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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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第63話 純白の幽霊

 夜空いっぱいに星が広がる中、十万もの大部隊は静かに眠りについていた。


 見張りを立てることもなく、騎士たちは疲れ切った体を大地へ横たえている。


 異人たちも背負いかばんから取り出した二枚の布を草の上へ敷き、その上に身を預けていた。


 だが、たとえ平野の柔らかな草地とはいえ、薄い布切れ二枚だけでは寝心地などあってないようなものだった。


 普段の司なら、多少揺すられた程度では絶対に起きない。

 だがさすがに今回はそうもいかず、数時間ほどで目を覚ましてしまった。


 周りにはノームやタカギ、そして大勢の異人たちが、隊列を組んだまま眠っている。


 あちこちから寝息が聞こえてきていた。

 冷たい夜風が頬をなで、草の匂いが鼻をくすぐる。


 夜遅くまで起きていたことなどほとんどなかった司は、ぼんやりと空を見上げた。


「うわぁ……すごい。星だ」


 思わず声が漏れる。


 夜空には無数の星々がちりばめられ、宝石みたいにきらきらと輝いていた。


 その中心には、巨大な月のような衛星がはっきりと浮かんでいる。


 青白い月光は地面まで明るく照らし、夜なのに周囲の景色がうっすら見えるほどだった。


 元の世界でも星や月を見ることはあった。

 けれど、こんなにも綺麗な星空を見たことは一度もない。


 司はしばらく言葉も忘れたまま、静かな夜空を見上げ続けていた。


 遠くからは大勢の寝息がかすかに聞こえてくる。

 それ以外には風が草を揺らす音しかなかった。


 すると、その静寂の中にどこからか小さな声が聞こえてきた。


「ん?」


 司は顔を上げる。


 初めは、自分以外にも誰か起きているのだろうと思った。


 周囲をきょろきょろと見渡してみる。

 だが、誰一人として起きている者を見つけることはできなかった。


 声は風に乗るように、かすかに聞こえてくる。


 その瞬間、司の脳裏に嫌な想像が浮かんだ。


 もしかして、お化けではないだろうか。


 青白い月明かり。

 静まり返った夜。

 誰もいないはずなのに聞こえる声。


 条件は完璧だった。


 司はぶるっと身震いする。


 だが同時に、その声の正体が気になってしまった。


 怖い。

 でも気になる。


 好奇心に負けた司は、恐る恐る声のする方へ歩き出した。


 草を踏むたび、さくさくと小さな音が鳴る。


 声が聞こえる方へ近づいていくと、徐々にその音がはっきり聞こえてきた。


 それは歌のようだった。


 透き通った、優しい声。


 歌に引き寄せられるように歩いていくと、近くに小さな丘を見つけた。


 周囲を見渡すにはちょうどよさそうな場所だった。


 司は足を滑らせないよう慎重に丘を登った。

 そして頂上から、そっと周囲を見回す。


 そこには、月と星の光を反射して淡く光る川が流れていた。


 川の近くに、一人の人影がいるのに気が付いた。


 きっと彼が歌っているのだろう。


 そう思った司だったが、その人物を見た瞬間、体がぴたりと固まった。


 真っ白だったのだ。


 白い服。

 白い髪。


 月明かりを浴びてぼんやり浮かぶ姿は、人間というより幽霊そのものに見えた。


(で、ででで出た!! おばけだ!!)


 司は危うく叫びそうになる。

 だが慌てて自分の口を両手で押さえ込んだ。


 心臓がばくばくとうるさい。


 顔を青ざめさせながら、司はそろりそろりと後ずさる。


 ――帰ろう。


 そう決意した瞬間だった。


「うわっ!?」


 足元の草で足を滑らせ、そのまま丘を転げ落ちてしまった。


 ごろごろと転がり、最後は尻もちをつく。


「いたたた……」


 どうやらお尻を強く打ったらしい。

 じんじんする痛みに顔をしかめながら、司は両手でお尻をさすった。


 すると、すぐ近くから声が聞こえた。


「大丈夫?」


 司の肩がびくっと跳ねる。


 恐る恐る声の方へ顔を向けると、先ほどの真っ白な幽霊と目が合った。


 しかもかなり近い。


「ぎゃあぁぁぁぁ!? おばけぇぇ!!」


 司は反射的に大声を上げた。


 その直後、慌てた様子で幽霊が司の口を両手で塞ぐ。


「しーっ! だめだよ。みんな疲れて寝てるんだから。そんな大声出しちゃ」


 近くで見ると、幽霊は困ったように眉を下げていた。


「それにしてもひどいなぁ。私を見ておばけだなんて、傷つくよ?」


「え? おばけじゃないの?」


 司は半信半疑のまま聞き返す。


 すると幽霊はむっと頬を膨らませた。


「当たり前でしょ!」


「ご、ごめんなさい……」


 司はすぐに謝り、ぺこりと頭を下げた。


 改めて、司は目の前の彼をじっくり観察した。


 身長は司と同じくらいの百五十センチほど。

 全体的に細身で、小柄だった。


 肌は驚くほど白い。

 月の光を浴びて、ほんのり光っているようにすら見える。


 髪は白ではなく銀髪だった。

 さらさらとした長い髪が腰の辺りまで伸びている。


 瞳もまた銀色で、夜空の星みたいにきらきら輝いていた。


 真っ白な服は、ひらひらしたワンピースのようだった。

 足元まで伸びたスカートには、小さな花の刺繍が入っている。


「ん?」


 司はふと違和感を覚えた。


 スカートを見て、もう一度視線を上へ戻す。


 胸元を見ると、そこにはふくらみがあった。


「んんん?」


 司は目を細め、じーっと胸元を見つめる。


 すると彼は胸を隠すように両手を当てた。


「あの、さっきからずっと人の胸見てますけど……変態さんですか?」


「ご、ごめんごめん。失礼だったね」


 司は慌てて視線を逸らす。


「そうだよ? 女の子の胸を見るなんてだめなんですからね?」


 その言葉を聞いた瞬間、司の思考が止まった。


 おんなのこ?


 女の子って、あの女の子?


 つまり女性?


 頭の中で言葉がぐるぐる回る。


 どうやら司の脳は、処理の限界を迎えたらしい。


 彼女は不思議そうな顔で司を覗き込んだ。


「どうしたの?」


 近くで見ると、長いまつげまで銀色に見えた。


 桜色の唇は柔らかそうで、月明かりに照らされてつやっと光っている。


 司の顔が一気に熱くなる。


 そして次の瞬間、司は目を白黒させながら叫んだ。


「えっ!? 女の子!?」


 慌てて彼女が司の口を塞ぐ。


「ちょっと! 大声出さないでって言ってるじゃないの!」


 彼女は困ったように眉を下げた。


「何をそんなに驚いてるの?」


「そ、そりゃ驚くよ。だって異人の男女は別々に生活してるから、出会うことはないって聞いてたからさ」


 異人は男女の接触がないよう、完全に隔離されていた。

 もちろん、勝手な繁殖を防ぐためである。


 だからこそ、司がこの世界に来て一か月以上経つが、女性の異人を見たのは初めてだった。


「君は異人だよね?」


 もし異人ではなく貴族なら、この場にいてもおかしくない。


 司は、バルトラインに来た時に対応した女性のことを思い出した。

 もしかすると、彼女も貴族なのではないかと不安になる。


 もし貴族なら、勝手な口を利いたことを謝らなければ。


 だが彼女は、そんな司を見てふふっと笑った。


 そして司の前で、くるりと一回転する。


「どう見たって、この世界の純粋な人間じゃないでしょ? 彼らは黒紫髪に紫の瞳だけなんですよ?」


 そう言いながら、もう一度くるっと回る。


 銀色の髪と白い服が、月明かりの中でふわりと揺れた。


 司は目を離せなかった。


 胸の奥がどくんと鳴る。


 今まで感じたことのない衝撃が、全身を駆け抜けていく。


 月夜に照らされ、きらきら光る川の前で笑う彼女を見て、司はぽつりと呟いた。


「まるで女神様だ……」


「え? 女神?」


 彼女はきょとんとした後、ふふっと笑った。


 司は「しまった」と思った。


 また独り言を口に出してしまったのだ。


 だが、不思議ともうどうでもよかった。


 彼女の声を、一言でも多く聞いていたい。

 そんなことばかり考えてしまう。


「女神かぁ。天使とはよく言われるけどね」


 確かに天使みたいだと司は思う。


 だがやはり、司には女神の方がしっくりきていた。


「ねえ? 名前はなんていうの? 私は『ナー』。あなたは?」


「あ、僕の名前は水野司って言うんです」


 急に敬語になった司を見て、ナーはくすくす笑い出した。


「なに急に改まってるの。さっきみたいに普通に話してほしいな」


 ナーは楽しそうに首を傾げる。


「そっか、二つ名なんだね。司が名前で合ってる?」


 司がこくりと頷くと、ナーは嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、司って呼ぶね」


 もはや司は、自分を保つだけで精一杯だった。


 だが、それでも彼女の前ではちゃんとしていたいと思ってしまう。


「いい夜だよね。私は夜空を見上げるのが好きでね。よく抜け出しては、こうやって空を見てるんだ」


 ナーはその場に座り込むと、隣をぽんぽんと叩いた。


 座れということらしい。


 司は緊張のあまり、左右の手足を同時に出しながらぎくしゃくと歩いた。

 そしてナーの隣に腰を下ろす。


 すると、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。


 もっと嗅ぎたいと思ったが、変態だと思われる前に慌てて空を見上げた。


「司は、どこの部隊なの?」


「赤軍の後列長槍隊だよ」


「そっか、よかった。前列だと危ないからね」


 ナーは夜空を見上げたまま、少し寂しそうに笑った。


 二人はしばらく黙ったまま空を眺めていた。


 静かな夜だった。


 けれど司には、その時間が夢みたいに楽しかった。


 そんな幸福な時間は、あっという間に過ぎていく。


「さて、そろそろ戻るね。司も戻ったほうがいいよ」


「あ、そうだね。そうするよ」


 ゆるみきった司の顔を見てナーはお腹を抱えて笑い出す。


「なにその顔。変なの」


 司もつられて笑ってしまう。


 二人の笑い声が、静かな夜に小さく重なった。


「じゃあ、またね司。死なないでね?」


 そう言い残し、ナーは去っていった。


 司は夢じゃないかと思い、強くほっぺを引っ張る。


「いたっ」


 しっかり痛かった。


 夢じゃない。


 その事実に、司の口元はにやけっぱなしになる。


 今にもスキップしそうな足取りで、司は鼻歌交じりに寝ていた場所へ戻っていった。

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