第23話 誕生日
「よし、こんな堅苦しい話はもう終いだ。今日は我が妃の誕生日であるぞ。――宴の用意を、盛大にな!」
国王が玉座の上で、ぱん、と楽しげに手を叩いた。
その軽い音が、白く広い謁見の間に乾いて響く。
直後、両開きの大扉が、きぃ、と重たそうな音を立ててゆっくり開いた。
外で控えていた人々のざわめきが、一瞬だけ中へ流れ込んでくる。
扉の向こうから、銀髪銀眼のメイド達が整列して現れた。
全員が同じデザインのメイド服。
歩幅も歩く速さもぴったり揃っていて、まるで一つの隊列のように進んでくる。
頭上のシャンデリアの光を受けて、彼女たちの銀の髪がきらりと輝いた。
その手に乗せた銀のトレーの上では、料理の皿がかすかに揺れている。
焼き上がった肉の香ばしい匂い。
ふわりと広がる焼きたてのパンの香り。
甘いソースが舌に残りそうなほど濃く漂う。
見ているだけで腹が鳴りそうになるほどの匂いだった。
豪華な料理を乗せた銀のトレーを両手で支えるメイド達は王と王妃の前を静かに通り過ぎていく。
階段の下では、黒服の執事たちが整然と並び、次の指示を待っていた。
そのさらに後ろでは、貴族たちが思わず身を乗り出し、料理を眺めている。
「ほう……」「これは見事だ」
小さな感嘆の声が、あちこちから漏れていた。
カールは表情を崩さないまま、内心驚いていた。
(私はこの女の誕生祝に戦場から呼び戻されたのか)
彼の脳裏には、先の戦いで失われた異人たちのことがよみがえり、はらわたが煮え返りそうになる。
(なんて能天気な)
心の中で冷ややかに吐き捨てた。
晩餐会が始まると、カールの周りには大勢の令嬢が集まってきた。
次期国王候補であるカールの隣を狙い、誰もが少しでも自分を印象づけようとしている。
王妃の座を巡っているからこそ、彼女たちは笑顔の裏で、互いを静かに牽制し合っていた。
華やかな香水の匂いと、甘ったるい笑い声が耳元にまとわりつく。
ドレスの裾が揺れるたび、宝石が光を弾いてきらきらと瞬く。
誰もが、「自分こそがふさわしい」とでも言いたげな顔で、カールを見つめてくる。
(誰と結婚するか、か……。王妃の座の心配より、今は前線の心配をさせてほしいものだ)
表向きは穏やかに相槌を打ちながらも、カールの気持ちはまるでここになかった。
彼は彼女たちと楽しそうに会話を交わしているふりをしながら、さりげなくトーマへと視線を送る。
トーマもまた同年代の少女たちに囲まれていたが、
カールの周りにいる令嬢たちと比べれば、あちらの空気はまだずっと穏やかだった。
顔を赤くしながらも、トーマは一人ひとりにきちんと挨拶を返している。
けれど落ち着かないのか、ときおりこちらを気にするように視線をさまよわせていた。
トーマと目が合う。
すると彼は、ほっとしたように小さく微笑み、そのままそっとこちらへ歩いてきた。
少女たちの輪を抜けるときも、丁寧に全員へお辞儀をしている。
そういうところが、いかにもトーマらしかった。
カールと視線が重なった途端、トーマは安心したように表情をやわらげる。
「お兄様。その……今、お時間よろしいでしょうか?」
胸の前でそっと手を重ね、小首をかしげるトーマを見て、カールは思う。
なぜ、こいつは妹として生まれてこなかったのだろうか、と。
カールには姉が二人、妹が五人いる。
全員母親は違うが、れっきとしたカールの兄弟たちだ。
――それでも、並べて見比べれば、どうしてもトーマの方が一番かわいく見えてしまう。
(まあ、本当に妹であれば……誰にも嫁がせはしないのだがな)
そんな馬鹿げたことを心の中で呟いているうちに、
トーマが今にも泣き出しそうな顔をし始めていた。
カールがぼんやり考え込んでいる間、彼は「やっぱり今は駄目だっただろうか」と不安になっていたのだろう。
視線は落ち着きなく泳ぎ、指先はそわそわと服の裾をつまんでいる。
(しまった。答えも返さず放っておいてしまったな)
「……ああ、構わん。ちょうど息をつきたいと思っていたところだ」
慌ててそう声をかけると、トーマはパアァ、と花が咲くような笑顔を見せた。
先ほどまでの不安が嘘のように消え、その笑顔だけで、カールの胸の緊張が少しだけほどけていく。
(……かわいいやつだ)
カールが内心で悶絶していると、
トーマが銀髪銀眼の執事から小さな青い箱を受け取り、両手で大事そうに抱えてカールに差し出す。
緊張しているのか、箱を持つ小さな手がわずかに震えていた。
「こ、これ……その、ご無事で……帰ってきてくれた、お祝い、です」
「これは?」
カールが受け取り、箱を開けてみると、中には指輪が入っていた。
指輪には、王家の証である番の馬が精緻に装飾されており、そのうち片方の馬は、小さな宝石を大事そうに咥えている。
周りから、小さなどよめきが上がる。
「まあ、素晴らしい」「なんて素敵な兄弟愛かしら」
令嬢たちが口々に指輪を褒めそやした。
カールは胸の奥をぎゅっと締め付けられるような思いで、その指輪を見つめる。
すると、トーマがさらにそっと側へ寄り、
背伸びをしてカールの耳元に口を近づけようと頑張り始めた。
カールは百七十センチと成人男性の平均的な身長に対して、
トーマは百四十センチほどと、身長差はかなりある。
いくら背伸びをしても届かないトーマを見て、
カールは思わず口元を緩め、トーマに合わせて腰を落とす。
そうして目線を合わせただけで、
トーマは全身で嬉しそうにその仕草を受け止めた。
顔を寄せたトーマが、そっと耳元で囁く。
「ぼ、僕も同じ指輪を持っていて……片方の馬さんには、『絆石』を咥えさせているから。だから、その……これで、いつでもお話しできるね」
言い終えたあと、自分で口にした言葉を思い返したのか、
トーマは耳まで真っ赤にして、そっと視線を逸らした。
耳元から離れたトーマは、少し恥ずかしそうに笑って誤魔化す。
トーマは誤魔化そうとすればするほど、さらに顔が赤くなり、
その様子はまるで小さな太陽のようだった。
今すぐ抱きしめたい衝動を必死に抑え込み、
カールは自制を保ちながら、できるかぎり優しい声で告げる。
「……ありがとう。大切にする」
周りの女性たちが二人のやり取りを見て、口元を両手で隠しながら、
うっとりとした目でこちらを眺めている。
――尊い、と。




