第21話 国王と貴族
王城の廊下は外観と同じく白い石で形作られており、
壁には歴代国王たちの絵画が等間隔に飾られている。
金の額縁に収められた肖像画はどれも威厳に満ち、
王冠を戴いた王や、剣を携えた王などが並んでいた。
高い天井からは大きなシャンデリアが吊るされ、
無数の水晶玉が柔らかな光を反射して、廊下全体を淡く照らしている。
床に敷かれた白い石は磨き上げられており、
歩くたびに青年の靴音が静かに響いた。
両脇には直立不動の騎士たちが並び、
青年が通り過ぎるたびに、背筋を伸ばして敬礼で敬意を示す。
鎧がかすかに鳴る音が、静まり返った廊下に小さく重なった。
やがて、謁見の間へ続く両開きの大扉が見えてきた。
人の背丈の数倍はある巨大な扉だ。
重厚な黒い木材で作られており、表面には細かな金の装飾が施されている。
王家の紋章『向かい合う番の馬』が刻まれた扉の前で、青年の足が止まると、
扉脇の執事が合図を送り、中の騎士たちが声を揃えて開門の号令をかける。
低く響く号令とともに、扉の内側から重い金具が外される音がした。
重厚な扉が、ギィ……と低い音を立てて開いていく。
その隙間から、ひんやりとした空気と香のかすかな匂いが流れ出てきた。
先ほどまで談笑していた貴族たちの声が、
扉の開く音に合わせて次第に消えていく。
気がつけば、謁見の間の中のざわめきはすっと小さくなっていた。
謁見の間は真っ白な室内を左右に区切るようにレッドカーペットが敷かれ、
階段上の玉座まで一直線に続いている。
広い空間の中央を貫くその赤は、
まるで道しるべのように玉座へと視線を導いていた。
壁も柱も白一色だ。
窓から差し込む光とシャンデリアの灯りが反射し、
どこか現実味のない明るさを作り出していた。
白い大理石の床は鏡のように光を返し、室内全体が淡く輝いていた。
その光景は、まるで神殿の中に足を踏み入れたかのような静けさを漂わせていた。
玉座は黒いレザーのシートでできており、
金の枠で形作られた王家の紋章が刻まれている。
黒と金の組み合わせが、白い謁見の間の中でやけに目立つ。
そこだけ色が浮いて見えるせいで、嫌でも視線が吸い寄せられた。
その周りには、
王家の紋章を模した装飾がいくつも飾られ、自然とそこへ目が向く。
玉座に鎮座するのは、第百二十四代国王その人である。
側頭部に白髪が混じっているが、
青年と同じく黒髪で、光の反射で濃い紫色にも見える。
透き通る紫の瞳が青年の姿を捉えていた。
身に纏うのは、黒と金の豪奢な礼装ローブ。
肩口と胸元には王家の象徴たる『番の馬』の金刺繍が大きく刻まれている。
胸元では宝石をあしらった重厚なペンダントが、
玉座の光を反射して静かに輝いていた。
そして片手は、深紅の布で飾られた王笏の柄に軽く添えられている。
国王はとても体格がよく、肩幅が広く、腕も太い。
ローブを着ていてもその筋肉質な体つきがよくわかる。
青年はレッドカーペットを優雅に歩く。
一歩ごとに軍靴が絨毯を踏むが、音はほとんど立たない。
白い床と白い壁の中で、赤い道だけがまっすぐ玉座へ伸びている。
レッドカーペットの周りには多くの貴族が頭を下げ、
将軍である青年の帰還を迎え入れる。
顔を上げる者はいない。
視線だけがこっそりと動き、青年の姿を追っているのが分かる。
玉座の前、階段前まで歩き、青年は片膝を床につけ頭を下げた。
「よく戻ったな、カールよ。……ふ、こうして無事な姿をこの目で確かめられて、余は満足だ」
国王がカールに労いの言葉をかけた。
広い謁見の間に、その低くよく通る声が響き渡る。
声が落ちた瞬間、空気がすっと締まる。
ざわめきは止み、誰もがその言葉を待っていたかのようだった。
「陛下におかれましても変わらずご壮健と伺い、僭越ながら安堵いたしております」
カールは顔を上げ、礼儀通りの声で答えた。
その声は落ち着いており、少しも乱れていない。
「うむ、カールよ。此度もよく敵の侵攻を退けた。……うむ、順調で何よりだ」
国王は嬉しそうにカールに声をかける。
その声色は、忠実な部下を労うものというより――まるで我が子を慈しむ父親のように、どこまでも優しかった。
「いえ、とんでもない。……千の敵に対して一万以上の兵を失った私めに、そのようなお言葉は過分にございます。」
カールの声が少しだけ低くなる。
「一万? ……ああ、異人どもの数か。気にするな。どうせいくらでも補充できる。好きなだけ使い潰せばよい。」
国王は大したことがないという表情で笑いながら言った。
カールは深々と頭を下げ、感謝の意を表す。
ただ、握りしめた拳に力がこもり、白い手袋がきしりと鳴った。
手袋の布が引っ張られ、指先が痛むほどだ。
周りの貴族たちは、国王に続き口々にカールの名を讃え始めた。
「さすが将軍閣下だ」「やはり我が王国は盤石だな」「次期国王は決まりだな」
褒め言葉が途切れない。
笑い声まで混じり、場の空気はどんどん軽くなっていく。
取り繕った笑みと、追従の言葉が次々と重なり、
白い壁と高い天井にぶつかって、
ひとつの大きなざわめきとなってカールの耳に押し寄せてくる。
(……愚かだ。一万だぞ。一万もの“人間”が死んだというのに)
カールは怒りを抑えるようにさらに拳を強く握った。
(敵を追い返しただけの私など、本来なら無能と罵られて然るべきだろうに)
この場にいる誰一人として死んだ異人たちのことを思い浮かべていないことなど、
一瞬で分かってしまう。
カールは王家、貴族らの楽観的な考えに嫌気がさしていた。
さっきから耳に入るのは、勝った、強い、安心だ――そんな言葉ばかりだ。
『千人にも満たない敵』を相手に、一万の異人を失ったことを誰も気に留めない。
もし、これが騎士を一万人失ったとなれば大ごとになるだろう。
しかし、消耗品の異人がいくら死んだところで誰も気に留めない。
その温度差が、カールにはたまらなく腹立たしかった。
むしろ、死んでくれたことを喜ぶ声が聞こえてくる。
これで、食料問題が少しは解決するだろうと。
その言葉を口にした貴族の笑い声が、
カールの心に激しい炎を抱かせたが、それをグッと我慢した。
彼らが楽観的な理由を、カールはよく知っていたからだ。
ここにいる多くの貴族は戦争を知らない。
ほとんどが役人であるため、戦場に出たことが一度もないのだ。
王国が建国されてから千年以上経つが、戦争が起きたことは一度もなかった。
平和が当たり前になりすぎて、危機を危機として見られない。
それが今の王国だ。
だからこそ、十年ほど前に王国に牙を剥く者たちが現れたときも、
鎮圧に向かったのは騎士だけだ。
だからこそ彼らは戦争がどういうものか、今もよくわかっていない。
さらに、国民は酷い。
彼らは知らないのだ、この国が今、戦争をしていることを。
いや、戦争という言葉、行為そのものを知らないのだ。
たとえ国が発表しても、その意味を理解できないだろう。
だが、彼らを責めることはできない。
他国が存在しないこの世界では、戦争など起こりようもない。
この国の長い歴史の中で、『戦争』という言葉が語られたことは一度としてなかった。
約八百年前に異人が現れる以前の人々は、
本当に他人を思いやり、互いに協力することに長けた、穏やかな人種であった。
今のように醜い人種ではなかったのだ。
にも関わらず、今、敵がいるのはいうまでもない。
異人たちが反旗を翻したのだ。
奴隷解放と、人としての権利を求めて。
彼らの言い分は真っ当だ。
誰だって自由を求める。
人として生活がしたいと願うのは当然である。
なのに、道具として死ぬまで消耗されるだけではなく、
死ぬことすら『よかった』と受け止められているのが現状である。
――もはや、奴隷より酷い扱いだ。
カールが怒りを抑えるように頭の中で貴族らの楽観的な考えを整理していると、
国王がまだ何か上機嫌に話をしているのに気が付いた。
その太くよく通る声が、白い壁と高い天井に反響して、謁見の間いっぱいに広がっていた。
国王はカールを自慢し、周りの貴族たちは「さすが将軍」とでも言いたげに、
わざとらしい笑い声や相槌を返す。
頭を下げたままのカールの視界には、赤い絨毯と自分の黒い軍靴、そして床に落ちた影しか映らない。
握りしめた拳には力が入りすぎて、手袋の中で指がわずかに震えていた。
内なる思いを抑えるように、カールは唇を強く噛み締めて耐えていた。
噛んだ部分に、じわりと鉄の味が広がる。




