第29話 告げられない夜
組長会議が終わり、続々と自室へ帰る組長たちの列の中で、ノームは考えていた。
食堂の外は、夜用の薄暗い灯りがぼんやりと灯っているだけだ。
壁に取り付けられた灯りが、頼りなく揺れている。
赤い首輪についた金具が、歩くたびに、かちゃり、かちゃりと小さな音を立てる。
誰もしゃべらない。
それなのに、足音と金具の音だけが、やけに大きく耳に残った。
まるで、その音だけがこの場のすべてのように感じられる。
ノームは視線を落としながら、司のことを考えていた。
――どう説明する。
まだ、ここに来て一か月しか経っていない。
これまでノームは、「いずれ帰れるかもしれない」と、はっきりした根拠もないまま、希望だけを与えてきた。
それなのに――
「明日から戦争に行く」
そんなことを、どうやって伝えればいい。
きっと動揺する。
いや――
(動揺で、済むのか……?)
ノームの足が、わずかに重くなる。
あの年頃だ。
受け止めきれずに、何をするかわからない。
悟のように、自暴自棄になってしまうかもしれない。
最悪――
そこまで考えて、ノームは思考を止めた。
これ以上は、考えたくなかった。
ノームがこれからどうしようかと考えていると、隣の組長の様子に気づいた。
うつむいたまま、何かをぶつぶつと呟いている。
唇だけがかすかに動いている。
顔色は悪く、今にも泣き出しそうな顔だった。
見れば、周りの組長たちも似たような顔をしていた。
誰もが黙って歩いているが、その顔には不安がはっきり浮かんでいる。
その中でも、隣の男の様子はとくにひどかった。
ノームは少し気になって、声をかける。
「どうした? 随分と辛そうな顔だな」
――当たり前だろう。
そう頭の中で自分に突っ込みながらも、あえていつもの調子で言った。
「……ああ、あんたか」
声をかけられた組長は、口元だけで無理に笑おうとした。
だが、笑顔になる前にその顔は崩れてしまう。
「俺の組に、まだ六歳になったばかりの子がいてな。あいつにどうやって説明すればいいのか……そればっかり考えちまう」
言いながら、組長は小さく首を振った。
異人の中には幼い子どもも多い。
六歳という年も、ここでは珍しくない。
だが、「戦地へ行く」と聞かされるには、あまりにも幼すぎる。
その話が耳に入ったのか、周りを歩いていた組長たちも、ぽつり、ぽつりと口を開き始めた。
「うちにも十歳の子がいる。泣かせたくはねえが……」
「家族の話ばっかりする子でな。『帰ってきたらまた聞かせてくれ』なんて、ついさっき言ったばかりなんだが」
「まだ小せえ子に、どう言やいいんだよ……」
気がつけば、歩きながらではあるが、皆でどう伝えるべきかを話し合う流れになっていた。
列はゆっくり進んでいく。
足取りは重い。
それでも、口だけは止まらない。
口を閉じれば、そのまま不安に飲み込まれてしまいそうだった。
周りには看守や異人兵もいる。
だが今だけは、誰も咎めようとしなかった。
彼らもまた、どこか遠くを見るような目をしている。
結局、今この場で伝えるよりは、朝になってから話したほうがいいのではないか――
そんな意見で、ひとまずまとまった。
寝る前に告げれば、きっと眠れなくなる。
朝なら、そのまま準備をして、流れのまま移動できる。
そう理屈ではわかっている。
――だが、それでも不安は消えなかった。
考えれば考えるほど、胸の奥に重いものが溜まっていく。
部屋に戻ると、司はすでに眠っていた。
粗末な布団の上で、小さく丸くなっている。
静かな寝息が、規則正しく続いていた。
何も知らずに眠っているその姿が、かえってノームの胸を締めつける。
ノームはしばらくその様子を見つめてから、視線を外した。
そして、まだ起きていたタカギに向き直る。
小さく息を吐き、組長会議の内容を、要点だけ簡潔に伝えた。
「……というわけだ。明日の朝には、ここを出ることになる」
短くまとめたつもりだった。
だが、それでも言葉の重さは消えない。
「……マジかよ」
タカギの顔から、いつものニヤつきは跡形もなく消えていた。
落ち着きなく部屋の中を歩き回る。
首の後ろをかきながら、同じ場所を何度も往復する。
「総出なんて、聞いたことねえぞ……。笑えねえ冗談だな、くそ」
苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てるように言う。
その声には、焦りも混じっていた。
ふいに足を止め、タカギが振り返る。
「なあ、ノーム」
「なんだ?」
「司……大丈夫だと思うか?」
短い問いだった。
だが、その一言に、タカギの不安がすべて詰まっている。
ノームはすぐには答えず、ほんの少しだけ間を置いた。
「いつかは兵役に出ることになる。それは決まっていたことだが……こうも早いとはな」
一度言葉を切り、静かに続ける。
「タカギ。お前の初陣は、いつだった?」
「俺か? ……二十の頃だな。この世界に来て、四年くらい経ってからだった」
天井を見上げ、苦笑いを浮かべる。
「そうだな。私も、それぐらいが初めてだった」
ノームも、遠い記憶をたどるように目を細めた。
「司には酷だが……これは、どうすることもできない」
「……ったく、ふざけた話だ」
タカギがぽつりと吐き出す。
ノームは何も言えず、ただ苦い笑みを浮かべるだけだった。
「そろそろ寝よう、タカギ」
ノームがそう言うと、タカギはしばらく黙り込んだあと、小さくうなずく。
「……ああ。起きたら、司にも話さなきゃならねえしな」
明日を避けることはできない。
それは二人とも、嫌というほどわかっていた。
それでも――今だけは。
目を閉じるしかない。
タカギも同意し、二人はそれぞれの寝床に横になる。
せめて夢の中だけでも、何も考えずにいられるように。




