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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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第32話 覚悟の一歩

 司は小さく息を吸い、覚悟を決めて部屋の扉を開けた。


 廊下には、異人たちはいつものように、黙って同じ方向へと歩いていた。


 だが、いつもとは様子が違うようだった。


 誰も声を出さずに顔を伏せ、絶望の表情を張りつかせたまま、足を引きずるように前へ進んでいた。


 いつもなら、誰かがぼそっと愚痴をこぼしたり、ため息が混じったりする。

 それすら、ない。


 聞こえるのは、靴底が床を擦る音だけ。


 ずり、ずり、と。


 一歩ごとに、重たい音が廊下に響いていた。


 いつもとは違う光景を目にした瞬間、司が必死にふり絞ってきた勇気は、どこかへ消え去っていた。


 一歩が、出ない。


 前に進もうとしているのに、足がまるで言うことを聞かない。


 足の裏が床に貼り付いたかのようで、震えだけが広がっていく。


 周りのみんなは、ゆっくりでも前に進んでいるのに、自分だけがその場に取り残されている気がした。


(なんで……動いてよ、僕の足)


 悔しいのか怖いのかも分からない。


 ただ、目の奥が熱くなって――


「おい、司」


 左肩に、勢いよく手が置かれた。


 びくっと跳ねた体が、現実に引き戻される。


「……タカギ」


「いきなり固まってんじゃねぇよ」


「……ごめん。足が……」


 うまく言葉が出てこない。


 喉がつまって、息だけが変に荒くなる。


「知ってる。見りゃ分かる」


 タカギは笑ったまま、司の肩をがっしりと掴み、肩を組んだ。


 ぐっと引き寄せられて、少しだけ体が軽くなる。


「……怖いよ」


 司が小さくこぼすと、タカギの声は少しだけ震えていた。


「だろうな。俺もだ」


 その言葉が、司の胸に刺さった。


 (ああ、タカギも同じなんだ)


 そう思っただけで、呼吸が楽になった気がした。


「ああ。怖くていい」


 ノームが背後から声をかけてきた。

 

「司。足が出ないなら……私たちと一緒に、前へ進もう」


「ノーム……」


 司の喉が詰まる。


 涙が、こぼれそうになる。


 でも――一人じゃない。


 そのことだけは、はっきり分かった。


 タカギが、肩を組んだまま、少し乱暴に言った。


「ほら。行くぞ。せーのって。右足を一緒に出すぞ」


「うん……」


 司は息を吸い、足に力を込める。


 重い。


 けど――動かないわけじゃない。


「せーの!」


 タカギの合図に合わせて、司は震えたまま、なんとか右足を前へと滑らせた。


「よし、その調子だ」


 もう一度、タカギの合図に合わせて、今度は左足を前に出すと、司とタカギは廊下に出た。


「ほうら、歩けた」


 タカギが満面の笑みで言った。


 司は顔を赤らめて、思わずノームに振り向く。


 すると、ノームも嬉しそうな顔をしていた。


 二人とも、自分のことみたいに喜んでくれている。


 それが、少しだけくすぐったい。


 二人の後押しのおかげで再び勇気が湧いてきた司は、さっきまでの重さがほんの少しだけ軽くなっているのを感じながら、口を開いた。


「行こう」


 と、小さいが力強い声で二人に言った。


「よし。行くぞ」

 

 二人の横に並んだノームが力強く答えた。


 肩が触れそうな距離に、二人がいる。


 それだけで、不思議と足が前に出る。


 そして、三人は肩を並べ、廊下を歩き出した。


 異人棟から出て、三人は食堂を目指して歩いていた。


 いつものように、雲ひとつない青空が広がっている。


 しかし、周りを歩く異人たちは、誰一人として顔を上げていなかった。


 目線は地面に落ちたまま、足取りも重く、まるで一歩ごとに体を引きずっているみたいだった。


 十代くらいの少年たちは、何が起きているのか分からないまま、ただ不安そうに周りを見ている。


 けれど、大人になるにつれて――その表情ははっきりと変わっていた。


 目を伏せ、口を結び、すべてを悟ってしまったような顔。


 逃げ場なんてないと分かっている人間の顔だった。


 それは、異人だけじゃない。


 異人兵も、看守も、同じだった。


 誰もが無言で、同じ方向へ歩いている。


 その光景はまるで――


 これから処刑所へ向かう列を作って進む罪人たちみたいで。


 司は、背筋がじわりと冷たくなるのを感じていた。

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