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第二話 お嬢様と生贄

「おっ、おかえりなさいませぇ……」


 入り口の近くにいたメイドが、綺麗な女性を迎える。


 その子の頰は、完全に紅潮していた。


 確かに、この女性は美しすぎる。

 あの子でなくても、ドキッとしてしまうのは頷けるくらいに。


 まあ、どうせ私には関係ない。

 さっさとグラスを下げよう。


 私は、キッチンまで下がった。



 そのときはまだ、知らなかった。


 誰かが、私を見ていたことに。



 ―――


 食器を下げて表に戻ると、あの女性はまだ入り口の近くにいた。

 その周りを、数人のメイドが囲んでいる。


 その中には、れいれいもいた。


 れいれいたちの大きく甲高い声が、こちらまで聞こえてくる。


 お昼を少し過ぎた時間。

 お客さんは、あまりいない。


 だから、一人に対して何人かで対応しても、支障はない。

 私だったら、初めてくる店で囲まれたら、少し嫌だけれど。


 あの人は、嫌だと思っていないのかな。


 私は、そっと女性を見た。


 その直後、冷や汗をかいた。



 ……女性の顔が、とても嫌そうだったから。



 今、女性がため息をついた。


 せっかくのお客さんなのに、帰ってしまわないだろうか。


 私には、どうすることもできないだろうけど。


 暇を持て余している私は、テーブルでも拭いていようと、女性たちの横をすり抜ける。


「私がいいですよねー?」


「誰をご指名しますか?」


 れいれいを含むメイドたちは、キャーキャーと騒ぎ立てている。



 そのとき。


 耳障りな甲高い声の隙間から、音が聞こえてきた。



 チッ、という音が。



 い、今、舌打ちをされた?


 私は、思わず振り返った。


 一人、また一人と、メイドたちはおしゃべりをやめていく。

 そして、お互いの曇った顔を見合わせた。


「お、お嬢様? どうされました……?」


 れいれいが、顔を引きつらせて訊ねる。


 その問いに、女性はひとりごとのように返した。


「こういう店だったか……。風香のやつ、騙したな」


 横で見ているだけの私にも伝わってくる、不機嫌そうなオーラ。


 こんなに不機嫌にさせたら、レビューになんて書かれるか……。


 気持ちの悪い汗が、私の背を伝った。


 でも、女性は風香という方に騙されたことに、機嫌を損ねているだけかもしれない。

 この店に不満があるわけでは、ないはずだ。


 そう思っていたのも束の間、女性はれいれいをキッと睨んだ。


 まるで、怒っている学校の先生と生徒のようだ。


 れいれいは、さらに顔を引きつらせた。


「ど、どうされたんですか、お嬢様!」


「どいてください。私は、静かにお茶が飲みたいのですが」


 自分が言われているわけではないのに、確かに感じる迫力。


 れいれいは、一歩後ずさった。


「しょ、承知いたしました!」


 れいれいが、パタパタと駆けていく。


 よかった。

 女性が常識のある人だったからか、なんとかなりそうだ。


 そう、思っていたのだが……。


「あまねんセンパイ?」


 ビクッ


 自分の体が、少し跳ねる。

 ずっしりと肩にかかった重みは、彼女のものだろう。


 れいれいの顔は、少し強張っていた。


「わたし、あのお嬢様怖いから……。接客、変わってくれません?」


「えっ」


 絶句した。


 私だって、あの女性の接客をするのは怖い。


 私の行動が駄目だったら、叱られてしまうかもしれない。


 それでも。


 私は、れいれいの言うことを聞かなければならない。

 れいれいには、逆らえないから。


 カラカラに乾いた舌を動かして、返事をする。


「わかった」


 体に、おもりが付けられたような気がした。


「え、いいんですか? ありがとうございまーす」


 顔を輝かせたれいれいは、軽い足取りでキッチンへと入って行く。

 すれ違った瞬間、私の耳は彼女の声を聞き取った。


「精一杯頑張りなよ、生贄センパイ」



 ――生贄。



 言い得て妙だ。


 私は、生贄として、これからあの女性の捧げ物になる。

 れいれいにとって私は、傷ついても、どうなってもいい存在。



 ……何はともあれ、私にとっては久しぶりすぎる接客だ。


 気合いを入れなければ。


 私は、女性のところへと歩いて行った。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 女性は、私を一瞥する。


 声が、高すぎたかも。


 心臓がドクドクと鳴っている。

 できる限り、穏便に済ませたい。


 気に障ることのないように。


 私は、精一杯の営業スマイルを浮かべて、続けた。


「初めてのご帰宅ですよね。まずはお席にご案内してから、当店についてご説明いたします」


 ……言えた。


 笑顔を絶やさず、マニュアル通りに。


 だが女性は、少し首を傾げた。


「帰宅……? ここは、私の家ではないのに」


 この人は、メイド喫茶に慣れていない人なのだろう。

 これまでの状況も考え、そう結論が出る。


 私は、そんな人のために用意してある説明を、すらすらと読み上げていった。


「メイド喫茶では、入店されることを帰宅と呼ぶのです」


 原稿は、頭の中にある。

 今のは、完璧だったはずだ。


 ニコニコと待っていると、女性は静かに頷いた。


「……そうなのか。では、お願いします」


「はい」


 私は頷き、空いているテーブルに案内した。


 椅子を引き、女性に座ってもらう。


 その瞬間、女性の髪から、落ち着いた香りが漂う。


 花の匂い、だろうか。


 きっと、いいシャンプーを使っているのだろう。


 私とは違って。


「当店の説明をいたしますね」


 頭を切り替え、店のシステムの紹介をしていく。

 話している間も、女性はちゃんと頷いてくれていた。


 もしかしたら、そんなに怖い人ではないのかもしれない。


「当店のカードをお作りすることができますが、お作りいたしましょうか?」


「カード。……では、お願いします」


「かしこまりました」


 私は一礼し、テーブルから離れた。

 カードを取りに行くためだ。


 私は、密かにため息を漏らす。


 今のところは、順調だ。


 ……今のところは。


 カードとペンを一つずつ、女性に手渡す。


「こちらのカードに、お名前をご記入いただけますか? ニックネームで構いませんので」


「わかりました」


 女性は、私からカードとペンを受け取った。

 そして、少し考えてから、サラサラと文字を書きつけた。


 カードを確認する。

 そこには、丁寧に書かれた文字が並んでいた。


 ニックネーム:アリス


 アリスというと、不思議の国のアリスが連想されるけれど、このアリスさんは全く不思議の国に行きそうな感じではない。


 不思議の国に行っても、自力で生還しそうな強かささえ感じられる。


 私は笑顔を浮かべ、自己紹介を始めた。


「よろしくお願いします、アリスお嬢様。今回ご案内させていただく、あまねんと申します。よろしくお願いいたします」


 新規のお客さんに名乗ることは、久しぶりだ。

 変な名前なので、少し気恥ずかしい。


 私の顔の中心に、熱が集まっていく気がした。


 アリスさんは、パチパチと目を瞬く。

 一瞬沈黙したあと、


「お願いします」


 と小さく頭を下げた。


 きっと、私の顔は真っ赤だ。


 ふざけた名前だと思っているのでしょう?

 ほんとですよね。

 激しく同意します。


 私は、あはは、と愛想笑いをした。



 それからは、普通に注文をしてもらい、普通に紅茶を提供した。


 その後アリスさんは、トートバッグの中からノートパソコンを取り出した。

 そして、何やら作業をし始める。

 アリスさんは、時折紅茶に口をつける。


 れいれいが恐れるような、ヒステリックな人ではなさそうだ。


 落ち着いた、素敵な女性だった。


「ごゆっくりお過ごしください」


 安心した私は、そっとその場を離れ、キッチンへと戻ろうとした。


 が。


「あなた……!」


 心臓が跳ねる。


 いつのまにか、私の手首はアリスさんに掴まれていた。

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