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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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第47話 訓練二日目 午後

 今日の昼食は、乾燥小魚入りのおにぎりだ。


 手渡されたそれは、まだほんのりと温かかった。

 指先にじんわりと熱が残る。


 川で採れた小魚を天日で干し、細かく砕いたものを、塩少々と黒胡麻と一緒に白いごはんへ混ぜ込み、ぎゅっと握られている。


 表面は少し固めだが、中はふっくらとしていそうだ。

 握り目の跡が、ところどころに残っている。


 司が包みを開くと、胡麻の香りがふわりと鼻を抜けた。

 思わず、空腹が強くなる。


 一口かじる。


 小魚の塩味が、まず舌に広がった。

 続いて、ポリポリとした歯ごたえが歯に当たる。


 脂の抜けた干物の素朴な味に、遅れて胡麻の香ばしさが追いかけてくる。


 噛むたびに、飯のほのかな甘さがそれらをまとめ上げる。


 何も考えずに噛み続けていると、腹の奥にじんわりと満足感が広がっていった。


 気づけば、肩の力が少し抜けている。


 贅沢とは言えない。


 だが――


(なんか、こういうの……いいな)


 司はぼんやりとそう思った。


 疲れた体には、それだけで十分だった。


 司は無意識に、もう一口をかじっていた。


 午後からも253番街の合同訓練が続く。


「1、2、1、2、1、2」


「1、2、1、2、1、2」


「1、2、1、2、1、2」


 単調な号令が、途切れることなく続く。


 最初は外から聞こえていたその声が、

 いつしか頭の中で反響するようになっていた。


 腕を前に突き出し、引き、また突き出す。


 同じ動き。

 同じ速さ。

 同じ呼吸。


 何度も、何度も繰り返す。


 一心不乱に長槍を前後に振り続けている。


 最初は重く感じていた槍も、今では違っていた。


 まるで体の一部のように動く。


 隣の組の動きが視界の端に入る。

 足音が揃う。

 息遣いも、自然と重なっていく。


 今では三百本の長槍は一切乱れず、完全に統一された動きへと変わっていた。


 長槍を振り続けるうちに、司は一種の高揚感に包まれていた。


 疲れているはずなのに、なぜか体が軽い。


 息も、不思議と乱れない。

 思考が消える。

 

 この場の意識が、一つへ溶けていくような感覚。


 ここにいることが、なぜか心地よかった。


 自分の感覚が、少しずつ薄れていく。


 『この中の一部』であることが、当たり前になっていく。


 そんな時だった。


「司、そんなに夢中にやるな。倒れるぞ」


 ノームの声が、はっきりと耳に届いた。


「そうそう、少しは手を抜くことを覚えないとな」


 タカギがいつもの調子で茶化す。


 二人の声を聞いた瞬間、


 すっと。


 どこか遠くへ行きかけていた意識が、引き戻された。


「あ、うん……大丈夫」


 司は少し遅れて返事をする。

 自分の声が、少しだけ現実味を取り戻した気がした。

 頬が少し熱い。

 照れたように、司は小さく笑った。


 午後の訓練は、特に問題もなく終了した。


 洗濯場に到着し、脱衣場で服を脱いだ。

 汗と埃が混じった空気が、肌にまとわりつく。

 ぺたりとした不快な感触が残る。


 当たり前だが、昨日見付けた青あざはまだ消えていない。

 腕や脇腹に残る鈍い色を、司はじっと見つめた。

 触れると、わずかに痛む。


 だが、新しい青あざは見当たらなかった。

 昨日よりは、少しだけ体が慣れてきたのかもしれない。

 無意識に首を回していた。


 その様子を正面から見ていたタカギが、にやりと口元を歪める。


「なに、人の体をジロジロ眺めて、ウンウン納得してるんだ。この変態め。俺は男に興味ないぞ?」


 どういう勘違いをしたのか、タカギは体を守るように手で隠した。


「ち、違うよ!」


 司は慌てて顔を赤くしながら首を横に振る。


「僕だって、そんな趣味ないから!」


「はいはい」


 タカギは肩をすくめて笑ってみせた。


 すると、少し離れたところで着替えていたノームが、目を細めながら話しかけてきた。


「そういえば司は、好きな子とか、付き合っていた女の子はいなかったのか?」


 どこか楽しそうな、探るような口調だった。


「……いません」


 司は間を置かず、即答した。


 あまりにも早すぎる返事に、静まり返った。


 タカギとノームは顔を見合わせて、


「なんだ、つまらねぇな」


「そうか……」


 二人とも、少し肩を落とす。


 それ以上話は広がらず、その話題はあっさり終わった。


 夕食はビーフシチューだった。


 皿から立ちのぼる湯気を、司はぼんやりと眺める。

 湯気がゆらゆらと揺れて、視界が少し滲む。


 スプーンでそっとすくってみる。


 だが、肉らしきものは見当たらない。


 どうやら煮込みすぎて、跡形もなく溶けてしまったらしい。


(まあ、べつにいいか)


 司は特に気にする様子もなく、口に運ぶ。


 ソースはコクがあって濃厚。

 それでいて、後味は意外としつこくない。


 トマトのほのかな酸味と、野菜の甘さがちょうどよく混ざり合っている。


 ほんのり効いたスパイスが、舌の奥にじんわり残った。


 冷えかけていた体が、内側からゆっくり温まっていく。


 訓練で強張っていた体が、ひと口ごとにほどけていく。


 贅沢とは言えない。


 だが、今の司には十分すぎる味だった。


「……うまい」


 思わず零れた小さな一言。

 司は黙々とスプーンを動かし続けた。


 訓練の疲れが、溶けていくようだった。

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