第十話 自立
目の前にいるのは、怖い顔をした親子二人。
有透さんと、そのお父様だ。
二人は睨み合っている。
そんなところに、混ざり込んだ私。
こ、こんな場所に、私がいていいのだろうか……。
ただただ、萎縮してしまう。
でも。
「甘音には、私と父の話すところに立ち会ってほしいんだ」
そう言う有透さんの声が、頭の中で再生される。
なぜ私が? という気持ちも、あるにはあったが。
他ならぬ有透さんからの頼みだ。
断る理由がない。
というわけで、私は今ここにいる。
が、早くも逃げ出したくなってきた。
お互い威圧感のありすぎる、有透さんとお父様。
見ているだけでも、その圧が伝わってくる。
お二人とも、怖いです……。
でも、逃げ出してはいけない。
有透さんのために。
だから私は、二人の話の行く末を見守ることにした。
「話とはなんだ」
有透さんのお父様、有介さんが、先に口を開いた。
有透さんを見る、力強い瞳。
威厳がある人だ。
有介さんが、私を一瞥する。
心臓が、止まるかと思った。
あの人は、娘の友達に、何を思っているんだろう。
安いスーツだ、と笑っている?
なぜこの娘が有透と、と首を傾げているだろうか。
表情が、全く読めない人だ。
こんなことを言ったら怒られそうだが、どことなく出会ったばかりの頃の有透さんに、似ている気がした。
人を寄せ付けない雰囲気が、そっくりだ。
「父さん。私は、やりたいことができました」
それにしても、そんなお父様とも臆さず話す有透さんも、どういう心臓をしているのだろうか。
本当に、かっこいい人だ。
「私のやりたいこと。それは、ここにいる烏野甘音と共に働くことです」
有介さんは、静かに聞いている。
有透さんの声は、徐々に大きくなっていった。
「ですが、父さんはこの会社で私と甘音が共に働くことは、許してくれないそうですね」
ゴクン、と唾を飲み込んだ。
有透さん、頑張れ。
私は斜め後ろから、エールを送ることしかできない。
気づけば、両手を胸の前で、祈るように組んでいた。
緊張した空気の中、有透さんが口を開く――。
「私は――起業します」
ピク、と有介さんの眉が動いた。
自分が向けられているわけじゃないのに、自然と背筋が伸びるような視線。
有透さんは、そんな視線を受けても、毅然として向き合っていた。
「だから……黒宮は、継ぎません」
有透さんの紡ぐ言葉の一つひとつが、重い、将来の話だった。
有介さんが、許してくれるだろうか。
いや、有透さんはきっと、その未来を掴み取る。
そう、信じている。
しばらく睨み合う二人だったが、ついに有介さんが息を吐いた。
「有透……。そんなに、立派になっていたんだな」
ハッ、と有透さんが目を見開く。
そして、何かを堪えるように顔を歪めた。
有透さんの目は、赤くなっていた。
「わかった。だが、会社を経営するのは、容易なことではない。頑張るんだぞ」
「……はい!」
そこには、柔らかい、親子の空気が流れていた。
……よかった。
なんだか、私まで泣いてしまいそうだ。
「それでは、失礼いたします」
「待て」
退出しようとしたとき、有介さんは私たちを引き止めた。
「烏野くん。少し、話したいことがある」
わ、私?
有透さんと視線を交わす。
「甘音に何かしたら、許しませんからね」
そう言って、有透さんは出て行った。
ええ……?
残されたのは、安いスーツを見に纏った私と、立派で高そうなスーツを着た有介さんのみ。
私は、有介さんの正面へ移動した。
デスクに肘をついた有介さんは、さながら悪の組織のボスのように見える。
でも、悪い人ではなさそうだ。
有透さんの、お父様なんだから。
「呼び止めてすまない」
「いえ。……どうか、されましたか?」
もしかしたら、私が粗相をしてしまったのかも。
学校で先生に呼び止められたときと、同じような心持ちになった。
「……有透は、これまでは私の言ったことに頷くだけの娘だったんだ。今日初めて、有透に反抗された」
……そうだったんだ。
でも、こんなに怖いお父様なのだ。
逆らったら何をされるかわからないし、反抗できないのも当たり前なのかも。
「有透は有透のやりたいことをやればいいのに、私の決めた道を淡々と歩むだけの娘に育ってしまった。私はこうして、反抗されることを待っていたのかもしれんな」
親子って、きっと難しい。
親の優しさは、子どもにとっては鬱陶しく感じられることもある。
有透さんのように、家に縛られる人生を送る人もいる。
私も、そうなりかけていた。
上手く親子をやれている家庭なんて、きっとないのだろう。
「上手い」の基準は人それぞれだ。
同じ家庭にいても、価値観が違うことは当たり前。
きっと、みんなどこかが欠けている。
それでいいのだ。
「有透はきっと、烏野くんと出会って変わったんだ。ありがとう、烏野くん。これからも、有透を頼む」
その、次の瞬間。
私は、大きく目を見開いた。
有介さんが、深く深く頭を下げていたから。
「そ、そんなそんな、どうか頭を上げてください……」
頭を下げられることなんか、何もしていない。
ただ、有透さんと一緒にいたというだけだ。
でも。
「わかりました。有透さんを、これからも補佐してまいります」
頼まれたことは、やり遂げなければ。
私も頭を下げて、部屋を出た。
そこには、有透さんがいた。
彼女を見るだけで安心してしまうのは、なぜだろうか。
「大丈夫、甘音? とりあえず……大丈夫そうだな」
「大丈夫ですから。さあ、行きましょうか」
私の頭からつま先までまじまじと見る有透さんがおかしくて、笑い声が漏れた。
それを皮切りに、有透さんも笑った。
二人きりの廊下に、二人分の笑い声が響く。
やることはたくさんある。
でも、有透さんとなら頑張れる。
私たちは、まっすぐ歩き始めた。
二人一緒の未来を、掴み取るために。
次回、エピローグ。
甘音と有透のその後を、最後まで見届けてください。
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