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水野司の世界の声  作者: すずはるな
水野司と世界の声
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第22話 王妃マスカレ

 ふと、玉座の横。


 国王の傍に立つ女性が、そっと一歩前に出た。


 その瞬間、謁見の間にいた貴族たちの視線が、

まるで引き寄せられるように彼女へ集まった。


 その姿は、まるで一幅の絵画のようだった。


 大人の女性らしい柔らかな曲線と気品ある立ち姿が、

ただ立っているだけで人の視線を奪う。


 背筋はまっすぐに伸び、わずかな仕草ひとつにも無駄がない。


 長い黒紫の髪が肩から背中にかけて波打ち、

動くたびに光を受けて深い紫が揺らめいた。


 背中の中ほどまで伸びたウェーブヘアの毛先には、

ワインレッドがさりげなく染められていた。


 まるで夜の闇に、赤い月の光が混ざったような色合いだった。


 深い紫の瞳は、微笑んでいるにもかかわらずどこか温度を感じさせない。


 切れ長の目元と薄い唇が形づくる横顔は、整っていて上品で、

それでいて近寄りがたいほど美しい。


 身に纏うドレスは黒と深紅を基調とした豪奢な一着。


 胸元は品よく開かれ、金の装飾や宝石が夜空の星のように輝いている。


 腰には王家の象徴である番の馬の紋章を象った金の飾り。


 手には黒レースの手袋が優雅な指先を包んでいた。


 玉座に寄り添うように静かに立つ彼女は、聖母のような優しさをまとっていた。


 だが同時に、不気味さも漂わせていた。


 まるで『深淵』のようだった。


「陛下、『将軍殿』は此度の戦いと帰還で疲れております。長話はそろそろお控えなさった方がよろしいかと?」


 柔らかな笑みを浮かべた声だった。


 周囲の貴族たちも、思わず息を飲んだように静かになった。


「ふっ……そうだな。お前にそう言われてはな。マスカレ」


 国王が嬉しそうに答える。


 声には、威厳よりも甘さが混じっていた。


 玉座の上で肩を揺らして笑い国王は横目でマスカレを見つめた。


 その顔には、先ほどまでカールに向けていた威厳はない。


 そこにあるのは、妻に甘える一人の男の、だらしない優しさだった。


 マスカレは、その視線を受け止めながら、ゆっくりとカールへ顔を向けた。


 その動きは優雅で、まるで『次の獲物』を確かめるように静かだった。


「ええ、陛下。せっかくのお祝いですもの。お話ばかりでは、楽しむお時間が削れてしまいますわ」


「ねえ? 将軍殿。あなたもそうお思いでしょう?」


 マスカレはカールに優しく話しかけた。


 口元は優雅に微笑んでいるが、その目だけは笑っていない。


「……はい。マスカレ様のおっしゃる通りかと存じます」


 カールは顔を上げ、作り物のように整った微笑みを浮かべて答える。


 マスカレはわざとらしく肩をすくめ、

可愛らしい仕草で小さくため息をついてみせる。


「まあ……。『母上』とお呼びくださいませと、いつもお願いしておりますのに。やはりまだ、距離は埋まりませんわね?」


 その言い方は甘く、やさしい。


 なのに、とても冷たく感じられた。


 謁見の間のあちこちで、貴族たちがくすくすと笑う。


 それは、仲睦まじい親子のようにも見える光景かもしれない。


 だが二人の間には巨大な溝があった。


 笑っているのは周囲だけで、当人たちは――少しも笑っていない。


 しばらくの間、互いに顔を見つめあっていたが、

その沈黙に耐えきれなかったのか、カールが根負けして視線を外した。


 そして、マスカレのすぐ側に控えていた一人の少年へと目を向ける。


 十歳になる少年だが、どう見ても美少女である。


 髪は黒髪のロングを腰下まで伸ばし、先端をリボンでひとつに束ねている。


 光が当たるたび、紫色の反射がきらりと揺れて目を引いた。


 長いまつ毛に、丸みを帯びたほっぺ。


 整いすぎるほど整った顔立ちで、目元も口元も柔らかい。


 もし男性用の正装ではなく、

女性用のドレスでも着ていれば――誰が見たって少女にしか見えないだろう。


 カールと同じく軍服を身に付けていても、その印象は変わらない。


 むしろ、その軍服が似合わなさすぎて、余計に目立つ。


 もじもじと袖口を握りしめ、周りの視線におびえたように小さくなる。


 その姿は、服に着られているようで軍服がとても窮屈に見えた。


 少年は、カールが自分を見ていることに気が付くと、ぱっと表情を明るくした。


 満面の笑みを浮かべ、首を小さく傾げる。


 マスカレは少年の手を引き、玉座の階段をゆっくり降りてカールに近づく。


 黒いレース手袋の指先が、静かで優雅な動きでカールの手へと触れ、そっと包み込んだ。


 柔らかいはずの感触なのに、カールにはどこか冷たく、

ぬめっとしたものに掴まれたように感じる。


 背筋に、ぞくりとした嫌なものが走った。


「さあ、将軍殿。いつまでも膝をついておらず、お立ちになって? これから楽しい晩餐会が始まりますのに」


 耳に届く声は、いつも通り穏やかで優しげだ。


 カールは胸の奥で、じわりと嫌悪が広がるのを感じた。


(なぜあなたが私に『立ってよい』などと命じるのか……)


 心の中でそう呟くと、カールはわざとゆっくりとした動作で立ち上がり、

マスカレではなく国王へ向けて感謝を示す礼を取る。


 カールとマスカレ、二人は視線を合わせ、お互いに微笑み合う。


 だが、カールの笑みは筋肉で作った仮面にすぎず、

マスカレの笑みは獲物の動きを観察する蛇のように静かだった。


 どちらの目も、本心ではまったく笑ってはいなかった。



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