01.村の仕事
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塔が現れてから、十年。
バシュタット連合国の端に、その村はあった。
地図にも載らないような、小さな村。
村の名を知る者は少なく、住人もわずか六十人ほどしかいない。
村を囲むのは、なだらかな草原と深い森。
畑を耕し、家畜を育て、森で獲物を狩る。
大きな街のような賑わいも、珍しい品物もない。
けれど、そこには人々の暮らしがあった。
そして、その村に一人の少年がいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
アルトリウス。十歳。
金髪の少年が大きく目を見開く。朝の光を受けた紫色の瞳には、かすかな青みが浮かんだ。
「だから!もう子供じゃないって言ってるだろ!」
朝の村に、少年の声が響く。
「はいはい。大人のアルトリウス様は、今日も元気ですねえ」
そう言って笑ったのは、幼馴染の一人、カイルだった。
栗色のくせ毛を揺らすカイルは、いたずら好きで口が達者だ。
茶色の瞳を細め、何かにつけてアルトリウスをからかってくる。
「お前なあ…….!」
「あらら?大人なら、そんなことで怒らないんじゃない?」
「……っ…….!」
アルトリウスは言い返そうとして、口をつぐんだ。
大人はすぐに怒らない。
父がそう言っていたのを思い出したからだ。
「ほーら、やっぱり子供だ、ニシシ」
「カイル!」
結局、追いかけっこが始まった。
村の広場を駆け回る二人を、井戸のそばにいた少女が呆れたように眺めている。
「朝からよく走れるね、二人とも」
少女の名はエルナ。
黒髪を一本の編み込みにした、穏やかで面倒見のいい少女だ。
村の年寄りからも可愛がられており、薬草や家事の手伝いをすることも多い。
「アルトリウス、走るのはいいけど、昨日頼まれてた薪運びは終わったの?」
「……もちろん!」
「その間は?」
「……これから!」
「やっぱり終わってないんじゃない」
エルナの隣で、小柄な少年がくすくすと笑った。
「ぼ、僕も手伝うよ。アルトリウス一人だと、また途中で槍の練習を始めちゃいそうだし」
少年の名はノア。
少し長めの灰色の髪と大きな瞳が特徴で、気弱なところがあるものの、周りをよく見ている。
アルトリウスが何を考えているのかも、本人以上に分かっていることがあった。
「そんなことしない!」
「この前、薪を運ぶ途中で木の枝を槍に見立ててたよね」
「それは……練習だ!」
「薪運びの練習じゃなくて?」
「違う!」
最後に、広場の端で腕を組んでいた少女が、静かに口を開いた。
「みんな、朝から元気だね」
ミレイア。
黒髪のショートヘアがよく似合う、五人の中で一番背の高い少女だ。
冷静で言葉数は多くないが、言うべきことははっきり言う性格だった。
「アルトリウス。アーマンおじさんが探してたよ」
その言葉に、アルトリウスの表情が変わった。
「父さんが?」
「うん。家の前で待ってた」
「本当か?!」
アルトリウスはすぐに駆け出した。
「ほーら、やっぱり子供だ」
カイルの声が背中に飛んでくる。
「うるさい!」
振り返って言い返しながらも、足は止めなかった。
父が自分を探している。
それだけで、胸の奥が少し弾んだ。
アルトリウスにとって、父アーマンは憧れの存在だった。
村の3人しかいない狩人組に所属し、森の獣から盗賊まで村人を守る男。
濃い金髪と鍛えられた体を持ち、穏やかな人柄で村人たちから頼りにされていた。
幼い頃から、アルトリウスは父に槍を教わってきた。
最初は木の棒を握ることさえ難しかった。
何度も転び、何度も手の皮をむき、それでも父は根気よく付き合ってくれた。
槍を構える姿。
獲物に向き合う真剣な目。
そして、村に帰れば誰にでも向ける穏やかな笑顔。
いつか自分も、父のようになりたい。
村を守る狩人になりたい。
それが、アルトリウスの夢だった。
「父さん!」
家の前にいたアーマンが振り返る。
「おう。見つけたぞ」
「何か用?」
「今日は狩りに出る。お前も来るか?」
一瞬、アルトリウスは言葉を失った。
「……え?」
「森まで行く。狩人組の仕事だ。大人の邪魔をしないこと。それが条件だ」
「行く!」
返事は、ほとんど叫び声だった。
アーマンは小さく笑う。
「まだ話は終わっていないぞ」
「ご、ごめん」
「槍は持っていかなくていい。今日は弓と短刀の使い方を教える」
「槍は?」
「狩りで槍を使う機会は多くない。獲物を追うことも、仕留めることも、道具の使い方だけで決まるわけじゃない」
アーマンはアルトリウスの頭にその大きく硬い手を置いた。
「森で何を見て、何を聞くか。それも狩人の仕事だ」
「分かった!」
「本当に分かっている顔じゃないな」
「分かってるって!」
アーマンは笑い、家の中へ戻った。
アルトリウスはその背中を見つめながら、拳を握った。
ついに、父と一緒に狩りへ行ける。
それは、彼にとって初めての大きな一歩だった。
_____________
村の入口には、すでに二人の男が待っていた。
「おーい、アーマン! 遅いぞ!」
手を振っているのは、マルヒ。さらりと流した銀髪と整った顔立ちが目を引く優男だ。
狩人組の中でも弓の腕に優れた男で、遠くの獲物を一矢で射抜くほどの名手だ。
ただし、その腕前と同じくらい、口の軽さにも定評がある。
「今日は坊主も一緒か? いやあ、ついに狩人デビューってわけだな!」
「よろしくお願いします、マルヒさん!」
「おう! ただし、俺の弓の腕を見て腰を抜かすなよ!」
「マルヒ、まだ何もしていない」
低い声が横から飛んできた。
大きな男が一人、馬のそばに立っていた。
ジャイガ。
短い黒髪に厳つい顔つきで、背丈も肩幅も並外れて大きい。
背中には大剣を背負っている。
普段から口数は少なく、表情もほとんど変わらない。
それでも、村の子供たちは彼を怖がっているわけではなかった。
困っていると本人よりも困った表情をしながらも黙って助けてくれる事を、みんな知っているからだ。
「お前は相変わらず愛想がないなあ」
マルヒが肩をすくめる。
フンッと馬に向き、ジャイガは返事をしなかった。
「アルトリウス。今日は俺たち三人と一緒だ。しっかりついてこいよ」
アーマンが言う。
狩人組の大人は、アーマン、マルヒ、ジャイガの三人。
そこにアルトリウスが加わる。
「はい!」
「よし。出発するぞ」
四人は馬に乗り、村を出た。
________________
道中、アルトリウスは何度も父の背中を見た。
その隣ではマルヒが鼻歌を歌い、ジャイガは黙々と馬を進めている。
「なあ、アルトリウス」
マルヒが横から声をかけた。
「はい!」
「狩りってのは、獲物を見つけて、弓で射って終わりだと思うか?」
「違うんですか?」
「違うねえ〜。獲物を見つける前から狩りは始まってるんだ」
マルヒは得意げに笑った。
「風の向き、地面の跡、草の倒れ方。そういうものを見て、獲物がどこにいるか考える。弓の腕だけじゃ、狩人は務まらないってことだ」
「なるほど……」
「まっ、俺くらいの腕があれば、多少のことはどうにかなるけどな!」
「マルヒ」
「はいはい、分かってるよ。アーマン、冗談だって」
アーマンは苦笑した。
やがて、四人は森の入口へとたどり着いた。
木々の間から差し込む光は薄く、葉の擦れる音があたりを満たしている。
村の近くにある森でも、奥へ進めば人の気配はほとんどなくなる。
馬を木につなぎ、四人は歩き始めた。
「まずは足元を見ろ」
アーマンが言った。
「獲物の足跡は、土の柔らかい場所に残りやすい。枝の折れ方や草の乱れも手がかりになる」
アルトリウスは父の言葉を聞きながら、地面を注意深く見た。
「これは?」
「鳥の足跡だな。こっちは少し古い」
「どうして分かるんですか?」
「土の乾き方を見る。慣れれば分かるようになる」
アルトリウスは目を輝かせ何度も頷いた。
しばらく進むと、マルヒが手を上げた。
「止まれ」
その声に、全員が足を止める。
マルヒは弓を構え、木々の隙間へ視線を向けた。
アルトリウスもそちらを見る。
枝の上に、小さな鳥が一羽とまっていた。
マルヒの動きに迷いはなかった。
弓を引き、息を止める。
次の瞬間、矢が放たれた。
鳥は短い羽ばたきを残して地面へ落ちる。
一瞬の出来事に言葉が出てこなかった。
「どうだ? これが弓の名手、マルヒ様の腕前よ!」
「獲物を前にして大声を出すな」
ジャイガが静かに言った。
「はいはい。分かってるって」
マルヒは鳥を拾い上げ、アルトリウスへ見せた。
「弓は力任せに引けばいいってもんじゃない。狙いを定めて、呼吸を整えて、余計な力を抜く。今度教えてやるよ」
「お願いします!」
その後も四人は森を進み、兎の足跡を追った。
アルトリウスは父に教わりながら、短刀の扱い方や獲物に近づくときの足運びを学んだ。
槍の稽古とは違い、派手な動きはほとんどない。
音を立てないこと。
風下に回ること。
獲物の逃げ道を考えること。
狩りは、思っていたよりずっと地味で、ずっと難しかった。
それでも、アルトリウスは一つ一つを覚えようとした。
やがて、茂みの向こうに兎が姿を現した。
アーマンがアルトリウスに目配せする。
「よく見ていろ」
父は短刀を抜き、身を低くした。
獲物がこちらに気づくより先に、静かに距離を詰める。
そして、一瞬の動きで兎を仕留めた。
「……すごい」
「今のは、獲物がこちらを向く前に動けたからだ。いつでも同じようにいくとは限らない」
「はい」
「大事なのは、焦らないことだ」
アルトリウスは真剣に頷いた。
さらに森の奥へ進むと、今度は鹿の群れを見つけた。
マルヒが弓を構え、アーマンとジャイガが周囲を警戒する。
アルトリウスは息を潜め、父たちの動きを見守った。
矢が放たれる。
一頭の鹿が倒れ、残りの鹿たちは木々の向こうへ駆けていった。
狩りは順調だった。
鳥に兎、そして鹿。
村へ持ち帰るには十分な獲物が手に入った。
「初めてにしちゃ、よく我慢できたじゃないか」
マルヒがアルトリウスの肩を軽く叩いた。
「俺、何もしてないです」
「何もしてないのも、立派な仕事だ。獲物を前に飛び出す子供は多いからな」
「だから子供じゃないって……」
「おっと、これは失礼。大人のアルトリウス様だったな」
「もう!」
マルヒが笑い、アーマンも小さく笑った。
その横で、ジャイガが仕留めた獲物をまとめていた。
大きな体で重そうな荷を軽々と持ち上げる姿に、アルトリウスは目を輝かせる。
「ジャイガさんは、大剣もあんなに重いのに扱えるんですよね」
ジャイガは一度だけアルトリウスを見た。
「慣れだ」
それだけ言うと、再び荷を持ち上げた。
「だそうだ。俺も最初は剣を振るだけで精いっぱいだったけどな」
マルヒが言う。
「マルヒさんは弓じゃないんですか?」
「昔は剣も使ってたんだよ。まあ、今じゃ弓の方が性に合ってるけどな」
「俺もいつか、父さんみたいに槍で村を守れるようになりたいです」
アルトリウスは、まっすぐにアーマンを見た。
アーマンは少しだけ目を細めた。
「そうか」
「はい。狩人組に入って、村のみんなを守りたい」
「なら、今日見たことを忘れるな」
「今日のこと?」
「狩人は、獲物を倒すだけが仕事じゃない。森で暮らすものを知り、どんな賊や獣が来ようとも村の人たちが安心して暮らせるようにする。それが俺たちの役目だ」
アルトリウスは、その言葉を胸に刻むように頷いた。
「分かりました」
「それに、槍だけが強さじゃない。今日みたいに弓も短刀も使う。必要なことを一つずつ覚えていけばいい」
「はい!」
帰り道、アルトリウスは何度も森を振り返った。
今日、自分は父と同じ場所に立った。
まだ何もできない。
獲物を仕留めたわけでも、誰かを守ったわけでもない。
それでも、父の隣で森を歩いた。
それだけで、胸がいっぱいだった。
村へ戻ると、広場では子供たちが遊んでいた。
「おーい! アルトリウス!」
カイルが真っ先に駆け寄ってくる。
「どうだった? 獲物は?」
「鳥と兎と鹿を狩った!」
「すげえ! 本当に行ったんだな!」
ノアとエルナ、ミレイアも近づいてくる。
「怪我はない?」
エルナが心配そうに尋ねた。
「大丈夫。父さんたちが一緒だったから。それに、俺は何もしてないしね」
「それで、狩人になれそうだった?」
カイルがにやにやと笑う。
「当たり前だ!」
「何もしてないって言ってなかった?」
「それは……見て学ぶのも狩人の仕事なんだ!」
「へえ。便利な言葉だね」
ミレイアが淡々と言う。
ノアはアルトリウスの顔を見て、ふっと笑った。
「でも、楽しかったんでしょ?」
「……うん!」
アルトリウスは、迷わず答えた。
村の人々が獲物を受け取り、狩人たちに礼を言う。
アーマンはいつものように、誰に対しても穏やかに応えていた。
その姿を見つめながら、アルトリウスは思う。
いつか、自分もあんなふうになりたい。
父のように強く。
父のように優しく。
この小さな村を守れる人間に。
まだ十歳の少年は、知らない。
この平穏な日々の先に、どんな運命が待ち受けているのかを。
今はただ、父の背中を追いかけていた。
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