第57話 模擬戦開始
戦闘開始の合図と同時に、七万四千人の雄叫びが平原へ響き渡った。
空気が震える。
まるで地面そのものが唸っているかのようだった。
最初に動いたのは、マイティ率いる青軍である。
異人たちは武器を持たず、一斉に前へ走り出した。
地響きのような足音が迫る。
土煙が舞い上がり、前列大盾隊へ向かって巨大な人の波が押し寄せていった。
王国軍の陣形は、防衛面において非常に優れている。
反面、攻撃能力は皆無に等しかった。
これまでの十年間、王国軍は敵の攻撃を圧倒的な物量で受け止め、そのまま押し潰す戦法しか取ってこなかったからだ。
今回の模擬戦でも、両陣営がただ睨み合っているだけでは訓練にならない。
そのため、両軍が交互に突撃と防衛を担当していた。
青軍が最前衛の前列大盾隊へ激突する。
鈍い衝突音が連続して鳴り響いた。
模擬戦であるため、大盾の前面には分厚い布団が固定されている。
突撃する異人たちへの衝撃を和らげるためだ。
それでも勢いよくぶつかれば、痛みは避けられない。
直後、大盾の上部から長槍が一斉に突き出された。
前列長槍隊の攻撃である。
長槍は穂先を丸め、その上から布を巻いた模造槍だ。
しかし、長さ六メートルの槍が何千本も同時に突き出される光景には、それだけで十分な威圧感があった。
実戦であれば、さらに上空から弓隊の矢が降り注ぐ。
だが、さすがに危険だと判断され、弓隊は矢をつがえず、射撃動作の訓練だけを行っていた。
青軍の突撃開始から、十分以上が経過していた。
異人たちは何度も前列大盾隊へ体当たりを繰り返す。
だが、陣形はわずかにも崩れない。
前列長槍隊の長槍の動きも乱れず、突破の兆しすら見えなかった。
見張り台の上から、その様子をロビンが静かに見下ろしている。
「ハインケル、聞こえるか?」
「はっ! 聞こえております」
ロビンが水晶玉へ向かって話しかけると、黄色く光った水晶玉からハインケルの声が返ってきた。
「現状では突破不可能だ。わざと青軍が入り込める隙間を作るんだ」
「かしこまりました。ただちに」
返答が終わると、水晶玉の光は消え、再び透明に戻る。
しばらくして、前列大盾隊の一部がわずかに開いた。
そこへ青軍が雪崩れ込む。
だが、その先で待っていたのは後列長槍隊だった。
密集した槍衾が、一斉に青軍を迎え撃つ。
この槍衾の突破は、不可能に近い。
隙間なく並ぶ長槍の壁。
無理に突っ込めば、そのまま串刺しになるだろう。
仮に仲間の死体を盾にして強引に押し込んだとしても、突破は困難だった。
正面からでは、なおさらである。
これこそが、物量で敵を圧倒する王国軍最大の強みである。
そして仮に後列長槍隊を突破したとしても、その先には六千人の後列大盾隊が待機していた。
さらに後方には三千人の弓隊。
最前線では致命傷を狙えなくとも、目前まで迫った敵兵を射抜くことなど容易だった。
しかも、この鉄壁の軍勢が、もう一つ存在している。
加えて、有事には補給部隊の異人、九千人も戦闘へ加わる。
さらに、一万人の歩兵騎士と、七千人の騎馬隊。
正面からこの軍勢を突破できる者など存在しない。
少なくとも、王国軍はそう信じていた。
青軍は最後まで後列長槍隊を突破することができず、攻守交代となった。
次は赤軍の番である。
司たちは、前列大盾隊へ向かって突撃を開始した。
「うおおおおおっ!!」
周囲の異人たちが雄叫びを上げながら前へ走る。
司も巻き込まれるように一緒に走り出した。
地面が激しく揺れる。
大勢で一斉に走っているせいで、逃げようにも逃げられない。
前方には巨大な大盾の壁。
模擬戦用に布団で覆われているとはいえ、あれに正面からぶつかるのかと思うと、普通に怖かった。
司が若干足を緩めた瞬間だった。
後ろでにやりと笑ったタカギが、両手で司の背中を押した。
「うわぁぁっ!?」
司の体が前へ吹き飛ぶ。
そのまま勢いよく大盾へ激突した。
分厚い布団のおかげで激痛まではいかない。
だが、直後に後ろから突っ込んできたタカギとノームの衝撃で、司は思わず変な声を漏らした。
「ううぅ……」
体を押し潰されるような痛みに顔をしかめる。
すると次の瞬間、大盾の上から長槍が突き出された。
前列長槍隊の攻撃だ。
穂先は丸くなり、布で覆われている。
それでも六メートル近い長槍で突かれれば普通に痛い。
司の頬へ槍先が当たる。
鈍い衝撃が走った。
しかも一本では終わらない。
引っ込んだと思った次の瞬間には、また別の長槍が顔めがけて振り下ろされる。
「痛い痛い!!」
司は慌ててその場から離脱した。
ノームとタカギもすでに後ろへ下がっている。
一度離脱した者は死亡扱いとなり、元の位置へ戻される。
そして、また突撃。
これを延々と繰り返すのだ。
長槍に突かれた頬をさすりながら、司はげんなりしていた。
(またやるのこれ……)
すると、すぐ近くから怒鳴り声が飛ぶ。
「早く訓練に戻らないか!!」
看守長キムだった。
司は肩をびくりと震わせる。
「は、はいっ!」
結局また突撃させられ、再び長槍に突かれた。
赤軍が攻めても結果は同じだった。
どれだけ体当たりを繰り返しても、陣形は崩れない。
見張り台の上で、その様子を見ていたロビンは満足そうに頷いていた。
これであれば、どのような敵が来ようとも我が軍団は負けない。
彼はそう確信していた。
模擬戦は、太陽が沈むころまで続いた。
何度も突撃を繰り返し、異人たちは全員ぼろぼろだった。
足を引きずりながら帰路につく者。
肩を貸し合いながら歩く者。
地面へ倒れ込みそうになっている者までいる。
司も全身が痛かった。
特に長槍で何度も叩かれた頬がじんじんと熱を持っている。
洗濯場へ到着すると、異人たちは終始無言で体の汚れを洗い流した。
水をかぶる音だけが静かに響く。
誰も喋る気力すら残っていない。
そのまま三人は食堂へ向かった。
疲れ切った体を引きずるように席へ座る。
さすがにノームもタカギも疲れているのか、すぐには食事へ手をつけなかった。
今日の夕食は粥だった。
白い米の中には、ハーブなのかよく分からない植物が細かく混ざっている。
湯気と一緒に、ほんのり塩の香りが漂っていた。
司はスプーンで粥をすくい、ゆっくり口へ運ぶ。
温かい。
塩加減もちょうどいい。
その瞬間、自然と涙が滲んだ。
ここ一週間の訓練生活はとても過酷だ。
何度も逃げ出したくなる。
だが、その気持ちを忘れさせるように、食事だけは妙にうまかった。
司はぼんやりと、「よくできているな」と思った。
横を見ると、ノームとタカギも同じように粥を食べている。
タカギは天井を見上げながら両手を合わせていた。
まるで天使でも見えているかのような顔である。
「うめぇ……」
ぼそりと呟く声には、本気で感動しているのがよく出ていた。
一方のノームは、一気に粥を胃へ流し込み、大きく息を吐く。
「ふぅ……生き返るな」
低い声に、疲労と安心が混ざっていた。
二人とも、疲れ切った体を癒やしてくれる粥の余韻を静かに味わっていた。
食事を終えると、三人は部屋へ戻る。
無言のまま布団を敷き、そのまま倒れ込むように横になった。
そして、あっという間に眠りへ落ちていった。




