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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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53/71

第53話 覚悟

 キムはノームと異人兵を引き連れて、小隊長ロイスの元に戻ってきた。

 足並みは揃っているが、空気は重い。

 誰一人、余計な音を立てようとしなかった。


 彼らはすぐさま服従の礼を取り、額を地面にこすりつける。

 乾いた土の感触が額に食い込み、ざらりとした痛みが広がった。


「そいつが原因か?」


 ロイスの声は、すでに苛立ちが混じっている。


「はっ! この者が小隊長殿の命令を聞き逃し、全体の足を止めていました」


 キムは即座に答えた。

 声は張っているが、喉の奥がわずかに引きつっている。


「そうであったな!?」


 キムは背後のノームへ振り返らず、強い口調で確認した。


 すると、ノームは間を置かず、


「そのとおりです。すべての責任は私にあります」


 と、落ち着いた声で答えた。


 迷いのない声だった。

 言い訳も、弁明もない。


 その声を聞いた瞬間、キムの胸の奥がざらついた。


(……ふざけるな)


 無性に腹が立った。

 両手に力が入り、指の間から土がこぼれ落ちる。


 キムは歯ぎしりしながら地面を睨みつける。

 視界の端で、細かな砂がわずかに震えていた。


 そのときだった。


「……なっ」


 ロイスの驚いた声が響いた。


 何が起きたのか分からないまま、キムは反射的に顔を上げてしまう。


 そこに立っていたのは――


 中隊長ハインケルだった。


 重厚なフルプレート。

 磨き上げられた金属が鈍く光り、深紅のマントが風に揺れている。


 まるでそこだけ空気が変わったようだった。


 キムは目を見開いた。

 心臓が一拍、遅れて強く跳ねる。


 あまりにも突然だった。

 喉が一気に乾き、息がうまく吸えない。


 ハインケルと目が合う。


 その瞬間、キムは慌てて頭を下げた。

 許可なく顔を上げてしまったことに、背筋が冷える。


「ロイス、何があったのか聞かせてみろ」


 低く、冷たい声だった。

 感情が一切乗っていない。


「はっ! この異人が私の命令を聞き逃し、隊列が乱れた結果……」


 ロイスが説明を始める。

 だがその声は、わずかに震えていた。


「ああ、もうよいよい。その異人の責任だな?」


 途中で、ハインケルが遮った。


 ロイスは言葉を失ったようだ。

 キムの脳内では口をぱくぱくさせているのが容易に想像できた。

 やがて、小さく「はっ」と返事した。


「では、この異人は処分するとしよう。看守長、貴様の責任でもある。お前が始末しろ」


 静かに告げられたその言葉は、刃のように鋭かった。


 キムの思考が止まる。


 身体が、動かない。


 ノームを始末する。

 つまり――処刑だ。


 頭の中に、過去の記憶が浮かぶ。


 十代の頃。

 同じ組で、同じ飯を食っていたあの日々。


 ずっと大嫌いだった。


 何度も口げんかした。

 何度も殴り合った。


 そのたびに、組長だったリュウに怒鳴られた。


 それでも――


 何度も助けられた。

 何度も一緒に笑った。


 くだらないことで、肩を叩き合った。


 あのノームを……。


 胸の奥が締め付けられる。


 キムは葛藤した。

 そして――覚悟を決めた。


 ゆっくりと、固く閉ざしていた口を開こうとする。


 そのときだった。


「待ってください。ノームじゃないんです。ぼくです」


 少年の声が、場の空気を切り裂いた。


「よせ、司! 戻ってこい」


 遠くから男の叫び声が響いた。

 切羽詰まった声だった。

 場の空気が一瞬ざわつく。


 キムは思わず顔を上げそうになる。

 だが、歯を食いしばり、ぐっとこらえた。


「貴様! 異人の分際で服従の礼もせずに無断で口を開きおって!」


 ロイスの怒声が叩きつけられる。

 その直後、ドサッと鈍い音がした。

 少年が慌てて土下座したのだろう。


(よせ! 何もするな)


 キムは心の中で叫ぶ。

 だが、その声が届くはずもない。


「どういうことだ? 貴様なにを知っている?」


 ハインケルの声は変わらず冷たかった。


「ノームじゃないんです。ぼくが、少年が倒れるところを見てしまって、それで命令を聞き逃したんです」


 少年は言葉を詰まらせながらも、一気に吐き出した。

 そのまま、大きく息を吸い――泣き出す。


 押し殺せていない、子どもの泣き声だった。


「司! やめろ!! はなせ!!」


 先ほどの男の声が、今度はすぐ近くで響く。

 荒く息を切らしているのが分かる。


 人混みをかき分けてきたのだろう。

 だが、周囲の異人たちに押さえつけられている気配があった。


 キムは地面を見つめ、どうすることもできないこの状況が歯がゆかった。


(終わりだ……)


 76組は全員処刑される。

 いや、それだけでは済まない。


 253番街全体に処罰が下る。


 キムの頭には、その未来しか浮かばなかった。


「なんともくだらない。全員顔を上げよ」


 ハインケルの声が、場を切り裂いた。


 キムはその言葉の意味を理解できなかった。


(……今、なんて言った?)


 聞き間違いだと思った。


「もう一度言う。全員顔を上げよ」


 今度は、はっきりと聞こえた。


 キムはゆっくりと顔を上げる。

 周囲でも、同じように顔を上げる気配が連なる。


 ざわり、と空気が動いた。


「看守長よ、どこの異人街だ?」


 ハインケルが見下ろしてくる。

 その目は氷のように冷たく感じ、キムは背筋が凍る思いであった。


「253番街です」


 キムはなんとか声を絞り出した。

 喉が乾ききっている。

 声がかすれる。


 届いたのか、不安になるほど小さかった。


「本来であれば処分したいところだが、今回は新たに補充する時間がない」


 ハインケルは淡々と続けた。


「だが、こうも場を乱す異人街を前列には置いておけない。よってこの異人街は後列に移す。いいなロイス?」


「はっ! そのように致します!」


 ロイスが勢いよく敬礼する。


 キムは心底助かったと思い、肩の荷が軽くなった気がした。


「だが、このままでは示しがつかない」


 その一言で、キムの思考が止まった。


 背筋に冷たいものが走る。


「ロイス! 『こん棒』を持ってこい!!」


 命令が飛ぶ。


 ロイスはすぐに配下へ指示を出した。

 騎士が駆け、すぐに戻ってくる。


 その手には、無骨なこん棒が握られていた。


「看守長よ。その異人の尻をこん棒で叩け!」


「は……いっ? 今なんと……」


 キムは思わず聞き返した。

 乾いた喉から、かすれた声が漏れる。


 理解できなかった。


「この異人は我々を騙そうとした。さらに、その嘘を見落とした看守長の責任でもある。よってこれは罰だ」


 淡々とした説明だった。

 そこに、迷いは一切ない。


 騎士がこん棒をキムの前に突き出す。


 キムはそれを受け取った。


 ずしりと重い。

 手のひらに、現実が食い込んでくる。


(……俺が、やるのか)


 混乱の中で、思考が追いつかない。


 そのとき――


 ノームが立ち上がった。


 ゆっくりと。

 迷いのない動きで。


 そして、両手を前に出し、キムに背を向ける。


「なに……をしている。ノーム……」


 声が震えた。


「なにを、とは? 中隊長殿が言われた通りに、罰を受ける準備をしています」


 ノームは淡々と答えた。

 当たり前のことを言うように。


 その背中は、まっすぐだった。


 キムは周囲を見渡す。


 先ほどの少年と男が、異人たちに押さえつけられているのが見えた。

 必死にもがいている。


 近くの看守が、小さく耳打ちする。


「……やるしかない」


 逃げ道はなかった。


 キムは深く息を吸う。

 ゆっくり吐く。


 覚悟を決め、ノームの背後に立つ。


 こん棒を握る手に、力を込める。


 振り下ろす。


 バシッ――乾いた音が響いた。


「だめだ。もっと全力で叩け」


 ロイスがにやけながら言う。


 キムはハインケルの方を見る。


 無表情でこの様子を眺めていた。


 キムはもう一度、深く息を吸う。


 そして――


 力いっぱい振り下ろした。


 バシンッ――さっきより重い音。


 ノームのうめき声が漏れる。


 その音が、耳に残る。


 キムは歯を食いしばる。


 そして、何度も振り下ろした。


 叩くたびに、重い音が響く。

 うめき声が、空気に混ざる。


 それは、いつまでも消えなかった。

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