言っている以上、それ以上は言えなかった。
異人たちは納得しきれない顔のまま、少しずつ司から視線を外していく。
司は安堵の息を大きく吐き出した。
自分の行動で、みんなに迷惑をかけてしまったと思ったからだ。
しかし、脳裏には昨日見た、女神のように美しいナーの姿がいまだに離れずにいた。
また会えるかもしれない。
そう考えただけで、司の頬は勝手にゆるんでしまう。
司はうっとりした顔つきのまま歩き続ける。
その顔を、タカギが数センチの距離まで近づいて覗き込んでいた。
だが、司はまったく気が付かない。
タカギは「ははーん」と何かを納得したような声を出すと、うんうんと頷きながら歩き続けた。
大部隊は予定通り、夕方になるころには湖畔付近に到着していた。
巨大な湖とは聞いていたが、実際に目にすると、その大きさは海と見間違えるほどだった。
どこまでも広がる水面に、司は思わず足を止める。
「すごい……」
ぽつりと声が漏れた。
沈みかけた夕日の光が湖一面を真っ赤に染め上げている。
波の揺らめきに合わせ、赤い光がゆらゆらと揺れていた。
どこか血を思わせる、不気味な景色だった。
しかし司は、そんなことよりも今晩ナーに会えるかもしれないという期待で頭がいっぱいだった。
口元はゆるみっぱなしで、隠そうとしても笑みが止まらない。
その姿を見たノームは、不安そうな顔でタカギに話しかける。
「おい、本当に大丈夫なのか? 今朝から司の様子がおかしいぞ」
しかしタカギは、何かに気づいているのか、納得したように頷いていた。
「大丈夫。このタカギさんにすべて任せておきな」
自信満々にウィンクすると、背負いかばんからコッペパンを取り出して頬張り始める。
その妙に余裕のある態度に、ノームは逆に不安になった。
(タカギもおかしくなったかもしれない)
ノームはそう思いながら、不安げに二人の様子を眺める。
しかし、彼の心配などまるで気づいていない二人は、どこか楽しそうに休憩に入っていた。
夜が更けていき、昨晩と同じように満天の星々が輝き始める。
湖の水面には星明かりが反射し、静かな波に合わせてきらきらと揺れていた。
周りの異人たちは、疲労のせいかすでに寝静まっている。
しかし司だけは、興奮のあまりまったく寝付けずにいた。
目はギンギンに開き、鼻息もやたら荒い。
「ふぅ……ふぅ……」
完全に不審者だった。
全員が寝静まったことを確認した司は、そっと体を起こし、ナーを探そうと耳を澄ませる。
昨晩のように、あの綺麗な歌声が聞こえてくるかもしれない。
しかし、いくら待っても今日は彼女の歌声は聞こえてこなかった。
(今日は会えないのかな……)
司が少し肩を落とした、その時だった。
左肩に、ぽんっと手が置かれる。
司は思わず声を上げそうになる。
しかし、その前に聞き覚えのある声が耳元でささやいた。
「声を出すなよ」
声の主はタカギだった。
司がゆっくり振り返ると、タカギが満面の笑みを浮かべていた。
「今朝からどうもおかしいと思ってたけどよ。お前の顔を見てピンッと来たぜ」
タカギはにやりと笑う。
「ずばり、女だろ?」
その瞬間、司はドキッと心臓が跳ねた気がした。
「ど、どうしてわかったの?」
司は小声で聞き返す。
「簡単さ。童貞君の初恋ってのは、いっぱい見てきたからな」
タカギは得意げに笑った。
「お前、今まさに同じ顔してるぜ」
にやりと口元を吊り上げ、司の肩を軽く小突く。
「この百戦錬磨のタカギお兄さんに話してみな。なんでも相談に乗るぜ」
「どんな女で、どこで知り合ったんだよ? おじさんに教えてみな」
タカギはうきうきした顔で司にぐいっと顔を近づけ、早く話せと言わんばかりに手招きした。
(お兄さんなのか、おじさんなのかどっちなんだよ……)
司は心の中で突っ込みつつ、観念したようにナーのことを話し始める。
タカギは最初、うんうんと嬉しそうに話を聞いていた。
しかし、話を聞いていくうちに、少しずつその表情から笑みが消えていく。
話が終わるころには、タカギは真剣な顔で黙り込んでいた。
「銀髪に……銀色の瞳か……」
タカギがぽつりと呟く。
「どうしたの?」
司が首をかしげると、タカギは突然司の両肩を掴んだ。
その顔から、さっきまでの軽い調子が消えている。
「司。悪いことは言わねえ。その女のことはきっぱり忘れろ」
「え? なに急に。応援してくれるんじゃないの?」
「そのつもりだった」
タカギは低い声で言った。
「だが、相手がまずい」
真っ直ぐ司を見ながら続ける。
「忘れろ。そして寝ろ。全部、お前のためだ」
そう言うと、タカギはそれ以上何も話さず、そのまま横になってしまった。
司はぽかんとした顔でその背中を見る。
(なんだったんだ……?)
疑問は残ったが、司もかなり疲れていたらしい。
大きな欠伸をひとつすると、そのまま眠りにつくことにした。




