第六話 「うちに来て」
「おかえりなさいませ」
「……甘音」
有透さんは、前回の来店のきっかり一週間後に、またアフタヌーンへとやってきた。
いつもの席へ案内すると、有透さんはため息をついた。
「どうかされましたか? なんだか、いつもよりお疲れのような……」
「ああ、そうだな……」
私の体調を心配してくれていた有透さんだけれど、今日は彼女の目の下にクマがある。
一方私はというと、有透さんのおかげで体調がよくなった、ような気がする。
私の体調を、間接的にだけれどよくしてくれた有透さん。
ギブアンドテイクではないけれど、私も彼女を癒せないだろうか。
ここはメイド喫茶、癒しの空間だ。
ここアフタヌーンでは盛んではないが、アニメなどではもっとかわいくダンスなども……って、それは恥ずかしいから無理だ。
少し火照った頰を冷ましつつ、私は有透さんに優しく優しくと心がけ、声をかけた。
「何かあるなら、力になりますよ」
疲れ切った色をしている彼女の瞳が、こちらへ向く。
そしてまたため息をつき、語り始めた。
「実は、私は黒宮家を継ぐことになっているんだ」
「えっ。つまり、黒宮フューチャーカンパニーのトップに立つ、ということですか?」
「……まあ、立場はどうでもいいが、とにかく継ぐことになっている」
「すごいこと、ですよね」
「……」
有透さんは、沈黙した。
その沈黙が、有透さんの心中を物語っているような気がした。
「私は、黒宮家を継ぎたくはない」
ポツリ、と溢される呟きに、耳を傾ける。
聞き逃しては、いけない気がして。
「そんなことよりも、もっとやりたいことがあるのではないか……そう、考えてしまうんだ」
有透さんの、やりたいこと。
やりたいことなんて、みんなすぐには見つからない。
それなのに、やりたいことを見つける猶予すら与えてくれないのか。
黒宮家が、有透さんの自由を奪ってしまっている?
唾を、ゴクリと飲み込む。
嫌に、心臓が鳴っていた。
聴覚が、有透さんの声だけを捉える。
視線が、有透さんに釘付けになる。
私は、これを知っている。
やりたいことができず、決められた道を進むしかない、この無情な感覚。
私も、そうだ。
「わかります」
気づいたら、そう言っていた。
有透さんが、ハッと顔を上げる。
私の顔は、うつむいた。
「甘音に何がわかる」、そう言いたいかもしれない。
でも、少しだけ聞いてほしい。
私の置かれている、境遇を。
「父の会社が倒産して、一気に貧乏になって。……今、実家は借金返済に追われています」
有透さんの目の奥が、揺らいでいた。
私がそんな状況で生活をしているなんて、わからなかった、というような表情。
あるいは、自分の知らない世界を覗いてしまった、深窓の令嬢の表情だろうか。
私は、構わず話し続ける。
「私は、大学を卒業したら、実家……新潟に帰ります。東京に一人暮らしは、お金もかかるし大変なので」
少ない仕送り、バイト代。
それらを注ぎ込み、生活費に充てている。
ボロボロのアパートに住むしかないのも、そういった理由だ。
あれでも三年間過ごして、愛着は湧いているけれど。
「実家に帰って、借金の返済を手伝います」
そうだ、これが私の人生。
親に孝行し、尽くすのが、私の人生の模範解答。
それしか、道はないのだ。
れいれいの言葉を借りるのは癪だが、家のための生贄のようなものだろう。
私も、有透さんも。
「そんなの……ほとんど、敷かれたレールを走っているだけじゃないか」
有透さんの、震えた声が聞こえてくる。
顔は、上げられなかった。
顔を上げたら、情けない私の顔が見られてしまうから。
「敷かれたレールを走るのは、得意ですから」
ギシッ、と音がして、何かが軋んだ。
この列車は、もうボロボロだ。
「だから……私は、模範解答の人生を受け入れます。……他に、やりたいこともないですから」
お昼過ぎのアフタヌーンは、ガラガラに空いていた。
静かな店内に、私の独白が小さく響く。
……有透さんは、どんな表情をしているだろうか。
それだけが、気になった。
「じゃあ……っ」
乱暴な、けれど芯の通った声。
いつもと違う音色に、私は……顔を上げてしまった。
「じゃあ、卒業したらうちに来て!」
心臓がうるさい。
有透さんの射るような目に、見事に撃ち抜かれてしまったみたいだ。
そんな、潤んだ目で見ないでください。
……反則、ですから。
「卒業したら、私が代表になった黒宮家に来て。一緒に働こう? 住みたければうちに住めばいいし、給料で借金も返せる」
不意に、手が温もりに包まれた。
有透さんの、細い、でも力強い手だ。
有透さんは、私を見上げる。
「似たもの同士、一緒に働きませんか?」
それはまるで、プロポーズみたいで。
ずっと、有透さんの綺麗な瞳が、頭から離れなかった。




