第56話 訓練六日目 模擬戦
訓練六日目。
異人たちは、朝から指定された場所へ急ぎ、部隊ごとに整列していた。
乾いた土を踏み鳴らす足音。
怒号のように飛び交う看守たちの指示。
広い平原には、朝から異様な熱気が満ちていた。
部隊の構図としてはこうなっている。
まず最前列に並ぶのは、二千個の大盾と六千人の前列大盾隊だ。
三人がかりで支える巨大な盾が横一列に並ぶ光景は、まるで巨大な壁だった。
彼らは敵の突進を真正面から受け止め、進行を食い止める役割を持つ。
そして、大盾隊と敵が衝突するのと同時に、後方に待機する四千本の長槍と一万二千人の前列長槍隊が動く。
全長六メートルにも及ぶ長槍が、大盾の上から一斉に突き出されるのだ。
次に、後列には長槍三百本が横一列となり、それが縦十列に並ぶ。
総数三千本、一万人の後列長槍隊である。
司たち『253番街』は、その最後尾――十列目に配備されていた。
彼らは、万が一、前列大盾隊と前列長槍隊が突破された場合、即座に槍衾を形成して敵の進行を止める役割を担っている。
さらにその後方には、二千個の大盾と六千人の後列大盾隊が待機していた。
役割は二つ。
槍衾を突破してきた敵を防ぐこと。
そして撤退時の防衛線になることだ。
後列大盾隊のさらに後方には、弓隊三千人。
彼らは前列大盾隊へ突撃してくる敵の勢いを削ぐ役目を持っている。
矢は確かに敵へ届くだろう。
しかし目的は殺すことではない。
大盾隊との衝突時、その威力を少しでも弱めるためである。
総勢三万七千人の異人。
そして彼らの前には、同じく三万七千人の異人たちが並んでいた。
敵役として用意された彼らもまた、同じ陣形を取っている。
今回の遠征は十万人規模での大移動だ。
そのため軍は二つに分けられていた。
さらに九千人の支援部隊も存在する。
彼らは進軍中の支援、物資の運搬、調理、洗濯などの衛生管理を担当していた。
そして、一万人の歩兵騎士と、騎馬隊七千人である。
両陣営から少し離れた場所に、簡易的に組まれた見張り台が設置されていた。
そこへ騎士たちを引き連れ、一人の男が姿を現す。
白髪をオールバックに撫でつけ、片眼には黒い眼帯。
黒を基調とした軍服には金の刺繍が施され、周囲の騎士たちとは明らかに格が違って見えた。
この大隊を率いる総司令官――大隊長ロビンである。
ロビンは騎士たちを見張り台の下に残し、二人だけを連れて階段を上り始めた。
重たい軍靴が木製の階段を踏むたび、ギシ、ギシと乾いた音が鳴る。
ロビンたちが見張り台の上へ到着した瞬間だった。
異人たちが一斉に地面へ伏せる。
服従の礼――土下座である。
七万四千人が同時に頭を下げる光景は、どこか異様で、それでいて美しかった。
まるで礼拝堂で神へ祈りを捧げているようにも見える。
司も周囲に合わせて頭を下げた。
これだけ大勢いるのに、妙に静かだった。
ロビンの手には、手のひらに収まるほどの小さな水晶玉が握られていた。
マイクのように使うことで、看守長たちに渡された水晶玉をスピーカーの役割として大部隊全体へ声が行き届くようになっている。
ロビンが水晶玉へ向かって口を開く。
すると、水晶玉が薄い黄色に淡く発光した。
「これより模擬戦を行う。諸君らの目の前にいるのは仲間ではない」
低く響く声が、平原全体へ広がっていく。
「これから戦う敵であると認識するのだ」
ロビンは左拳を握り、顔の高さまでゆっくり持ち上げた。
「今日一日、両陣営は何度も戦いを挑み、実戦に向けた訓練を行う」
「諸君らの活躍次第で、王国の未来が決まると知ってもらいたい」
その声には無駄な感情がない。
だが、それだけに重みがあった。
周囲の異人たちも、一言も喋らず話を聞いている。
「さて、私の話はこれぐらいにして、両陣営の中隊長にあとは任せるとしよう」
ロビンは話を終えると、一歩後ろへ下がった。
代わるように、残っていた二人の騎士が前へ出る。
一人は、フルプレートの上から全身を覆うほど巨大な深紅のロングマントを羽織っていた。
赤軍中隊長ハインケル。
風に揺れる赤いマントが、朝日に照らされて不気味なほど鮮やかに見える。
もう一人も同じように大きなロングマントを着用していた。
だが、こちらは深い青色だ。
青軍中隊長マイティ。
ロングマントの下は軽装の鎧だけで、ほとんど肌を露出している。
むき出しの筋肉は盛り上がり、まるで戦うためだけに鍛え上げられた肉体だった。
顔立ちは、正直ハインケルほど整ってはいない。
そのせいか、騎士たちの間では「ゴリラに似ている」と陰で噂されている。
もっとも、本人はまったく気にしていないようだが。
太陽の光を反射するスキンヘッドは妙に目立ち、野性的な紫色の瞳には妙な迫力があった。
見た目だけなら、ハインケルの方が華があるかもしれない。
だが、騎士たちからの人望はマイティの方が圧倒的に高かった。
理由は単純だ。
彼は身分を気にせず部下たちと話し、宴を開き、酒を飲む。
異人たちに対しても必要以上に冷たく接することはなく、きちんと人間として扱っていた。
対するハインケルは、女性人気こそ高いが、あまり褒められた性格ではない。
他人に対して冷淡で、問題を起こした異人への拷問や尋問も自ら進んで行う。
そうした冷酷な性格もあってか、騎士たちも彼をあまり慕ってはいなかった。
両陣営は赤軍、青軍に分けられており、二人のマントの色がその目印になっている。
ロビンが、この正反対の二人を今回の片腕として中隊長に選んだのには理由があった。
今回の大遠征は、建国以来初めてのことだ。
今まで防戦一方だった王国が、初めて外へ打って出る。
何が起きるか分からない。
敵も今までとは違い、苛烈な攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
だからこそロビンは考えていた。
正反対の二人だからこそ、大部隊がうまく回るのではないかと。
これは賭けでもある。
だが、今後の王国のためには必要なことだった。
たとえ反乱軍を鎮圧できても、何十年後にまた同じことが起きるかもしれない。
現在、大軍をまとめられる者はカール、ロビン、ジョセフなど王家の人間に限られている。
今後は優秀な貴族にも指揮権を与え、軍そのものを強化していく必要があった。
だからこそロビンは、この二人の摩擦に期待している。
今後の王国のために。
「さて、先ほど大隊長殿より説明があった通り、実戦的な模擬戦を行う」
ハインケルが口を開いた。
その声音は冷たい。
人へ説明する声というより、罪人へ刑罰を言い渡すような鋭さがあった。
「これから二人の中隊長の指揮のもと、両陣営がぶつかり合う」
「諸君らには全力で戦ってもらう。わかっているだろうな? この戦いは王国にとって――」
その瞬間だった。
マイティが横から手を伸ばし、ハインケルの持っていた水晶玉をひったくった。
あまりにも自然な動作だったため、見張り台の下にいる騎士たちが一瞬固まる。
ハインケルの眉がぴくりと動いた。
舌打ちをし、冷たい視線を向ける。
だが、マイティはまるで気づいていなかった。
「能書きはいい!! とっとと模擬戦を始めるぞ!!」
マイティの大声が平原へ響き渡る。
「ぶつかって! ぶつかって! ぶつかりまくれ!!」
その豪快な叫びに呼応するように、騎士たちも大声を上げた。
空気が一気に熱を帯びる。
反対に、ハインケルは面白くなさそうに目を細めていた。
二人のやり取りを後ろから見ていたロビンだけは、何も言わず静かに様子を見ていた。




