第46話 訓練二日目 異人街合同訓練
訓練二日目。
今日から異人街ごとに集まっての合同練習である。
昨日までとは違い、場の空気は明らかに張りつめていた。
ざわめきはあるのに、どこか息苦しい。そんな重さがあった。
異人街ごとに1から300までの組順に、三列で整列をしていた。
前列は1から100組、中央が101から200組、最後の列に201から300組である。
地面には足跡が無数に刻まれ、踏み固められている。
遠くから見ると、同じ服装の異人たちが規則正しく並び、まるで巨大な壁のようにも見えるだろう。
組長を先頭にして三人組が縦に並ぶ形で、総勢は九百人。
司の前にノーム、後ろにタカギが並んでいる。
前にいるノームの背中は大きく、どっしりとしていた。
その存在だけで、少しだけ安心できる。
その異人たちの前後には、さらに小さな列が作られている。
後方には異人兵が一列に並び、最前列には看守が一列に並びこちら側を見ていた。
この隊列が、今後の訓練の基本となる。
すぐ近くにも、いくつもの人だかりができているが、彼らは別の異人街の者たちだ。
今日はあくまで253番街だけの合同訓練であるため、他の街は関係がない。
司は列に並びながら、周りをキョロキョロ見ていた。
落ち着かない。どうしても目が動いてしまう。
並んだ異人たちの顔には、疲労がはっきりと浮かんでいる。
目の下に影を落とし、口元も固い。
昨日の疲れが、まだ抜けきっていないのだと分かる。
すると、頭部に軽い衝撃が走る。
「いてっ」
背後からタカギが軽く頭を小突いてきたのだ。
司が涙目に頭を押さえながら振り返ると、タカギは真剣な目つきで司を見下ろしていた。
真面目にしろ、と言われている気がした。
司は頭を押さえながら前を向き直り、静かに並ぶことにした。
253番街の看守長、キムが一歩前に出て、全員を見回した。
足音が乾いた地面に響く。
何度か咳払いをして、姿勢を正してから口を開く。
「昨日はお疲れさまでした。普段使用することがない長槍に、苦戦した方も多いでしょう」
その言葉に異人たちは苦笑していた。
あちこちで小さく肩が揺れる。
昨日の訓練を思い出したのだろうと、司は考えていた。
キムは気に留めずにそのまま話し続けている。
「本日より、私の号令にて三百本の長槍を動かす訓練を開始します。私が『1』と言えば前に突き出し、『2』と言えば長槍を引いていただきたい」
言葉を区切りながら、確実に伝えようとしているのが分かる。
一語一語、慎重に選んでいるようだった。
だが、その説明はやはり少し回りくどい。
「実戦では、私ではなく『小隊長殿』から直接指示を受ける場合もあるでしょう。しかし、基本は私の声に従って動いていただきたい」
キムの言葉に、異人たちは一斉に小さくうなずいた。
動きは揃っているが、どこかぎこちない。
その反応を見て、ようやく安心したのか、キムは少しだけ胸を張る。
「我々長槍隊は総数七千本。これらは大盾隊と協力し、密集隊形を取り、共に行動します」
キムは腕を大きく振り、隊列全体を示した。
その動きはどこか誇らしげだった。
「一人一人が勝手な行動をせず、皆さんは組同士で一本の槍を動かしていただきたい。一本の槍が三百本集まり、最終的には七千本の長槍が……」
キムはそこで大きく深呼吸した。
胸が上下し、言葉を整えている。
「一つの、生き物のように動き出します。……なんと、美しいことでしょうか」
熱のこもった言葉とは裏腹に、異人たちの表情はどこか曖昧だ。
視線をそらす者もいる。
相変わらず分かりにくい説明に、またしても苦笑があちこちで聞こえてくる。
司もキムの説明が分かりにくかったのか、首をかしげていた。
なんとなくは分かるが、しっくりこない。
その時だった。
遠くから、乾いたリズムの音が近づいてくる。
――馬の蹄の音だ。
次の瞬間、フルプレート姿の騎士が勢いよく駆け寄ってきた。
土煙がわずかに舞い上がる。
「貴様! いつまで話をしている!」
怒号が場の空気を切り裂いた。
一瞬でざわめきが消える。
「他の街はとっくに訓練を始めているぞ。さっさと始めないか!」
「はっ! 申し訳ありませんでした!」
キムは反射的に声を張り、九十度に近い角度で深く腰を折った。
動きに迷いはない。
背中越しにも、その必死さが伝わってくる。
「早くしろ」
吐き捨てるように言い残し、騎士は馬を返して去っていった。
蹄の音が、次第に遠ざかっていく。
残された場には、気まずい沈黙が落ちる。
誰もすぐには動けなかった。
怒鳴られるキムの姿を見て、異人たちは思わず吹き出していた。
こらえきれなかった、という感じの笑いだ。
次の瞬間、キムの顔がみるみる赤く染まった。
「何を笑っている!!」
八つ当たり気味の怒声が響く。
「いいから早く始めるぞ!!」
出鼻をくじかれた空気のまま、合同訓練が始まった。
「1、2、1、2、1、2、1、2」
キムの張り上げた号令が、空気を震わせる。
その声に合わせて、三百本の長槍が一斉に前後へ動いた。
槍先が揺れ、金属が空気を切る低い音が幾重にも重なる。
びゅ、びゅ、と鈍い風切り音が連なり、耳の奥に残った。
だが、最初から息が合うはずもない。
前に出る速さも、引くタイミングもばらばらだ。
槍先の高さも揃わず、列全体が波打つように歪んでいた。
わずかなズレが、次々と広がっていく。
看守と異人兵も同様に三人一組を組み、隊列に加わっている。
彼らも同じ槍を持ち、同じ号令で動く。
前線では、誰一人として例外はない。
「遅い! そこの貴様!」
キムの怒声が飛んだ。
視線が一点に突き刺さる。
指さされた先で、一人の異人がびくりと肩を震わせた。
「貴様、なんだその動きは! 貴様のせいでこの組の長槍の動きが遅いのだ!」
怒鳴られているのは、高校生くらいの少年だった。
細い腕で必死に長槍を支えている。
重さに振り回され、動きが遅れているのが一目でわかる。
少年は唇を噛みしめていた。
震える肩を抑えようとするが、うまくいかない。
ぽろりと涙が落ちる。
それでも顔を上げず、ただ罵声を受け止めていた。
声を上げて泣くことも、言い訳をすることもない。
その様子を、同じ組の組長ともう一人の組員は黙って見ている。
視線は向けている。
だが、口は開かない。
声をかける者はいない。
助け舟を出す者もいない。
もちろん、他の組も同じだった。
誰もが理解している。
叱責されているのは、この少年一人ではない。
これは――街全体に向けられた叱責だ。
一人のミスが、全員の死に繋がる。
ほんの一拍の遅れ。
ほんのわずかなズレ。
それだけで、隊列は崩れる。
崩れた瞬間、敵はそこへ流れ込む。
雪崩のように、容赦なく。
だからこそキムは、どんな小さなズレも見逃さない。
誰もキムを止めない。
なだめようともしない。
全員が、それを理解しているからだ。
異人街全体で――
いや、長槍隊は一つの巨大な生き物として動かなければならない。
それから一時間ほどが過ぎた頃。
空気が、少しだけ変わり始めていた。
号令に合わせて、同じ速度で前へ出る槍。
同じ高さで止まり、同じタイミングで引かれる柄。
最初はばらばらだった動きが、少しずつ揃っていく。
ずれが減る。
音が揃う。
びゅ、びゅ、と響いていた風切り音が、やがて一つの流れになる。
三百本の長槍は、まるで一本の意思を持っているかのように動き始めていた。
午前の訓練時間が終わる。
キムが終了の号令を出した。
その瞬間、張りつめていた空気が、わずかに緩む。
異人たちの肩が、ほんの少しだけ下がった。
息が漏れる音が、あちこちから聞こえる。
汗に濡れた服が肌に張りつき、ひやりと冷たい。
長槍を支えていた腕には、鈍い重さが残っている。
指先までじんと痺れていた。
それでも、隊列は乱れない。
誰も勝手に崩れない。
誰も声を出さない。
気づけば、全員が同じ位置に立っていた。
「皆さんの動きが一体化されてきて、私は大変満足しております。午後も引き続き、よろしくお願い致します」
キムはそう告げると、小さく息を整え、どこか誇らしげに一度うなずいた。
異人たちは返事こそしなかったが、数人が小さく息を吐き、隣と視線を交わす。
無言のまま、わずかに表情が緩む。
その合図を待っていたかのように、周囲の看守たちが動き出した。
手際よく列の間を歩き、昼食を配っていく。




