第3話 ノームとタカギ
しばらくの沈黙の後、低く落ち着いた男の声が聞こえてきた。
「きみ? だいじょうぶか?」
初めての優しい言葉に司は思わず嬉しくなったが、まだ顔をあげようとは思えなかった。
「よう、いつまでそこで寝てる気だ? 起きろよ」
かすれた男の声が聞こえてきた。
その人物は司のそばに寄ってくると、司の顔を優しく持ち上げた。
「うわぁ 汚ねえ」
司の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
その言葉に司はさらに泣き出した。
悔しかった、恥ずかしかった、怖かった。
色々な感情が一気に溢れ出した。
「おいタカギ、なに泣かせているんだ」
低く落ち着いた男がかすれた声の男に注意をする。
「でもよ、あまりにも汚くてついな」
タカギと呼ばれたかすれた声の男は、頭をポリポリとかきながら悪気はなかったと答えた。
「まったく、お前にはデリカシーというものはないのか?いつだって人の気持ちを考えろと教えて来ただろう」
「だけどよノーム。この顔を見たら……」
「もう顔のことは言うな」
ノームと呼ばれた男はタカギに怒鳴った。
「悪かったよ」
タカギはまた頭をぽりぽりとかいたが、
「謝る相手が違うだろう」
ノームが司に近づきながらタカギに注意する。
「すまなかった。あいつはタカギと言って、無神経なことをよく言うが決して悪い奴じゃない」
ノームの背後でタカギは両手を顔の前で合わせて謝るそぶりをしていた。
「タカギ、彼に服を用意してやるんだ。このままでは風邪をひいてしまう」
タカギはノームの言葉に従って近くにあった三段の箪笥の一番上から服を取り出した。
「ひどい話だな。いつも思うけど、なんであいつらは裸にするんだ? ノーム」
「身体検査のつもりだろうが、何も裸にする必要はないだろうな。それに抵抗する気を奪うつもりかもしれないな」
タカギから服を渡されたノームは服を受け取りながら答えた。
「さあ、服を着なさい。そのままでは風邪をひいてしまう」
ノームが差し出す服を見ても司は受け取ろうとはしなかった。
「かわいそうによほど怖かったのだな。だが、もう大丈夫だ。ここにはきみを傷づけるものは誰もいない」
ノームが優しく、ゆっくりと話しかけた。
司は恐る恐る差し出された服を受け取ると、ノームは嬉しそうに微笑んだ。
渡された服は布製の茶色い安っぽい服だった。
長袖と長ズボンはところどころほつれて新品ではなかったが、司は仕方がなくその服を着ることにした。
「よし」
ノームが頷くとまたタカギに話しかけた。
「この子に夕食を用意してもらおう。タカギ、看守に連絡して晩飯のシチューを用意してもらえ」
「あいよ」
軽く返事をしたタカギは先ほどの箪笥に向かい今度はその上に置かれた透明の水晶玉に話しかけた。
「76組だ。悪いけど新入りのために晩飯のシチューを用意してもらえないかな。新入りが震えている」
水晶玉が黄色に光り出すと男の声が聞こえてきた。
「何を言っている。こんな時間にシチューが残ってるはずがないだろう。それに新入りが震えていようが知ったことか」
「いいのか? もし風邪をひいて悪化して死んじまったら怒られるのはあんたらだろ?それにまだあんたらの晩飯が残ってるはずだぜ」
しばらく水晶玉の向こう側の声が黙っていると
「わかった。用意する」
返事だけして水晶玉の光が失われた。
タカギは振り返りながら親指を立てて、にやりと笑いながらこちらに向けてきた。
ノームも同じように親指を立てて
「この悪党め」
嬉しそうに呟いた。
司は二人の様子を黙って見ていたが、このやり取りを見て少し心が落ち着いた気がした。
しばらく二人が楽し気に先ほどの話をしていると、
司の背後からがちゃがちゃと鍵を開ける音がして重厚な音をさせながら何かが動く音が聞こえた。
司が振り返るとそこには鉄の扉を開けて黒い服を着た男が数人立っていた。
そのうちの一人が木製のトレーに何かを乗せていた。
「お、きたきた」
タカギが嬉しそうに近づくと、トレーを持った男が睨みつけるようにタカギにトレーを突き出した。
「お、パンと水があるじゃねえか」
タカギが上機嫌で男に話しかけると、
「これは特別だぞ」
男が答えた。
「なんだ。いいとこあるじゃん。看守さん、大好き ちゅ」
タカギは妙に体をくねらせながら、唇を尖らせて、ウィンクをした。
すると、トレーを持った男は気持ちが悪いという顔をした。
タカギがトレーを受け取ると男たちは部屋から出て行った。
「ほら、熱いうちに食えよ。うまいぞ」
タカギからトレーを受け取るが、
司は手を着けようとは思わなかった。
(もしかしたら、毒が入っているかも)
「安心しろ。毒など入っていない」
ノームが優しく話しかけた。
「え? どうしてわかったの?」
司が不思議そうに尋ねると、
「ふふっ、実は私は人の心が読めるのだ」
ノームは両腕を組み自慢するが、
「冗談だ。新入りはみんな君と同じ顔をして毒入りを疑うから、からかっただけだ」
ノームはそういうと、少し照れくさそうに笑った。
その顔を見た司も自然と笑みを浮かべていた。
「さあ、食べてみなさい。うまいぞ」
ノームに勧められて今度は抵抗なく木製のスプーンを掴み、シチューを一口飲んでみた。
司は目を見開き、その味に興奮した。
普通のシチューだ。
とてもうまい。
司は夢中で飲み続けた。
「おいおい、そんなにがっつかなくても大丈夫だ」
ノームが優しく微笑みながら言った。
「パンをシチューにつけて食べてみろ。別格だぞ」
タカギが教えてくれた。
司はタカギの言う通りにパンを千切り、シチューに浸して食べてみるとこれもまたうまかった。
司はあっという間に食べ終わると、安心感が腹の底から感じた。
だが、同時に先程までの感情が襲いかかってきた。
怖い、痛い、恥ずかしい、悔しい、様々な感情が司を襲い、司は泣き出した。
「どうして、ぼくは何もしてないのに。どうして、なんで」
なぜ? どうして? 司の頭の中はそんな言葉が溢れてきた。
そんなどうしようもない感情に支配されていると、なにかが司を大きく包み込む。
「もう大丈夫だ。怖かったな。辛かったな。でも大丈夫だ。大丈夫」
その声はノームだった。
ノームは優しく司を抱きしめていた。
司は、そのあたたかい温もりを感じ、嫌な気持ちが少しずつ薄れていくのを感じた。
「そうさ、もう心配ないさ。おまえさんは、この街一番の男に抱かれてるんだぜ」
「タカギ、またそういう冗談を」
ノームが困ったような声で話した。
「そんなことはないさ。ノーム以上の男がそうそういてたまるか。なあ?坊主」
タカギは司に話しかけるように自慢げに話した。
「そうか」
ノームは嬉しそうな顔をして司の顔を見ると、涙を浮かべながら目を閉じて、静かな寝息が聞こえてきた。




