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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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第41話 大寝坊

 大移動から一夜明け、司たちは食堂で朝食を食べていた。


 昨日までいた異人街では、食堂は中央にあった。


 だが、前線都市バルトラインの異人区では事情が違う。


 区の中央を太い大通りが一直線に貫いている。

 その両脇には、異人棟が壁のように並び、空を押し上げるみたいに高くそびえていた。


 そのせいか、異人用の食堂は区画の端に押しやられるように建てられている。

 中心から離れ、ぽつんと置かれたような位置だ。


 それでも、遠目で一目でわかるほど巨大だった。

 あれが食堂だと、誰でも気づく。


 構造は異人街と同じ、屋根がガラス張りのドーム型。

 だが、規模がまるで違う。


 一度に数万人が入れるように作られている。

 まるで屋内に空を閉じ込めたような広さだった。


 中に入ると、まず視界が抜ける。

 広すぎて、どこを見ればいいのか一瞬迷うほどだ。


 見上げれば、ガラスの屋根が空みたいに広がっている。

 朝の光がそのまま降りてきて、室内なのに外にいるような感覚になる。


 円形で構築された前線都市バルトラインの外周には、異人区と呼ばれる区画が配置されている。


 異人区は八つに分けられている。

 一区画につき十万人。


 つまり、この都市の外縁には、八十万人もの異人が押し込められていることになる。


 司、ノーム、タカギは、いつものように木製の六人がけの机に横一列で座り、食事をしている。

 だが、どこかよそよそしかった。


 三人は少し急ぐように、黙々と食べている。

 食器の当たる音だけが、やけに耳についた。


 司は肩をすぼめ、視線を皿に落としたまま口を動かしている。

 申し訳なさが、そのまま姿勢に出ていた。


 一方でノームとタカギは、ほとんど会話もなく食事を進めている。


 重い沈黙だった。


 食事を終えると、三人は立ち上がった。


 そのまま早歩きで、無言のまま異人棟へと戻る。

 足音だけが廊下を連なっていく。


 部屋に入るなり、ノームが扉を閉める。

 わずかに息を吐き、低い声で言った。


「二人とも、座って話そうか」


 その声音は穏やかだが、どこか硬い。


 司、ノーム、タカギの三人は、それぞれ静かに腰を下ろした。

 司は背筋を伸ばし、正座に近い形で座る。


 ノームは一度、ゆっくりと息を整える。

 それから視線を二人に向け、静かに口を開いた。


「二人に昨日の組長会議の内容を伝える」


 なぜ昨夜ではなく、今なのか。

 理由は明白だった。


 組長会議は、長々と続いていた。

 看守長キムの説明は要点を外れたものが多く、そのたびに組長たちから鋭い指摘が飛んだ。


 話は何度も中断され、議論は同じところをぐるぐると回り続けた。

 終わりが見えないまま、時間だけが過ぎていく。


 ようやく会議が終わる頃には、ノームの疲労は限界に達していた。

 肩は重く、足取りもわずかに鈍っていた。


 部屋に戻れば、予想どおり司はすでに眠っていた。

 布団に潜り込んだまま、規則正しい寝息を立てている。


 大移動の疲れが一気に出たのだろう。


 タカギは起きて待っていたが、ノームのくたびれきった顔を見ると、眉をひそめた。


「ノーム、死相が出ているぞ」


 冗談めかした言い方だったが、声には心配している様子があった。


「ああ、色々とあってな……」


 ノームは短く答え、すでに敷かれていた布団の上に腰を下ろす。

 そのまま、力が抜けるように座り込んだ。


「もう司も寝てしまったし、会議の話は明日でいいんじゃないか?」


 タカギが司の寝顔に目をやりながら言う。

 つられるように、ノームもそちらへ視線を向けた。


 無防備な寝顔だった。


「すまんな。そうしてくれると助かる」

 

 ノームは胡坐をかきながら、軽く頭を下げる。


「気にすんなよ。とっとと寝ようぜ」


 タカギは肩をすくめて言い、布団に潜り込む。


 その一言で、会話は終わった。

 二人もすぐに横になり、部屋は静けさに包まれる。


 やがて、三人分の寝息だけが残った。


 そして翌朝。

 司は見事に寝坊した。


 箪笥の上に置かれた黄色に発光した水晶玉が、けたたましい起床アラームを部屋中に響かせていた。

 甲高い音が、壁に反響して何度も跳ね返る。


 それでも、司はぴくりとも動かない。


 何度叩いても、揺すっても、声をかけても起きない。

 体はぐらぐら揺れるのに、当の本人は夢の中のままだ。


 あまりの反応のなさに、一瞬「死んでいるのでは?」と疑ったほどだ。


 しかし、盛大ないびきと意味不明な寝言がそれを否定していた。

 むしろ、やけに元気そうだった。


「こいつ……今日に限ってこんなにも寝起きが悪いとは」


 ノームが額に手を当て、深く息を吐く。


「まずいぜ、ノーム。このままだと他の組に迷惑がかかる」


 タカギは焦った様子で、ちらりと水晶玉を見る。

 アラーム音は容赦なく鳴り続けていた。


「それだけじゃすまないぞ。今日から訓練が始まる。遅れれば騎士に殺されるぞ」


 ノームは部屋の中を落ち着きなく歩き回る。

 普段の穏やかさは影を潜めていた。


 少しの沈黙のあと、突如タカギが名案を思い付いたのか大声で言った。


「そうだ。ノーム! 司が起きたことにしようぜ」


「なんだって? 起きたことにする? どういうことだ」


 突然のタカギの言葉に、ノームは足を止めて振り返る。


「このままだと遅刻は確定だ」


 タカギは一度言葉を区切り、低く言った。


「だからよ。今から看守に『全員起床した』って伝えるんだ。他の組に迷惑がかからないようにするんだよ」


 水晶玉を指さしながら、急き立てるように続ける。


「だが、司が起きなければ我々は部屋から出るわけにはいかないぞ。それに嘘がばれた時もただで済まない」


 ノームは険しい顔のまま、首を横に振った。


「だけどよ、他に手はないだろ? やるしかないんだノーム」


 タカギは食い下がる。


 ノームはしばらく黙り込んだ。

 そして、重く息を吐く。


 他に代案はない。


 結局、渋々その案を受け入れた。


 その後、二人があらゆる手を使って司を叩き起こした。


 往復ビンタ、体をゆすり、耳元で大声で叫び、口と鼻をふさぐ。

 どれも容赦がなかった。


 しかし、司は起きなかった。


 予定より三十分も遅れてしまった。

 朝食時間は、すでにギリギリだ。


 最終的に、二人は寝ている司の体を無理やり起こし、引きずって食堂へ向かうことにした。

 足はもつれ、頭はぐらぐらと揺れている。


 結局、司が目を覚ましたのは食堂に入ってすぐだった。

 漂ってきた食事の匂いに、ぴくりと反応する。


 数秒後。

 何事もなかったかのように目を開けた。


 食事中、二人から簡単に司が寝坊したことを伝えられた。


 そして部屋に戻ってから。

 司は、申し訳なさすぎて小さくなり、正座していた。


「さて、二人にこれからの予定を伝える」


 ノームはちゃぶ台の上に両手を置いたまま、ゆっくりと視線を上げた。

 その動きは、どこか重い。


「今から大槍隊の訓練を行う」


「……はぁ?」


 タカギが露骨に顔をしかめる。

 口を開きかけ、何か言いかけた――その瞬間だった。


 ノームが息を吐くように、間を置かず続ける。


「訓練は一週間だ。それから、我々は新たな野営地を設立するために出陣する」


 言い終わったあと、ノームは視線を落とした。


 一瞬、部屋の音が消えたように感じた。

 さっきまで聞こえていたはずの、わずかな物音さえ遠のく。


 司は意味が分からず、小首を傾けていた。


「おいおい、ノーム待ってくれよ。たった一週間だと? 普通は一ヶ月以上訓練してからだろ? しかも、いきなり出陣だと?」


 タカギは前のめりになり、声を荒げる。

 冗談ではないと、顔に書いてあった。


 しかし、ノームは片手を挙げて、静かにタカギを制した。


「……わかっている」


 短い一言だった。

 だが、それ以上言うなと告げるには十分だった。


 タカギは言葉を飲み込み、口を開いたまま止まる。


「言いたいことは私も……いや、組長全員同じだった」


 ノームは少しだけ視線を落とす。

 そのまま、ゆっくりと言葉を続けた。


「あまりにも無茶苦茶だと。だから、昨日は会議が長引いたのだ」


「しかしだ。我々がどれだけ騒いでも、結果は変わらないのだ」


 ノームは大きく息を吐いた。

 押し殺していたものを、ようやく外に出したような息だった。


 タカギはそれを察したように、口を紡ぐ。


 ノームも、それ以上は言葉を続けなかった。


 一瞬、部屋が静まり返った。


 司は、事態がうまく飲み込めなかった。


「あの……よくわからないけど、大変なのはよくわかったよ」


 恐る恐る、口を挟む。


「それで聞きたいんだけど、大槍隊って何するの?」


 その言葉に、ノームは一瞬だけ顔を上げた。

 そして、司を見る。


 ほんの少しだけ、表情がやわらいだ。

 助け舟を出されたような、そんな顔だった。


「……行けばわかる」


 短い答えだった。


 司は、なんとなく嫌な予感がした。

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