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蒼の瞳は、すべてを知っている。  作者: 消す者(イレイザー)
第一章【塔へ】

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11.前を向く

昨日出せなくてすいません

 あの鹿との戦いから、またひと月が経った。

 モヤを纏う獣たちとの戦いにも、少しずつ慣れてきた。


 初めの頃は、獣の動きに翻弄されるばかりだった。だが今では、モヤの中に見える歪みを狙うことで、以前よりも少ない傷で獣を仕留められるようになっていた。


 歪みのある場所は、獣によって違う。

 肩にあるものもいれば、腹や脚、首元にあるものもいる。基本的に、歪みは獣の身体の一箇所に固定されていた。

 そして、その歪みは、ただの模様や傷のようなものではなかった。


 俺には、そこに何かがあるように見える。


 モヤが不自然に歪み、その中心に、的のようなものが存在しているような感覚。

 もちろん、実際に的が見えているわけではない。見えるのは、あくまでもモヤの歪みだ。


 それでも、そこを攻撃すると、獣の様子は明らかに変わった。

 歪みの部分を深く傷つけた途端、獣の動きが極端に鈍ることがある。あるいは、それまで槍を弾き返していた身体が、嘘のように脆くなることもあった。


 まるで、そこを壊すことで、獣の強さそのものが削がれていくかのように。

 ただ、歪みを見つけたからといって、簡単に倒せるわけではない。

 動きの速い獣なら狙いを定めるだけでも難しいし、歪みが脚にあれば、狙うために近づくこと自体が危険だった。

 それでも、歪みを見つけられるかどうかで、戦いの難しさは大きく変わる。


 俺にとっては、今や欠かせないものになっていた。

 そして、もう一つ気づいたことがある。

 歪みのある箇所を傷つけて獣を仕留めたあと、その部分を解体すると、砕けた石のようなものが出てくることがあった。


 小さな欠片は、どれも不思議な質感をしていた。

 ただの石とは違う。

 何かが砕けた残骸のようにも見えるが、元の形がどんなものだったのかは分からない。


 俺が攻撃していたのは、どうやらこの石のようなものだったらしい。

 歪みを狙って攻撃する。

 すると、獣の動きや耐久力が大きく変わる。

 そして、討伐後に解体すれば、歪みのあった場所から砕けた石が出てくる。

 この三つの出来事には、何かしらのつながりがあるはず。


 最近では、禍々しい光を四つ宿した猪を討伐した際、歪みが二箇所見えた。

 あの猪は、これまでの獣とは違っていた。


 二つの歪みをそれぞれ傷つけると、獣の動きは大きく鈍り、最後には倒すことができた。

 そして解体してみると、歪みのあった箇所から、二つの砕けた石が出てきた。


 一つではない。


 二箇所に歪みがあったからこそ、石も二つ出てきたのだろうか。

 それとも、あの猪が特別だったのか。

 今の俺には、まだ判断できなかった。

 ただ、モヤを纏う獣と、そこに見える歪み、そして砕けた石。

 それらが無関係だとは思えない。


 光の玉の導きもあり、野草や木の実、食べられるキノコなども以前より効率よく見つけられるようになった。

 父さんたちと森に入っていた頃ほどではないにせよ、食料の確保も安定してきている。


 村のためにできることは、少しずつ増えていた。


 それでも、俺は村人たちと顔を合わせることを避け続けていた。

 父さんたちを守れなかった。

 カイルの足も、元には戻らない。

 あの日のことを考え始めると、何もかもが自分の責任のように思えてくる。


 だから、森へ向かった。


 獣を狩り、食料を集め、身体を動かす。

 そうしている間だけは、余計なことを考えずに済んだから。



 _________________



 ある日のいつも通りの朝。

 家の扉を叩く音がした。


「おーい、いるんだろ。開けろー」


 聞き慣れた声に、思わず手が止まった。

 扉を開けると、そこにはカイルが立っていた。

 片足には義足がついている。


 以前より歩き方はぎこちないが、松葉杖に頼ることなく、自分の足でしっかりと立っていた。


「……カイル?」


「おう。久しぶりだな」


「どうしてここに……」


「どうしてって、お前なぁ……」


 カイルは呆れたようにため息をついた。


「いつまで隠れているつもりだ?」


 その言葉に、俺は返事ができなかった。


「村の連中が心配してるの、知ってるだろ。神父様だって何度も様子を見に来てるんだぞ」


「……分かってる」


「分かってる奴の顔じゃねえんだよなぁ」


 カイルは俺の顔をじっと見た。

 そして、首元から頬にかけて残った傷痕に気づくと、表情を少しだけ変えた。


「……その傷、大丈夫なのか?」


「ああ。もう痛みはない」


「そうか。ならいいけどよ」


 それ以上、カイルは傷について聞かなかった。

 代わりに、俺の肩を軽く叩く。


「で、いつまで入口で立たせておくつもりだ? わざわざ来てやったんだぞ」


「……悪い。入ってくれ」


「最初からそう言えっての」


 カイルは得意げに笑い、家の中へ入った。

 久しぶりに、誰かがこの家を訪れた。

 それだけのことなのに、妙に落ち着かなかった。


 俺は椅子を引き、カイルに座るよう促した。


「義足、もう慣れたのか?」


「まあ、最初に比べりゃな。歩くのにもコツがいるし、長く歩くと疲れるけどよ」


 カイルは義足を軽く叩いた。


「こいつとも、ぼちぼち付き合っていくしかねえだろ」


「…無理はするなよ」


「お前がそれを言うかぁ?」


 すかさず返され、言葉に詰まる。


「森に入ってるって聞いたぞ。傷が治ったからって、いきなり無茶してんじゃねえだろうな?」


「無茶はしてない」


「本当かぁ?」


「本当だ」


「その顔で言われても、まったく信用できねえな」


 カイルはわざとらしく首を振った。


「昔から、変なところで頑固だったけどよ。ここまでとは思わなかったぜ」


「……お前に言われたくない」


「おっ、言い返せる元気はあるじゃねえか」


 カイルが笑う。

 俺も、つられて少しだけ口元を緩めた。

 こんなふうに笑ったのは、いつ以来だろう。

 そう思った途端、胸の奥が苦しくなった。


 父さんたちがいなくなってから、村は大きく変わった。


 狩人を失ったことで食料の確保は難しくなり、村人たちは以前よりも忙しく働いている。

 ノアやミレイアは弓や罠の扱いを覚え、エルナは薬草や木の実を集める仕事を手伝っているらしい。

 ロイドも、以前のように年下をからかってばかりではもうなくなった。年下の子供たちに狩りの知識を教え、村の仕事にも真面目に取り組んでいるという。


 皆、それぞれに前へ進んでいる。

 なのに、俺だけがあの日から動けずにいた。


「……みんな、頑張ってるんだな」


「ああ。お前が思ってるより、ずっとな。みんな頑張ってるぞ」


 カイルは少し誇らしげに答えた。


「ノアなんて、最近じゃ罠の仕掛け方まで覚えてる。ミレイアも弓が上手くなってきたし、エルナは薬草の見分け方をどんどん覚えてる。ロイドなんか、あのロイドがだぞ? 年下に狩りを教えてんだぜ。世も末だな」


「……それは、ちょっと見てみたいな」


「だろ? 本人に言ったら調子に乗るから黙っとけよ」


 カイルは楽しそうに笑った。

 俺も、もう一度笑った。


 けれど、視線がカイルの義足に落ちた瞬間、笑みが消えた。


 俺が助けた命。

 けれど、救えなかったものもある。


 あのとき、もっと早く動けていたら。

 もっと強ければ。

 父さんたちを守れていたら。

 そんな考えばかりが、頭の中を巡っていた。


「カイル」


「ん?」


「悪かった」


 カイルが首を傾げる。


「何が?」


「お前の足だ。俺が、もっと上手くやれていれば……」


 最後まで言い切ることができなかった。

 カイルはしばらく俺を見つめていたが、やがて大きく息を吐いた。


「……お前、まだそんなこと考えてたのか」


「でも……」


「あの時、お前が飛び込んでくれなきゃ、俺は死んでたぜ?」


 静かな声だった。

 冗談も、笑いもない。


「足を失ったのは悔しいさ。前みたいに走れねえし、できなくなったことも山ほどある。正直、何で俺がこんな目に遭わなきゃいけねえんだーって思ったこともある」


 カイルは義足に目を落とした。


「でもな。それと、お前が俺を助けてくれたことは別だろ」


「……」


「お前が助けてくれたから、俺は今ここにいる。家族とも話せるし、ノアたちの面倒だって見られる。こうして、お前に文句を言いにも来られる」


「……最後のは余計だろ」


「うるせえ。大事なところだ」


 いつもの調子で言い返される。

 それなのに、胸の奥に溜まっていたものは、簡単には消えてくれなかった。


「俺、は......」


 声が震えた。


「俺は、何も守れなかった」


 口にした途端、押さえ込んでいた感情が溢れ出した。


「父さんも、ジャイガさんも、マルヒさんも……誰一人、守れなかった。お前だって、俺が助けたなんて言ってくれるけど……足を失わせたのは、俺のせいだ」


「アルトリウス……」


「もっと強ければよかった。もっと早く気づいていれば。もっと、何かできていれば……」


 言葉が止まらなかった。

 ずっと誰にも言えなかったことが、次々と口から零れていく。


「また誰かを失うのが怖いんだ。俺の目の前で、誰かが傷つくのが……もう嫌なんだ」


 視界が滲む。

 それでも、俺は言葉を続けた。


「それに……あのとき、俺は……」


 ジャイガの大剣を握った感触が蘇る。


 獣の肉を断ち、骨を砕き、血を浴びながら戦った。

 怖かった。それなのに。


「……戦っているとき、怖いだけじゃなかったんだ」


 カイルは黙って聞いていた。


「獣を斬るたびに、身体が軽くなっていくような気がした。もっと速く、もっと強く動けるような……そんな感覚があった。あの状況で、そんなことを感じていた自分が……怖いんだ」


 人を守れなかった自分。

 目の前で仲間が死んでいくのを止められなかった自分。


 そして、命懸けの戦いの中で、得体の知れない高揚を感じていた自分。

 どれも、俺には受け入れられなかった。


「だから、村のみんなに会えなかった。みんなが前に進んでいるのに、俺だけ……あの日から、ずっと止まったままなんだ」


 カイルの事を見ていられなくて俯く。涙が一滴、床に落ちた。


 情けなかった。

 十五にもなって、こんなことで泣いている。

 それでも、止めることはできなかった。


 しばらく、部屋には何の音もなかった。


 やがて、カイルが口を開いた。


「……なあ、アルトリウス」


「……何だよ」


「俺の足の分まで前を見ろよ」


 顔を上げる。

 カイルは真っ直ぐに俺を見ていた。


「お前が俺を助けたことを、勝手に後悔するな。俺の足がなくなったのは事実だ。できなくなったこともある。けど、それでお前が俺を助けたことまで間違いだったことにされたら、俺はたまったもんじゃねえ」


「……でも」


「でも、じゃねえよ」


 カイルは少しだけ眉を寄せた。


「アーマンさんたちのことだって、そうだ」


 その言葉に、胸が強く締めつけられた。


 カイルは、父さんのことを軽々しく口にしているわけではなかった。

 その声には、確かな敬意があった。


「俺たちは、アーマンさんたちにたくさんのことを教わった。狩りの仕方も、森で生き残る方法も……。俺なんか、アーマンさんには何度怒られたか分からねえよ」


 カイルは苦笑した。


「でも、あの人がいたから、俺たちは今まで生きてこられたんだ。あの人が命を懸けて守ろうとしたものまで、俺たちが手放すわけにはいかねえだろ」


「……」


「父さんたちを守れなかったことが悔しいのは、俺だって同じだ。もっと何かできたんじゃないかって、今でも考える」


 一度、言葉を切った。


「けどな。だからって、いつまでも自分を責めてたら、あの人たちが教えてくれたことまで無駄にしちまう」


 胸の奥が、強く締めつけられた。


「死んだ人たちのことを忘れろなんて言わねえよ。俺だって忘れられるわけがねえ。でも、俺たちはまだ生きてる。だったら、生きてる俺たちにしかできないことがあるはずだ」


 カイルは背筋を伸ばした。


「足はなくなっても、弓はまだいけるからな」


「……え?」


「最近は、みんなと一緒に狩りにもついて行ってるんだ。もちろん、前みたいに森を駆け回るのは無理だけどよ。弓ならまだ使えるし、獲物を追い立てたり、周りを警戒したり、俺にだってできることはある」


 カイルは少し得意げに笑った。


「まあ、長い距離を歩くと疲れるし、義足の扱いもまだ完璧じゃねえ。だから、無茶はしないようにしてるけどな」


「……そうだったのか」


「おう。お前が森で一人、無茶してる間にな」


「無茶はしてないって言っただろ」


「はいはい。そういうことにしといてやるよ」


 カイルは笑ったあと、少しだけ真面目な顔に戻った。


「俺は、もう前と同じようには動けない。けど、何もできないわけじゃない。できることを探すくらい、俺にだってできるさ」


 その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。


 カイルもまた、失ったものと向き合っているのだ。

 俺だけが苦しんでいるわけではない。

 当たり前のことなのに、今まで見ようとしていなかった。


「……分かった。でも、危ないと思ったらすぐに戻る。それだけは約束してくれ」


「おいおい。俺はもう、お前に助けられるだけの役じゃねえぞ?」


「そういう話じゃない」


「分かってるって。ちゃんと気をつけるさ」


 カイルは軽く手を振った。


「それに、俺がいればお前が獲物に夢中になってる間も見張ってやれるだろ。昔から、集中すると周りが見えなくなるところがあったからな」


「そんなことない」


「あるね。アーマンさんにもよく言われてただろ?」


 思わず、言葉が止まった。


 父さんに言われたこと。

 槍の構えが甘いと叱られたこと。

 森では目の前の獲物だけでなく、周りにも気を配れと教わったこと。

 もう聞くことのできない声が、頭の中に浮かんだ。


「……そうだったな」


 小さく答えると、カイルは少しだけ笑った。


「だろ? だから、俺が一緒に行ってやる。お前は獲物を狩る。俺は周りを見る。悪くない組み合わせだと思うけどな」


「……考えておく」


「おっ、断らなかったな。よし、決まりだ」


「まだ決めてないだろ」


「細かいことは気にすんな」


 カイルは、いつもの調子で笑った。

 俺も、今度は自然に笑うことができた。

 窓から差し込む光が、少しずつ傾き始めていた。


 カイルは立ち上がり、扉へ向かった。


「じゃあ、俺はそろそろ戻るわ」


「もう帰るのか?」


「おう。いつまでも居座ったら、せっかくの感動的な再会が台無しになるからな」


「自分で言うなよ」


「誰も言ってくれねえからな」


 カイルは扉に手をかけ、そこでふと足を止めた。


「……なあ、アルトリウス」


「何だ?」


「明日、みんなに顔を見せてやれよ」


 俺はすぐには答えられなかった。

 ノアも、エルナも、ミレイアも。

 きっと、俺が何をしていたのか気にしているだろう。

 あのロイドだって、何か言いたいことがあるかもしれない。

 顔を合わせるのは怖い。


 あの日のことを思い出すかもしれないし、何を話せばいいのかも分からない。


 それでも。


「……分かった。行ってみる」


「よし。来なかったら、また迎えに来るからな」


「それは勘弁してくれ」


「なら、ちゃんと来い」


 カイルは満足そうに頷くと、家を出ていった。

 遠ざかっていく足音を、俺はしばらく聞いていた。


 家の中は、また静かになった。


 けれど、さっきまでの静けさとは少し違っていた。

 胸の奥にあった重さが、すべて消えたわけではない。


 父さんたちが戻ってくるわけでもない。

 カイルの足が元に戻るわけでもない。

 それでも、もう一人で抱え込まなくてもいいのかもしれない。


 カイルも、ノアも、エルナも、ミレイアも。

 みんな、それぞれに傷を抱えながら、それでも前へ進もうとしている。


 なら、俺も。少しずつでいい。

 明日は、みんなに顔を見せよう。

 そして、また森へ行こう。


 今度は、一人で何も考えないためではなく。

 仲間と一緒に、生きていくために。


 俺は壁に立てかけていた槍を手に取った。


 窓の外には、いつもと変わらない村の景色が広がっていた。

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