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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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第50話 訓練三日目 長槍隊合同訓練

 訓練三日目。


 二日目と同じく、号令に合わせて長槍を振り続ける。

 乾いた空気を切り裂くように、槍の先が一斉に前へ突き出されていた。


 ただし今回は違う。

 他の異人街も合流した、長槍隊総出の合同訓練だ。


 見渡す限り、槍、槍、槍。

 どこまで続いているのか分からないほどの人の列が、整然と並んでいた。


 そして、その全てに号令を出しているのは、長槍隊の小隊長である。


 小隊長は二名いる。


 一人は、『前列長槍隊 小隊長』。

 もう一人は、『後列長槍隊 小隊長』である。


 前列長槍隊とは、九千人が大盾隊の真後ろに待機し、

大盾隊に突撃してきた敵へ長槍を突き刺す役割がある。


 盾の隙間を縫うように、敵を仕留める。

 まさに最前線の“刃”だった。


 そして後列長槍隊は一万二千人。

 万が一、敵が大盾隊を突破してきた際に槍衾を形成する。

 あるいは前列がやられた場合の補充となる。


 前列と後列を合わせて総勢二万一千人の大部隊である。


 司たちが所属する253番街は、前列長槍隊に配属された。


 前列長槍隊 小隊長の号令に合わせて、異人たちは規則正しく長槍を振り続ける。


「1、2、1、2、1、2、1、2」


 掛け声に合わせ、足音と槍の風切り音が重なる。

 地面がわずかに震えている気がした。


 最初こそ、わずかに動きの乱れはあった。

 タイミングが半拍ずれたり、槍の高さが揃わなかったり。


 だが、それもほんの一瞬のことだった。


 昨日の異人街合同訓練の成果か――

 それとも、目の前にいる騎士への恐れか。


 理由はどうあれ、変化は明らかだった。


 七つの異人街による、初めての合同訓練。

 本来なら足並みが揃うはずもない寄せ集めのはずが、


 気づけば一時間も経たないうちに、全体の動きは完全に統一されていた。


 まるで一つの巨大な生き物みたいだ、と司は思った。


 これだけの人数で息を合わせるのは、とても心地がいい。


 自分一人じゃない。

 誰かと同じ動きをしているという安心感があった。


 司は、中学の音楽祭で学年全体で合唱したときを思い出した。


 音痴でうまく歌えなかったけど、

 あのときも、みんなと声を揃えるのが不思議と気持ちよかった。


 胸の奥が、少しだけ落ち着くような感覚だった。


 昼食は、味噌カツサンドが配られた。


 油の匂いがほんのり漂い、

 紙に包まれたそれを見て、司は目を丸くした。


 こんなものがあるのか、と素直に驚く。


 どうやら異人が勝手に作り、人気が出たらしい。

 今では国民のファーストフードランキング上位に入っているという。


 司は口を大きく開けて、一口かじった。


 サクッ――というより、ボソッとした感触。

 パンも衣も少し乾いていて、口の中の水分を一気に持っていかれる。


 思わず、喉が詰まりそうになる。


 それでも、空腹の体には十分だった。

 労働の後であれば、とてもおいしく感じる。


 ノームとタカギも同じ気持ちなのか、複雑そうな顔をしている。


「……微妙だな」

「だな」


 そんな顔をしながらも、二人とも手は止まらない。


 結局、三人とも無言で食べきっていた。


 午後からは、長槍を持ったまま隊列を素早く組むための訓練を行う。


 小隊長に指定された場所へ、大急ぎで移動し隊列を組む。

 単純なようで、これがなかなか難しい。


 二万一千人が一糸乱れずに動くことを要求される。


 しかし、全長六メートル、総重量三十五キロの長槍を持ったまま移動する。

 少し足がもつれるだけで、隊列はすぐに乱れる。


 肩に食い込む重み。

 握った手がじわじわと痛くなる。


 思うように前へ進めない。


 動きはバラバラで、長槍を落とす組や、転倒する組もいた。


 ガシャン、と鈍い音が響くたびに、周囲の空気が一瞬だけ固まる。


 その都度、小隊長はその組が属する異人街代表である看守長を呼びつけた。


 理由は決まっていた。

 看守長を怒鳴りつけるため、殴りつけるためだ。


 ついに、司たちが属する253番街の看守長キムが呼び出された。


 キムは小隊長と騎士たちの前まで駆け足で近づいた。

 土を蹴り上げながら、息を切らしている。


 すると、数歩下がりながら膝を折り、即座に額を地面にこすりつけた。


 それは、迷いのない動きだった。


 見事な土下座――『服従の礼』である。


 土に額を押しつけたまま、キムは「申し訳ありませんでした」と謝罪した。


 しかし、その態度が逆に癪に障ったらしい。


 次の瞬間、騎士の一人が無言で足を振り上げた。


 鈍い音。


 キムの体がわずかに跳ねる。


 それを合図にしたかのように、他の騎士たちも囲み、次々と踏みつけ始めた。


 しかも、全員フルプレートのままだ。


「謝れば済むと思っているのか」


「異人の分際で、我々をなめているとしか思えん」


 冷たい声が上から降ってくる。


 キムは全身を踏みつけられながら、何度も「すみません」と繰り返した。


 腕で頭を守り、体を丸める。


 それでも衝撃は止まらない。


 乾いた音が、何度も繰り返し響く。


「おいおい、やりすぎだろ」


「ただの八つ当たりだろ」


 周りの異人たちが、小声で非難する。


 司はそれを、はっきりと聞いていた。


 だが、誰も止めに入らない。

 誰も止められるはずがない。


 空気が重い。

 止めに入れば間違いなく自分が殺されることを理解していたからだ。


「おいおい、その辺で許してやれ」


 騎士たちが満足した頃、小隊長が軽く言った。


 まるで退屈な芝居を見終えたあとのように。


 小隊長は、にやにやした顔で地面に横たわるキムを見下ろしている。


 そして、異人たちへ視線を向けた。


「いいか? これは遊びじゃない。訓練だ。ふざけた態度はこの私が許さないぞ」


 笑いながらの言葉だった。


 その言葉に、異人たちは何も言えなかった。


 ただ視線だけが、わずかに揺れる。


 非難と、諦めと、恐れ。


 それらが混ざった、どうしようもない目だった。


 ぼろぼろになったキムを、看守たちが静かに運んでいく。


 誰も声をかけない。


 訓練は何事もなかったかのように再開された。


 その後も、看守長たちはことあるごとに呼び出され、『指導』を受けていた。


 同じ光景が、何度も繰り返される。


 訓練が終わる頃には、誰も口を開こうとしなかった。


 異人たちは一言も話さず、食堂へ向かっていく。


 足音だけが、やけに大きく響いていた。


「司、今日の出来事は忘れろよ」


 タカギの一言は、とても重かった。


 司は小さく頷いた。


 うまく言葉が出なかった。


 夕食はカレーライスだった。


 湯気が立ち上り、食堂には香辛料の匂いが広がっていた。

 本来なら食欲をそそるはずの匂いだ。


 だが、おかわりは出来ないと分かり、司はまたしても肩を落とした。


 カレーライスには牛肉の代わりに鶏肉が入っている。

 少し固いが、ルーとよく合っていた。


 いつもなら、文句を言いながらもうまいうまいと食べていた。


 けれど――今日は違った。


 さっきの光景が、頭から離れない。


 踏みつける音。

 地面に押しつけられたままのキムの姿。


 思い出すたびに、食欲が失せていった。


 食事はあまり喉を通らなかった。


 それでも、なんとか食べきった。


 食堂にいる異人たちもいつもと違い、口数が少なかった。

 普段であればもう少しにぎやかなのに、今日はとても静まり返っていた。

 

 食後、部屋に戻ると、司はノーム、タカギに質問した。


「ねえ? どうして騎士たちはあんなに看守長たちに暴力を振るうの?」


 ノームは苦虫を噛み潰したような顔をした。


 すぐには答えない。

 ほんのわずか、間があった。


「……ただのストレス発散だ。何かと『騎士様』はお忙しいらしいからな」


 低く、吐き捨てるような声だった。


 いつもの穏やかな調子とは明らかに違う。


 ノームにしては珍しい悪態に、司は驚いてタカギの方を見る。


 タカギは首をゆっくり横に振った。


「もうその辺にしとけ」


 短く、重い声。


 司は一瞬、自分に言われたのかと思った。


 だが違った。


 ノームが「ああ、そうだな。悪かった」と小さく答えたからだ。


 そのやり取りで、空気が少しだけ張りつめる。


 しばらく、沈黙が続く。


 誰も何も言わない。


 司はこれ以上聞いてはいけないと思った。


 だから話題を変えることにした。


 ずっと気になっていた言葉を、思い切って口にした。


「ねえ、『死に隊』ってなに?」


 二人の動きが止まった。


 次の瞬間、鋭い視線が司に向けられる。


「どこで聞いた?」


「だれからだ?」


「いつだ?」


「どういう経緯で?」


 二人に一気に詰め寄られて、司は思わず体を引いた。


「さ、さっき食堂で、聞こえて……」


 声が自然と小さくなる。


 ノームは「そうか」とだけつぶやいた。


 それから、少しだけ力を抜いたように息を吐く。


「別に隠していたわけではないが、死に隊とは造語だ」


「本当はそういう部隊なんて存在しない。だが、異人が勝手にそう呼んでいる」


 ノームは苦笑した。


 だが、その笑みはどこか寂しげだった。


「戦いに赴けば、どうしても死地へ向かわなければならないことがある」


「圧倒的不利な状況での一発逆転。敵に包囲されて絶体絶命――そういう場面はいくらでもある」


「だが、我々異人の場合は少し違う」


 ノームの声は静かだった。


 怒鳴るでもなく、淡々と続ける。


 だからこそ、言葉が重く響く。


「敵情視察のために、少数で突撃させられる」


「殿として……いや、トカゲの尻尾切りとして、退却を許されないまま戦地に置き去りにされる」


「負けると分かっている戦いに、異人だけで送り込まれる」


 一つ一つ、ゆっくりと言葉が積み重なる。


「必ず死ぬことが前提で立案された作戦が、星の数ほどある」


 その言葉のあと、部屋が静まり返った。


 ノームは天井を見上げていた。


 その表情は、どこか遠くを見ているようだった。


 寂しさと――ほんのわずかな怒り。


 そんなものが混ざっているように見えた。


「すべてが異人の犠牲で成り立っている」


「だから、異人たちの間で『死に隊』なんて言葉が生まれた」


 そう言ってから、ノームは司の方を見る。


 そして、いつものように優しく微笑んだ。


「実は明日、合流する大盾隊も死に隊と呼ばれている」


「王国側としては、そういう意図はないと言うだろう」


「だが、最前線で敵と真っ先にぶつかる大盾隊は死亡率が高い」


「半壊することも珍しくない」


「その次に命を落としやすいのが長槍隊だ」


 司は思わず、自分の手を見た。


 昼間、握っていた長槍の感触がよみがえる。


「消耗品である異人ならではの扱い方、ということだ」


 ノームはそう締めくくった。


「王国側はそういう意図はないと断言するがな」


 その言い方には、わずかな皮肉が混じっていた。


 司はその話を聞きながら、ある疑問が浮かんだ。


「ねえ? どうしてノームはそんなに詳しいの?」


 ノームが一瞬、固まった。


 ほんのわずかな変化だったが、司には分かった。


「たしかにそうだぜ。ノームは色々と詳しいな」


 タカギも同じように不思議そうに聞く。


 ノームは少しだけ間を置いてから、ふっと笑った。


「ふっ、長年組長をやっていると色々と知ることになるんだ……」


 いつもの調子に戻った声だった。


 だが、その奥にあるものまでは隠しきれていないように感じた。


 二人はそれ以上、何も聞かなかった。


 ノームの言葉になぜか異論を言う気がおきなかった。

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