第58話 訓練七日目 休養日
起床アラームが鳴るよりも早く、司は珍しく目を覚ました。
昨日はあれだけ模擬戦を繰り返したというのに、不思議と体に疲れが残っていない。
むしろ、いつも通り体は軽かった。
毎度のことながら、不思議だなと司は思う。
しかし、二人は違った。
ノームは腰に手を当てたまま、布団から起き上がれずにいる。
タカギは全身の打撲の痛みに顔をしかめ、布団の上でうずくまっていた。
「珍しいな。アラーム前に目を覚ますなんて。いや、自分で起きるとは」
ノームが腰の痛みをこらえながら、ゆっくり顔だけを司へ向ける。
「お前はすごいな。なんで毎回ピンピンして朝起きられるんだ?」
タカギは呆れたような顔で司を見つめていた。
その横で、ノームが小さく「これが若さか……」とつぶやく。
たしかに司は若い。
だが、運動神経は皆無である。
中学の運動会、球技大会、マラソン大会。
その翌朝は毎回筋肉痛で苦しんでいた。
にもかかわらず、この世界に来てからの司は疲れ知らずだった。
なんでだろう、と司は首をかしげる。
すると、一つだけ思い当たることがあった。
「もしかして、奥村さんのおかげかな?」
二人が不思議そうな顔をしたので、司は続ける。
「半月も、あの人の地獄の特訓を受けてたから、体の回復が早くなったとか」
「なるほどな。あの看守長か」
タカギが苦笑する。
「なら俺も戻ったら鍛えてもらおうかな」
そう言って笑ったが、直後に全身の痛みが走ったのか「いてて……」と顔をしかめた。
ノームもつられて笑った。
しかし腰に響くのか、途中で笑い声を押し殺している。
司はそんな二人を見て、少しだけ申し訳ない気持ちになった。
自分だけ平気なのが、なんだか不思議だった。
そんな笑い話を三人でしていると、起床時間が来たようである。
箪笥の上に置かれた水晶玉から、けたたましいアラーム音が部屋中に響き渡った。
「司、すまないが水晶玉に起床したと伝えてくれ」
ノームにそう言われたが、司はすぐには動けなかった。
今までの司は、電話をかけるだけでも緊張してしまい、数十分ほど携帯を握りしめていたこともある。
そんな司が、初めて水晶玉を使うのだ。
心臓がバクバクと激しく脈打つ。
じわりと額に汗が浮かび、喉まで渇いてきた。
「だ、大丈夫か? 司。すごい汗だぞ?」
ノームが心配そうに聞いてくる。
「う、うん! 平気だよ!!」
司は勢いよく返事をした。
しかし緊張のせいで、声は見事に裏返っていた。
その瞬間、二人が心配そうな顔でこちらを見ていることに気づく。
司は小さく深呼吸をすると、勇気を出して箪笥の上の水晶玉へ向かって歩き出した。
ほんの数歩なのに、とても遠く感じる。
司は恐る恐る水晶玉へ近づいた。
初めて使うため、どうすればいいのかまったくわからない。
すると、水晶玉は司の意思を察したのか、ぼんやりと黄色く光り始めた。
「あ、あの、みんな起きました」
司はオドオドした口調で水晶玉へ話しかける。
「何組だ? 組番号を言え!!」
次の瞬間、水晶玉から看守の怒鳴り声が返ってきた。
「ご、ごめんなさい! 76組、水野司です!!」
司は慌てて答えた。
心臓がバクバクとうるさい。
耳のすぐ横で鳴っているみたいだった。
「名前はいらん! 次から気をつけろ」
看守がそう言い終えると、水晶玉の光はふっと消え、部屋に静けさが戻る。
「はぁ~、疲れた……」
重大任務を終えた司は、その場にへたり込んだ。
全身から一気に力が抜けていく。
「よくやった司。偉いぞ」
ノームが優しい声で言った。
「これだよ。ノームは司を甘やかしすぎる!」
タカギが少し不満そうに口を尖らせる。
「そうか? そんなことないよな、司」
ノームは腰を押さえながら苦笑した。
しかし、司本人はそれどころではなかった。
先ほどの看守とのやり取りで頭がいっぱいになっており、まだ放心したまま床を見つめていた。
そんな司の状態を知らぬ二人は、呑気に会話を続けていた。
「しかし、これからが問題だ。俺は腰が痛いから布団から出られないぞ」
ノームが眉をしかめながら言う。
「俺だってそうさ。全身が痛くて一歩も動けねえ」
タカギはそう言いながら、布団へさらに潜り込んだ。
まるで子供のような甘えた声だった。
「何が一歩も動けないだ。お前はまだ動けるだろ」
ノームは呆れたように言い返す。
「このまま部屋から出ないと、看守に怒られるぞ」
そう言いながら、ノームはなんとか起き上がろうとした。
「いてぇ!」
次の瞬間、腰に激痛が走ったのか、ノームは再び布団へ倒れ込む。
どうやら、本当にかなり痛いらしい。
元気なのは司だけだった。
だが、組長であるノームが動けないのであれば、勝手に部屋を出るわけにもいかないようだ。
どうしようかと司が考えていると、
「そうだ! 看守に朝飯を持ってきてもらえばいいさ」
タカギが妙案を思いついたように言った。
「なるほど!」
司は納得したように両手をぽんと叩く。
その直後だった。
ガチャリと部屋の鍵が開く音が聞こえた。
司は反射的に扉へ向かって歩き出す。
「なに!? 待て、司! 待つんだ!」
ノームが慌てて止めようとした。
しかし腰の痛みのせいで声に力が入らず、その声は司には届かなかった。
司はそのまま扉を開けた。
廊下には、看守三人と異人兵三人の姿があった。
どうやら他の部屋の鍵を開けている最中らしい。
司は近くにいた看守へ声をかけた。
「すみません。僕以外の二人が、昨日の訓練で体を痛めて動けないみたいなんです」
司は少し迷ってから続ける。
「朝ご飯を運んできてもらえませんか?」
その言葉を聞いた看守は、怪訝そうに眉をひそめた。
そして司の全身を上から下まで眺めると、腰のあたりへ手を伸ばす。
司はその動きを不思議そうに見ているだけだった。
看守は腰につけた小さな小物入れから、水晶玉を取り出した。
「待っていろ」
短くそう言うと、司の目の前で水晶玉へ話しかける。
「こちら、開錠組です。76組が、昨日の模擬戦で体を痛め、部屋から出られないため食事を運んでほしいと伝えてきました。指示を願います」
すぐに水晶玉から返答があった。
「76組? わかった。私が食事を持っていこう。君は仕事を続けてくれたまえ」
返答が終わると、水晶玉の淡い黄色の光が消える。
看守は義務は果たしたと言わんばかりに、その場を後にした。
「ありがとうございました」
司は去っていく看守へ慌てて頭を下げると、部屋へ戻っていく。
「よかったね。二人とも朝ご飯を運んできてくれるよ」
司がそう言うと、ノームとタカギは揃って驚いた顔をした。
「まじかよ! お前すごいな! さすがに俺でもそんなこと言えねえよ!」
タカギは目を丸くしながら叫ぶ。
「サイコーだぜ!」
そう言って笑い転げた。
さっきまで痛がっていたことを忘れたような笑い方だった。
ノームは心底信じられないという顔で、口をぱくぱくさせている。
「司、お前は臆病なのか、怖いもの知らずなのか、よくわからんな……」
司はノームの言葉の意味がよくわからなかった。
ただ首をかしげながら、二人を見ることしかできない。
「まあ、いいじゃないか。これが司だぜ」
タカギはひとしきり笑ったあと、目元に浮かんだ涙をぬぐいながら言った。
「飯は看守が運んできてくれるんだ。二度寝しようぜ、ノーム。二度寝」
そう言いながら、タカギは満足そうに布団へ潜り込む。
「まったく、何を呑気な」
ノームは呆れたようにため息をついた。
だが、そのまま自分も布団の上で目を閉じる。
司も二人を真似するように、布団へ戻っていった。




