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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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第25話 キラーとクイーン

 大きな屋敷の扉の前には、腰にサーベルを帯刀した見張りが二人、腕を組んで立っていた。


 ゼペットの姿を見ると、片方が片手を上げてゼペットに合図を送り、

もう片方が無言で扉に手をかける。


 重そうな木の扉がギギィと音を立てて開く。


 その暗がりの向こうに、これから報告をする相手がいる。


 そう思った瞬間、ゼペットの喉がごくりと鳴った。


 ゼペットは中に入り、目的の部屋へ向かって廊下を歩き出す。


 屋敷の中は外よりもずっと静かで、

さっきまで聞こえていた見張りの足音や声も、ここまでは届いてこなかった。


 松明の灯りが壁に揺れながら伸び縮みしていた。


 その揺れる影が、まるで彼をつかもうとしているように見えた。


 廊下は細く、左右の壁がやけに近く感じる。


 息苦しいほどではない。


だが、妙に圧迫感があった。


 鶯張り《うぐいすばり》の廊下からキュウキュウと音が鳴り、

そのたびに屋敷中へ『来客』を告げるように響き渡る。


 静かなぶん、その音はやけに大きく聞こえた。


 一歩進むたび、自分の居場所を屋敷中にばらしている気分になる。


 ゼペットはその音に合わせて心拍数がどんどん上がるのがわかった。


 胸を押さえながら、なるべく音が鳴らないようにつま先で歩くが、効果はないようだ。


 そっと足を置いても、廊下は容赦なく鳴いた。


 目的の部屋の前につき、ゼペットは扉の前で立ち止まる。


 深呼吸をして自分の気持ちを落ち着かせようとするが、うまく呼吸ができなかった。


 不安と動悸はむしろ強くなり、足の震えを隠すのに必死だった。


 震える拳を握りしめる。


 それでも手汗のせいで指先がじっとりしているのが、余計に恐怖を煽ってきた。


 覚悟を決めたゼペットは数回ノックをして、 自分の名前を告げる。


 返事が来るまでのわずかな時間が、やけに長く感じた。


 扉の向こうの気配に耳を澄ませるが、何もわからない。


 わずかな間のあと、くぐもった男の声で返答があった。


「おう、入れ」


 ゼペットは乾いた喉を無理やり動かし、扉の取っ手に手をかける。


 手のひらにじっとりと汗がにじんでいて、取っ手の感触が妙に冷たく感じた。


 扉を開けると、中から異様な匂いがしてくる。


 むっとするような熱気と、酒と汗と香の混じった甘ったるい空気が、一気に廊下まで押し寄せた。


 部屋は薄暗く中がよく見えない。


 壁際に立てかけられたランタンだけが光を放ち、赤茶けた影を室内に落としている。


 中央には大きなベッドが置いてある。


 その上で、おそらく裸であろう男があぐらをかき、肘を膝に乗せてこちらを見ていた。


 薄暗さのせいで表情までは読めない。


 扉から差し込む光で、床に転がる女性たちの姿が浮かび上がる。


 乱れたシーツや脱ぎ捨てられた衣服の間で、

裸の女たちが、顔を赤らめたままぐったりと倒れている。


 しかも、ひとりやふたりではない。

 複数人だ。


 酒瓶や杯もそこらに転がっていて、部屋の中はひどく荒れていた。


 ゼペットは、多少の安堵を覚える。


 少なくとも、目の前の男の機嫌は、そうそう悪くはないはずだ。


 この手の遊びのあとなら、

今すぐ怒鳴りつけられる可能性は低い――そう思えた。


 それでも、楽観できない。


 機嫌が良かろうが悪かろうが、『失敗した部下』を笑って許すような男ではないことを、

ゼペットはよく知っている。


 ほんの少し気が緩んだせいで、かえって自分の震えがはっきりわかってしまった。


 手足の震えを必死に押さえようとするが、 足の震えだけはどうしても止まらなかった。


 片膝をつき、もう一度深呼吸をしてから報告を始めた。


「も、申し訳ありません……! お預かりした軍勢を率いて前線都市へ攻め入りましたが…… 力及ばず、撤退を余儀なくされました。

……すべて、私の判断ミスによるものです」


 ゼペットは震えた声で、深々と頭を下げて謝罪をする。


 額が床につきそうなほど頭を下げながら、次の瞬間に何が返ってくるのかを待った。


 実際には何もないはずの頭上に、死神が鎌を振りあげる錯覚がした。


 首筋がひやりと冷え、今にもそこへ刃が落ちてくるような気がしてならない。


 しばしの沈黙の後、ベッドの上に座る男が笑いながら口を開く。


「ははっ、そんなビビんなよ。出陣前にも言ったろ、負けていいってよ」


 その軽い笑い声を聞いた瞬間、ゼペットは胸の奥で張りつめていた糸がほんの少しだけゆるむのを感じた。


(助かった)


 ゼペットがそう思った途端に、膝の力が抜けそうになる。


 張りつめていたものが一気に緩み、その場にへたり込みそうになるのを必死にこらえた。


 だが、安心できたのはほんの一瞬だけだった。


 続けて男が、何でもない世間話でも振るような口調で言葉を投げかけてくる。


「で? 何人殺してきた? こっちの損耗は?」


 その問いに、ゼペットは汗が止まらなくなる。


 さっきまで遠のいたはずの恐怖が、一息で目の前まで戻ってきたようだった。


 報告内容次第で機嫌が反転する男だ。


ここで間違えれば、さっき遠のいたはずの鎌を持った死神が再び目の前に現れるかもしれない。


 ゼペットは必死に言葉を選び、思考を回しながら口を開こうとするが、

男が先にその間を切り裂くように続ける。


「負けていいって言ってんだ。いいから正直に吐けよ」


 返答が遅れたゼペットへの、そのわずかな苛立ちの混じった声。


 その声色が少し変わっただけで、喉がきゅっと締まったように息苦しくなる。


 慌ててゼペットが返答する。


「も、申し訳ありません……! 敵の被害は、およそ一万を超えるかと……。

我が方は、死者二十五名、重症三十九名、軽傷六十七名で……あります」


 口にしている間も、自分の声がひどく震えているのがわかった。


 ガタガタ震えるゼペットを見た男は、鼻で笑った。


「だから気にすんなって。よくやってるよ、お前は。

千人連れてって十倍ぶっ潰してきたんだ。十分元は取れてる。

……ああ、報告ご苦労。とっとと寝てこい」


 その言葉を聞いた瞬間、ゼペットは全身の力が抜けるような安堵に包まれた。


 思わずその場に崩れ落ちそうになるほどだった。


無意識のうちに握りしめていた拳がじんと痛む。


 助かったのだと理解した途端、

今まで無理やり押さえつけていた震えが、逆に強くなった気さえした。


 褒めの言葉をもらい、ゼペットはかろうじて姿勢を保ちながら一礼した。


 部屋を出るとき、背後に向けた視線すら怖くて振り返れなかった。


 残された部屋の主人は、側で横たわる疲れ切った女たちを足でどかすように雑に押しのけ、ベッドから降りる。


 女たちは抵抗する力もないのか、押されるまま床の上でだらりと転がった。


 足元には酒瓶や衣服が散らばっており、まるで戦場の残骸のようだったが、

本人は気にも留めていない。


 踏み場もないほど荒れた部屋の中を、男は慣れた足取りで平然と歩く。


 近くのテーブルの上に置かれた水晶玉を片手でつまみ上げると、

口元だけで笑いながら話しかける。


「クイーン。こっちは予定どおりだ。大成功だぜ」


 言葉は軽い。


 だがその声には、隠しきれない楽しさがにじんでいた。


 水晶玉がぼうっと黄色く光り、その中心から柔らかな女の声が響いた。


「……キラーか。そうか、うまくいったようだね? よくやったよ」


 その声は、耳に心地よいほど上品で、同時に冷たく、底知れない何かを孕んでいた。


 優しく褒めているようでいて、少しも温かみは感じられない声だった。


「そろそろ十年以上経つね。この小競り合いも。

いい頃合いだね。王国の愚か者どもは、戦を知らない素人ばかり。

十年も勝ち続ければ、自分たちが『強者』だとでも思い込む頃さね」


 クイーンの声音はどこか楽しげだった。


「キラー。次は本気で遊んでおやり。この世界の愚か者どもに、『本当の戦争』ってやつを教えてあげなさい」


「やっとかよ。長ぇんだよ、十年も前座なんてよ。最初っから全力でぶっ潰させりゃよかったのによ」


 キラーは呆れたように愚痴をこぼすが、その顔には押し殺した笑みが浮かんでいた。


「お前も知っての通り、うちは兵が少なすぎる。

人数だけ見りゃ王国の足元にも及ばない。

正面から真っ当にやり合えば、押し潰されるのはこっちさ」


 クイーンの声は落ち着いていた。


「だからね、戦を知らない素人どもに――

『これが戦争だ』って、間違ったお勉強をしてもらう必要があったのさ」


 クイーンは静かに語る。


「わかったって、ここからは本気でやっていいんだな?」


「もちろんさ。好きにおやり、キラー」


 含み笑いのような言葉を最後に、水晶玉の光がふっと消える。


 完全に光が消えたのを確認してから、

キラーはテーブルの上のワイングラスをひったくるように掴み、一気にあおった。


 喉を鳴らして飲み干したあと、空になったグラスをそのまま床へ叩きつける。


 ガシャッ、と乾いた音が部屋に響き、砕けた破片が床の上へ散った。


「さあてよ……始めようぜ、『本当の殺し合い』をよ。

女で遊ぶのも、そろそろ飽きてきたところだ。――ワクワクが止まんねぇ」


 その声には、冗談めかした軽さと、隠しようのない本気の狂気が混じっていた。


 部屋中に、キラーの高笑いが響き渡る

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