第48話 ノームの過去
食事を終え、三人が部屋へ戻ると、タカギが真っ先に口を開いた。
「なあ、あの看守長は大丈夫か? 船を下りた時もそうだったが、説明がまわりくどくてわかりにくいんだよな」
タカギはちゃぶ台の前に腰を下ろしながら、不満そうに頭をかいた。
その言葉に、ノームが小さく鼻で笑った。
「やつは昔からああだ」
ノームもちゃぶ台の前に座ると、腕を組んだ。
「私がこの世界に来た頃に同じ組だったがな」
「あいつは長い物には巻かれろという性格で、組長には従順だった」
「だが、私には妙に高圧的でな」
そこでノームは肩をすくめ、口元をわずかに緩めた。
「まあ、私も負けずに言い返していたがな」
昔を思い出しているのか、その顔にはどこか懐かしそうな笑みが浮かんでいた。
司はそんなノームを見ながら、ふと気になった。
今までノーム自身の話を、ほとんど聞いたことがなかったのだ。
「ねえ、ノームの若い頃ってどんな感じだったの? 今まで聞いたことなかったよね」
そう聞くと、ノームはゆっくりと司の方を向いた。
その表情は穏やかで、いつもの厳しい組長の顔とは少し違って見えた。
「司。私も今でも若いぞ?」
ノームが冗談っぽく笑う。
「はいはい、若い若い」
すかさずタカギが口をはさんだ。
ノームの眉がぴくりと動く。
「うるさいぞ」
低い声で睨まれ、タカギは「おお、怖え」とでも言いたげに肩をすくめた。
それから両手で自分の口を閉じる真似をする。
そのやり取りが妙におかしくて、司は思わず小さく笑ってしまった。
「そうだな。これまで司のことばかり聞いて、私たち二人の話はあまりしてこなかったな」
ノームはそう言って、小さく息をついた。
司が異世界へ迷い込んでから、もう一か月が過ぎていた。
これまで話すことといえば、仕事のことや司の身の上のことばかりだった。
司も、ノームやタカギが元いた世界については、ほとんど知らなかったのだ。
「私の生まれは、小さな村だ。漁師だった父と母、それに弟の四人で暮らしていた」
ノームが静かな声で話し始める。
「私が生まれる何十年も前に、どこか遠くへ隕石が落ちたらしい」
そう言いながら、ノームは片手を高く上げ、落ちてくる隕石の真似をした。
「その衝撃で巻き上がった塵や瓦礫が空を覆ってな。太陽の光が地上へ届かなくなったんだ」
「だから、私がこの世界へ来るまで、一度も太陽を直接見たことがなかった」
司は思わず目を丸くした。
太陽を見たことがない。
そんな生活は、司には想像もできなかった。
「環境の変化で食べ物もほとんどなくてな。漁はしていたが、食べられる魚も少なかった。毎日、生きるだけで必死だったよ」
ノームはどこか遠くを見るような目をしていた。
さっきまで浮かんでいた笑みも、少しだけ薄れている。
「だが、優しい両親と弟がいた。貧しくても、私は幸せだった」
そう言い切った時だった。
ノームはふっと表情をやわらげ、子供のように無邪気に笑った。
司は少し驚いた。
出会ってから今まで、こんな穏やかな表情をするノームを見たことがなかったからだ。
「弟は五歳下でな。どことなく司に似ていたよ」
ノームは懐かしそうに目を細める。
「何かあるたびに私のところへ来てな。腹が減ったとか、捕まえた虫を逃がしたとか、怖い夢を見たとか言って泣きついてきた」
そこでノームがちらりと司を見る。
司は、初めてノームと出会った日のことを思い出した。
泣きながら抱きついてしまったことを。
急に気恥ずかしくなり、視線をそらす。
そんな司を見て、タカギがニヤニヤしていた。
「十歳の時、初めて漁へ出た」
ノームの声色が変わった。
さっきまでの柔らかい響きが消え、部屋の空気が重くなる。
「その日は珍しく風がなくてな。ラジオでも波は穏やかだと言っていた」
「父は、初めて漁へ出るにはちょうどいい日だと言って、私を連れて行ってくれたんだ」
ノームはそこで一度言葉を切った。
「だが、沖へ出た途端に天気が荒れ始めた」
司は、ノームの顔が少しずつ暗くなっていくのに気づいた。
なんとなくタカギを見る。
タカギも同じように気づいていたのか、いつもの軽い表情を消して黙っていた。
「大きな波がボートの横に叩きつけられてな」
「小さな漁船だった。ひとたまりもなく転覆したよ」
ノームの視線が、ゆっくりと床へ落ちていく。
「陸地は数十メートル先に見えていた。父が『陸へ向かって泳げ!』と叫んでいたのを覚えている」
ノームの低い声だけが、静かな部屋に響いた。
「しかし、その直後にもっと大きな波が来た」
「私たちは波に呑み込まれて、そのまま意識を失ったんだ」
ノームは小さく息を吐いた。
そして、少し間を空けてから再び口を開く。
「気が付いた時には、異人街の居住区で倒れていた」
「周りには見たこともない建物ばかりで、父の姿はどこにもなかった」
「私は必死に父の名前を叫んだ。だが、すぐに異人兵に捕まって監督官のところへ連れていかれた」
司は黙って話を聞いていた。
ノームの声は穏やかなままだった。
その静かな口調が逆につらそうに聞こえる。
「結局、父には会えなかった。おそらく助からなかったのだろう」
ノームは悲しそうに首を横へ振った。
「その後、ある組へ入れられてな。そこでキムと出会った」
少しだけ口元がゆるむ。
「同い年だったが、あいつは私より先にこの世界へ来ていたからな。先輩風を吹かせて、やたら絡んできたものだ」
その言い方が妙におかしくて、司は少しだけ肩の力が抜けた。
「だから、私もよく口論していた。そのたびに組長だったリュウさん――今の看守長の一人だが――あの人に怒鳴られていたな」
ノームは懐かしそうに笑った。
「最初の頃は、父のことばかり考えていた」
「残された母と弟は、どうなったのか、とかな」
部屋の空気がまた静かになる。
「もう四十年も経つのか。母も弟も、きっともう生きてはいないだろう」
「あの世界では、長生きしても四十歳くらいだったからな」
「気づけば、とっくに父の年齢を超えていた」
ノームは目を閉じ、しみじみとつぶやいた。
「最初はいろいろ戸惑った。しかし、今は元の世界よりいい暮らしができている」
「盗賊や猛獣に怯えなくてもいい。何日も腹を空かせずに済む」
ノームが深く息を吐く。
まるで長い昔を、胸の奥からゆっくり吐き出すようだった。
「本当は、こういう考えはおかしいのだろうがな……」
最後の言葉だけは、独り言みたいに小さかった。
話を黙って聞いていた司は、ノームの重い過去に驚きを隠せなかった。
十歳で家族と離ればなれになった。
しかも、元いた世界はこの世界よりずっと過酷だったという。
司にはうまく言葉が出なかった。
胸の奥がぎゅっと締めつけられるようで、ただ黙ってノームを見つめることしかできない。
気づけば、体まで固まったように動かなくなっていた。
そして、頬を伝う温かさで、自分が泣いていることに気づいた。
ノームはそんな司を見ると、困ったように微笑んだ。
大きな手がゆっくり伸びてきて、司の頭を優しく撫でる。
「そんなに気を使うな、司。私は今、十分幸せに暮らせている」
ノームの手は温かかった。
父親に頭を撫でられているような安心感があって、司は少しだけ肩の力が抜けた。
「この世界に来てから、本当に色々なことがあった」
「だが、人には恵まれている」
ノームはそこで少し照れくさそうに笑った。
「お前たち二人に出会えたことも、そうだぞ?」
そう言って、司とタカギを順番に見る。
司は鼻をすすりながら、小さく笑った。
胸の奥がじんわり温かくなる。
「よせよ、照れるぜ」
タカギが頭をぼりぼりとかきながら言った。
だが、その口元は少し嬉しそうにゆるんでいた。
「お前はどうなんだ、タカギ?」
ノームが顎髭をなぞりながら聞く。
タカギは「んー」と小さく唸ると、腕組みしながら少し考えるそぶりを見せる。
「そうだな。俺も話すか」
「だけどよ。俺、口下手だからな。うまく話せねえかもしれねえ」
珍しく弱気なことを言いながら、タカギはぼさぼさの頭をかいた。
司は少し意外に思った。
いつも軽口ばかり叩くタカギが、こんなふうに言うのは珍しい。
「そんなことはないさ」
ノームが穏やかな声で返す。
「タカギの話も聞かせてよ」
司も前のめりになりながら言った。
タカギは二人の顔を見て、小さく笑った。
「わかったよ」
そう一言つぶやく。
それから少し目を細めると、遠い昔を思い出すように、ゆっくりと語り始めた。




