13.隻腕の巨熊
朝日が村の屋根を照らし始めた頃、俺とカイルは村はずれの道を歩いていた。
向かう先は、ジャイガの家だ。
村から少し外れた場所にあるその家は、あの日から一年半が経った今も、以前とほとんど変わっていなかった。
扉を開けると、簡素な室内が目に入る。
壁際には道具が並び、片隅には薪割り用の大きな斧が置かれていた。ジャイガの体格に合わせて作られた特注品で、普通の人間なら持ち上げるだけでも苦労する代物だ。
それを横目に、家の奥へと進む。
目的の大剣は、壁際に立てかけられていた。
ジャイガが普段使っていたものと、ほとんど変わらない形をしている。
俺は柄を握り、ゆっくりと持ち上げた。
ずしりとした重みが腕に伝わる。
「それがジャイガさんの予備か」
「ああ。見た目はほとんど同じだな」
大剣を持って家の外へ出た。
後ろからついてきたカイルが、剣を眺めながら口を開く。
「森に行く前に、ちょっと見せてみろよ」
「何を?」
「大剣の扱いだよ。練習してたんだろ? どれくらい扱えるようになったのか、見てやろうじゃねえか」
カイルは腕を組み、俺の持つ大剣を見た。
「それを見てから決める。お前を森に行かせていいのかどうか。そういう話だったろ?」
「そう、だったな」
俺は大剣を構えた。
まずは軽く、横へ振る。
刃が空気を切り、身体の動きに合わせて滑らかな軌道を描いた。
続けて、踏み込みながら斜めに振り下ろす。
足の運びに迷いはなく、刃先も狙った位置を通り抜ける。
もう一度、今度は身体をひねりながら横薙ぎに振るった。
重さに振り回される感覚はない。
腕だけで動かそうとせず、腰を回し、踏み込み、全身の力を刃へ伝える。そうした動きが、考えるよりも先に身体から出てくる。
俺は何度か剣を振り、最後に正面へ構え直した。
……上手くなっている。
そんな言葉では足りないほど、手に馴染んでいた。
あの熊と戦った時も、大剣を握ったのは初めてだったはずなのに、妙に扱いやすかった。
だが、今はあの時以上だ。
重心も刃の軌道も、どこに力を込めればいいのかも、まるで最初から知っていたかのように分かる。
俺は剣を下ろした。
カイルの方を見る。カイルはすぐには答えなかった。
大剣と俺の顔を交互に見て、やがて呆れたように息を吐く。
「練習してるとは言ってたが、俺が想像してたのとは全然違うな……」
「そんなにか?」
「俺は大剣なんて振ったこともないし、扱い方が分かるわけでもねえよ。ただ……」
カイルは少し考えてから、俺の持つ大剣に目を向けた。
「ジャイガさんが大剣を抜くような事態なんて、そうそうなかっただろ。だから、実際に振ってるところを見たのも数えるほどしかないんだが……」
そこで言葉を切り、俺を見た。
「それでも、今のお前はジャイガさんより上手く振ってるように見える」
大剣を握る手に、思わず力が入った。
ジャイガの剣を見た回数は多くない。
それでも、あの巨体から繰り出される一撃はよく覚えている。重く、速く、無駄がなかった。
俺が簡単に真似できるようなものではないと思っていた。
それなのに、今の俺は、そのジャイガさんよりも上手く振っているらしい。
自分でも、異常なほど扱いが上達していることは分かっていた。
だが、これは簡単に受け入れていいものなのだろうか。あの日から一度も触ってなどいないのに。
まるで、自分の中にある何かが、少しずつ俺自身を塗り替えているようだった。
「……気味が悪いな」
「だろうな。俺だって、見ていてちょっと怖いぞ」
カイルは冗談めかして言ったが、その表情は硬かった。
しばらくして、カイルは小さく息を吐いた。
「……よし。少なくとも、剣の扱いについては俺が心配することじゃなさそうだ」
「じゃあ、行ってもいいのか?」
「剣が扱えるのと、あの熊を倒せるのは別の話だろ」
カイルの言葉に、俺は頷いた。
「分かってる」
「ならいい。……ただ、ひとつ聞かせろ」
カイルは俺をまっすぐ見た。
「あの熊と戦うのに、俺たちも連れていくつもりか?」
「いや。ひとりで行く」
その答えを聞いて、カイルは少しだけ表情を緩めた。
「……だよな」
自分の義足に目を落とし、苦笑する。
「俺たちは足手まといか?」
「正直に言えば、そうなる可能性が高い」
「だろうな。俺も分かってる」
カイルは顔を上げた。
「ノアたちやロイドたちも、連れていくつもりはないんだろ?」
「ああ。誰も巻き込みたくない。あいつらを怪我させたくないんだ」
「なら、俺も無理に同行させろとは言わねえよ」
カイルは少し間を置いてから続けた。
「ただし、昼頃になっても戻らなかったら、俺も森に入る」
「おい」
「止めても無駄だ。お前がひとりで行くって言うなら、せめて帰ってくる時間くらい決めておけ」
強情なところは、昔から変わらない。
俺は小さく息を吐いた。
「……分かった。昼までには戻る」
「約束だからな」
「ああ」
俺は大剣を背負い、馬の準備を始めた。
森へ向かう支度を整えながら、俺は改めて気を引き締める。
これから探すのは、あの熊だ。また命懸けになる。
出来るだけ体力の消耗はしたくない。だから、まずは禍々しい光を手がかりに、その後を追う。
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森の入口で馬を降りて、手綱を近くの木に結んだ。
ここから先は歩いていく。
腰の短剣を確かめ、背負った大剣の位置を直す。
そして、意識を森の奥へと向けた。
俺は目を凝らしながら、木々の間を進んだ。
枝葉の隙間に視線を走らせ、草むらの奥や木の根元まで注意を払う。
しばらく進んだところで、ようやく木々の向こうに光が浮かんでいるのを見つけた。
俺はそれを見失わないよう、慎重に距離を詰めていく。
やがて、地面に散らばる毛や血痕が目につき始めた。
小さな獣の死骸。
腹を食い破られた鹿。
鋭い爪で引き裂かれたような跡が残る、名も知らない獣。
新しいものもあれば、少し時間が経ったものもある。
足を止め、周囲を見回す。
この場所で、何度も殺しが繰り返されている。
光はさらに奥へと続いていた。
その先に、あいつがいる。
木々が途切れた場所に出た時、ようやく目的の相手を見つけた。
巨大な熊。
片方の前脚がない、隻腕の巨熊。
一年半前、俺たちを襲ったあの熊だった。
それでも、巨体は健在だった。周囲の木々には幹を抉られた跡があり、地面には深い爪痕が残っている。
そして、その巨体を取り囲むように、禍々しい光の玉が浮かんでいた。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
数えていくうちに、俺は眉をひそめた。
十五は確実に超えている。
これまでの戦いで、光の玉が多い獣ほど厄介で、強い傾向があることは分かっている。
今まで遭遇した獣は、多くても五つほどだった。
それが、この熊には十五を超える光の玉がある。
これまで見てきた中でも、明らかに異常な数だった。
「……やっぱり、別格か」
小さく呟いた。
一年半前に見た時には、こんな光は見えなかった。
いや、見えていなかった。
あの時の熊が、今になって強くなったわけではない。
あの時、命懸けで戦った。
仲間を失い、傷を負い、それでも全力で挑んで、ようやく片脚を斬り落とした。
それほどの相手だった。
そして今、俺にはあの熊を取り巻く光が見えている。
以前なら気づけなかった脅威を、今は目の前に突きつけられている。
俺は大剣の柄を握った。
命懸けになるだろう。だからこそ、初撃はまともにやり合うつもりはなかった。
熊はしばらく周囲を歩き回っていたが、やがて木の根元に身を横たえた。
呼吸に合わせて、巨体がゆっくりと上下する。
眠っている、のか....?それとも休んでいるだけか...?
どちらにしても、今なら近づける。
風向きと周囲の地形を確かめて、回り込む。
狙うのは背中。
不意打ちで、可能な限り深く斬り込む。
それだけで仕留められるとは思わない。
あの巨体だ。深い傷を負わせたところで、致命傷にならない可能性の方が十分にある。
それでも、大きな傷を与える事に意味はある。
そこから先は、状況を見て判断する。
それだけで仕留められるようなら幸運だ。
問題は、熊の周囲を覆うモヤ。
これまでの戦いでは、モヤを纏う獣に攻撃を仕掛けると、刃が狙いから逸らされることがある。
背後からの一撃でさえ、狙いどおりに決まらないかもしれない。
それでも、正面から仕掛けるよりずっといい。
熊はまだ、こちらに気づいていない。
風は向こうから吹いている。
足音に気を配れば、十分に接近できる距離だ。
俺は大剣を両手で握り、刃先を静かに下げた。
狙いを定める。
モヤに逸らされる可能性も、一撃で仕留められないことも分かっている。
今までやったことは無いが、不意を突いた全力の一撃ならモヤごと押し切れる。そんな予感がある。
少なくとも、何もせずに正面から挑むよりは勝機がある。
息を殺し、ゆっくりと歩みを進めた。
熊の背中が近づいてくる。
あと少し。もう少し。
そして、十分な距離まで詰めた___。
ここだ___!
地面を蹴った。
踏み込みと同時に腰を回し、全身の力を大剣へと伝える。
刃が熊の背中へ迫る。熊の周囲を覆うモヤが揺らいだ。
刃先が、狙いから逸れようとする。
硬いなッ!
だが、ここで止めるわけにはいかない。
さらに力を込める。絶対に逸らさない。
この一撃だけは、押し通す。
大剣が、熊の背中に深々と食い込んだ。
「グオオオオオッ!」
森を震わせる咆哮。
熊の巨体が跳ね起き、地面が大きく揺れる。
すぐに剣を引き抜き、距離を取る。
血が飛び散り、熊がこちらを振り向いた。
その目は、俺を捉えている。
__始まった。




