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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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第37話 服従の礼

 司たちは、バルトラインの正門前に整列していた。


 背後には長い列が続き、前には高い城壁がそびえている。


 踏み固められた土の地面は乾いており、大小さまざまな小石が無造作に転がっていた。


 足を少し動かすだけで、じゃり、と小さな音が鳴る。


 その地面の上に、異人たちが隙間なく並んでいる。


 三人一組で、組長を先頭に縦一列。


 その列が三百組。総勢九百人に及ぶ。


 列はぴたりと整えられているが、ところどころで小さく肩が触れ合い、息遣いが重なる。


 誰も大きな声は出さない。


 だが、押し殺した気配だけが漂っていた。


 隊列は三列に分かれている。


 前列に1〜100組、中央に101〜200組、後列に201〜300組。


 遠くまで同じ並びが続き、どこまでが列なのか一瞬わからなくなるほどだ。


 さらに、その前後を囲むように看守と異人兵が配置されている。


 最前列には看守が二十八人。


 後方には異人兵七十二人が一列に並んでいた。


 いずれも微動だにせず、槍や武器を構えたまま、無言でこちらを監視している。


 76組である司たちは前列の左端寄りということもあり、正門がよく見える。


 他の列よりもわずかに開けた位置に立っているせいか、視界を遮るものが少ない。


 司は思わず唾を飲み込む。


 喉がからからに乾いていた。


 ごくりと鳴った音が、自分でもはっきりわかる。


 正門の入り口には、五十メートルにもなる城壁が築かれている。


 それは前線都市バルトラインを囲むように建てられていた。


 近くで見るそれは、もはや「壁」というより崖に近い。


 灰色の石が積み上げられ、継ぎ目ひとつ見えない。


 司はその壁を見上げていると首が痛くなった。


 見上げても、なお上へと続いていた。


 城壁には等間隔に並んだ無数の四角い穴が空いている。


 規則正しく並ぶそれは、まるで誰かに見張られているようで、どこか落ち着かない。


「あの壁に空いている穴はなんだろう?」


 司が独り言を呟くと、


「あれは矢狭間はざまだ。敵が来た際、あそこから弓で外を狙い撃つためのものだ」


 前に立つノームが、振り返らずに教えてくれた。


 低く落ち着いた声だった。


 無意識に呟いた独り言は、予想外に大きかった。


 司は少し恥ずかしくなり、顔を赤らめた。


 周りにいた異人たちの何人かが、ちらりとこちらを見る。


 司は慌てて視線を下げ、小さく肩をすくめた。


 正門には、騎士が六人立っている。


 胸に鷲のエンブレムが描かれたプレートアーマーに身を包み、ハルバードと大盾を持っていた。


 鈍く光る銀の鎧は隙間なく組み上げられ、わずかな動きに合わせて硬い金属音を鳴らしている。


 手にしたハルバードの穂先は鋭く、門をくぐろうとする者すべてを拒むように、わずかに前へ突き出されていた。


 大盾は地面に据えられ、その影に隠れるように騎士たちは微動だにせず立っている。


 その視線はまっすぐ前を向いたまま、こちらを見ているのかすら分からない。


 だが一歩でも踏み出せば、すぐに叩き伏せられる――そんな圧だけが、はっきりと伝わってきた。


 そして、代表と思われる気品のいい、軍服を着た女性が正門を護るように待機していた。


 黒の軍服は無駄な装飾がなく、それでいて仕立ての良さが一目で分かる。


 胸元には鷲のエンブレムが刺繍され、風もないのに裾がわずかに揺れていた。


 背筋はまっすぐ伸び、指先ひとつ動かさず立っている。


 全員が指定された場所に並び終えると、最前列の看守の列から、一人の男が歩き出した。


 看守長のキムだ。


 彼が一歩踏み出した瞬間、それまでざわついていた空気が、静まった気がした。


 歩みは速い。


 だが、どこか足取りに落ち着きがない。


 司は思わず、その背中を目で追っていた。


 キムは背筋を伸ばし、姿勢よく女性の前へと進んでいく。


 鎧の擦れる音と、靴が土を踏む乾いた音だけが、やけに耳についた。


 五メートルほど手前で立ち止まると、間を置かずに両膝を折る。


 そして、そのまま額と両手を地面につけた。


 土下座だった。


 一瞬、空気が変わった。


 周囲の気配が、ぴたりと止まる。


 まるで見えない何かに押さえつけられたみたいに、誰も動かない。


 キムに続き、後方に待機していた異人たちも、一斉に同じ動きをとった。


 ざっ、と土に膝をつく音が、重なって響く。


 司もそれに合わせて膝をついた。


 額を地面につける。


 ひやりとした土の感触が、すぐに伝わってきた。


 土の匂いが鼻に入り、思わず顔をしかめたくなる。


(……やっぱり、これ嫌だな)


 胸の奥が、じわりと重くなる。


 これは、王国国民に対して異人たちがとる『服従の礼』だ。


 船を降りてから何度も練習させられた動きだ。


 ぎこちなさは多少あるが、体はもう覚えている。


 誰一人、声を上げる者はいない。


 ただ、全員が地面に額を押しつけたまま、次の命令を待っていた。


「異人よ。顔を上げ、異人街の番号を述べよ」


 キムを見下ろす位置から、女性が淡々と命令を下した。


 その声は広い空間にすっと通り、耳の奥に残るほど澄んでいる。


 思わず聞き入ってしまいそうになるほど美しい声だった。


 だが、そこに温もりや慈しみは感じられない。


 冷たい。


 そう感じた瞬間、司の背筋にぞくりとしたものが走る。


 キムはゆっくりと頭を上げる。


 だが、女性の顔を直視することは許されない。


 視線は自然と、その胸元あたりで止まる。


「発言の許可を頂き感謝いたします」


 一拍、間を置いてからキムが口を開く。


 その声は抑えられているが、わずかに震えていた。


「我らは253番異人街から此度の召集を受けて参りました。入城を許可願います」


 言葉を一つも噛まぬよう、慎重に話した。


 周囲の空気を壊さぬように。


 その様子を、額を地面につけながら司は息を止めて聞いていた。


「許可しよう。正門を抜けた先に案内人がいる。その者に従い行動せよ」


 女性は一切の間を置かず、短く答えた。


 キムが「承服いたしました」と頭を下げる。


 額が土に触れ、わずかに土埃が舞い上がった。


 そのままの姿勢で立ち上がり、無駄のない動きで回れ右をする。


 そして異人たちの方へと向き直った。


 ほんの一瞬だけ、その表情が見えた。


 張りつめていた。


「皆のもの、入城を開始せよ」


 号令がかかる。


 同時に、長い列がゆっくりと動き出した。


 足音が重なり、ざり、と地面を擦る音が広がる。


 司も立ち上がりながら、門の向こうを見た。


 高くそびえる門の先。


 その奥は影になっていて、はっきりとは見えない。


――ここから先が、バルトライン。


 喉が、少し乾く。


 胸の奥が、落ち着かない。


 期待なのか、不安なのか。


 自分でもよく分からない感情だった。


 これからの司たちが生活する、新しい場所である。

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