↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼の瞳は、すべてを知っている。  作者: 消す者(イレイザー)
第一章【塔へ】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/15

09.残されたもの

 ひと月と半月が過ぎた頃、俺の体は、神父さえ驚くほど回復していた。


 首から頬にかけての傷は、はっきりと跡が残っているものの、痛みはほとんどない。両手の傷も塞がり、包帯を外しても血が滲むことはなくなった。


「まったく……あれだけの怪我を負って、よくここまで回復したものだ」


 神父は俺の手を確かめながら、呆れたように呟いた。


「若いから、ですかね」


「若さだけで説明がつくなら、医者はいらなくなるな」


 冗談めかした口調だったが、神父の目は真剣だった。

 俺自身、ここまで早く動けるようになるとは思っていなかった。

 ただ、傷が塞がったからといって、以前と同じ自分に戻れたわけではない。


 目を閉じれば、今でも森の光景が浮かぶ。


 血に濡れた地面。

 変わり果てた父さんの姿。

 静かに横たわるジャイガさん。

 そして、目の前に迫る巨熊の爪。

 忘れようとしても、忘れられなかった。


 村の人たちとは、あれから一度も顔を合わせていなかった。


 神父に頼み、俺が休んでいる間は、できるだけ誰も教会に入れないようにしてもらっていた。


 食事や必要なものは、村の人たちが気を遣って差し入れてくれていたらしい。教会の入り口に置かれた籠や包みを、神父が部屋まで運んできてくれることもあった。


 ありがたかった。

 それでも、今は誰とも会いたくなかった。


 何を聞かれても、きっと上手く答えられから。

 父さんたちが死んだ時のことを、もう一度言葉にする自信がなかった。

 だから俺は、神父以外の誰とも顔を合わせず、ほとんど教会の中で過ごしていた。


 窓から見える村は、いつもと変わらない。

 子供たちの声が聞こえ、家畜の鳴き声が響き、遠くでは誰かが薪を割っている。

 そんな日常が続いていることに、ほっとする。

 それなのに、自分だけがそこから取り残されているような気がした。



 ________________



 ある日の昼下がり、俺は教会の裏手へ向かった。


 そこには、三つの墓がある。


 父さんの墓。

 ジャイガさんの墓。

 マルヒさんの墓。


 父さんの墓には、使い物にならなくなった槍の破片を。

 ジャイガさんの墓には、砕けた大剣の一部を。

 マルヒさんの墓には、愛用していた弓が立てかけられている。


 どれも、本人が使っていたものだ。


「……久しぶり」


 墓の前に立つ。


 何か話そうと思っていたはずなのに、言葉が出てこない。


 父さんには、聞きたいことが山ほどある。

 槍の扱いも、狩りのことも、まだ教えてもらいたいことがたくさんあった。

 ジャイガさんには、あの大剣をどうやって振るっていたのか聞いてみたかった。

 マルヒさんには、いつもの調子で笑いながら、俺の下手なところを指摘してほしかった。

 もう、何一つ叶わない。


 そう考えると、胸の奥が重くなった。


「……俺、もう大丈夫だから」


 自分に言い聞かせるように呟いた。

 なにが本当に大丈夫なのかは分からない。


 それでも、いつまでもここで立ち止まっているわけにはいかなかった。


「……また来るよ」


 そう告げて、俺は墓を後にした。


 _______________


 教会へ戻る途中、神父が庭先で薪を整理しているのが見えた。


「アルトリウス。少し話してもいいか?」


「はい」


 神父は薪を置き、俺の顔を見た。


「最近、少しずつ村の様子も落ち着いてきた。君にも、知っておいてほしいことがある」


 俺は頷いた。


「狩人を失った影響は、やはり大きい。食料の確保も以前ほど簡単ではないが、村のみんなが協力して何とか持ちこたえている」


 父さんたちがいなくなった穴は、簡単には埋まらない。

 分かっていたことだ。


「あの子たちも、できることを探しているよ」


「……みんなが?」


「ああ」


 神父は穏やかに頷いた。


「カイルは、森へ入ることが難しくなった分、ほかの子たちに指示を出しているそうだ。弓の扱いを覚えたり、罠を仕掛けたりする時も、どうすれば効率がいいのか考えているらしい」


 カイルの顔が浮かんだ。

 あいつは、じっとしているのが苦手なやつだった。

 自分の足を失ったと知った時、どれほど悔しかっただろう。

 それでも、できることを探して動いている。


「ノアとミレイアも、弓や罠の扱いを覚えようとしている。エルナは食べられる草や木の実を探して、村の人たちを手伝っているそうだ」


「そう、ですか」


 声が少しだけ掠れた。


 みんな、それぞれ前へ進んでいる。

 俺がベッドの上で眠っている間にも。


「ロイドも、よく働いているそうだ」


 神父は続けた。


「狩人を失った今、若い者たちが担わなければならない仕事も増えている。ロイド達はもう十七歳だ。成人まであと一年しかない。自分が村を支える側になることを、真剣に考え始めているのかもしれないな」


 ロイドの顔が浮かんだ。

 以前は、俺たちにちょっかいを出してくる年上の少年だった。


 けれど、あれから村も変わった。

 狩人たちがいなくなった現実は、ロイド達にも容赦なくのしかかっているのだろう。


「まだ若いとはいえ、彼ももう、いつまでも誰かに守られているだけの年齢ではない。自分にできることを探しているのだろうね」


 俺は黙って聞いていた。


 みんな、それぞれの場所で動いている。

 失ったものを抱えたまま、それでも前へ進もうとしている。


「君だけが、何もできずにいるわけじゃない。みんな、君が戻ってくるのを待っているよ」


「…はい」


 嬉しかった。

 みんなが無事で、少しずつでも前へ進んでいる。それを知れたことは、本当に嬉しかった。


 けれど同時に、胸の奥がちくりと痛んだ。


 俺は、何をしていたんだろう。

 もちろん、怪我をしていたのだから仕方がない。

 そんなことは分かっている。


 それでも、みんなが必死に動いていると聞くと、自分だけが立ち止まっているように感じてしまった。


「ありがとうございます。……俺も、そろそろ動かないと」


「焦る必要はないよ。君が無理をすることを、誰も望んではいない」


「分かってます」


 神父は小さく頷いたあと、少しだけ表情を和らげた。


「ただ、体がここまで回復したのなら、できるだけ早く、あの子たちにも顔を出してあげなさい」


 俺は黙って神父の言葉を聞いた。


「みんな、君のことを心配している。直接会えなくても、君がどうしているのか気にかけていたよ。差し入れを届けてくれた人たちも、君が元気になってくれることを願っている」

「無理に何かを話す必要はない。ただ、顔を見せるだけでも、あの子たちは安心するはずだ」


 俺はすぐには返事ができなかった。


 カイルやノア、エルナ、ミレイア。みんなの顔が浮かぶ。

 会いたくないわけじゃない。

 本当は、ずっと会いたかった。

 けれど、何を話せばいいのか分からなかった。


 父さんたちのことを聞かれたら。

 森で何があったのか尋ねられたら。

 あの時、自分がどんな気持ちで戦っていたのかを聞かれたら。

 きっと、上手く答えられない。


 それでも、いつまでも避け続けるわけにはいかないのだろう。


「……分かりました。もう少ししたら、会いに行きます」


「うん。それでいい」


 神父は、それ以上何も言わなかった。


 その日の夕方、俺は人目を避けて家へ戻った。

 家の中は、ひどく静かだった。


 父さんが使っていた道具は、ほとんどそのまま残されている。

 壁に掛けられた狩り道具。

 使い込まれた革袋。

 手入れ用の布。

 どれも、明日になれば父さんが戻ってきて、また使うのではないかと思えてしまう。


 そんなはずはないのに。


 俺は目を伏せ、納屋へ向かった。

 目的は、鍛錬用の槍だった。父さんに教わりながら、何度も振ってきた槍。

 手に取ると、木の柄の感触が懐かしかった。


 これなら、今の俺にも扱える。


 そう思って、納屋の前で構えてみた。


 最初は、いつも通りに振るつもりだった。

 足の位置を確かめ、呼吸を整え、槍を前へ突き出す。

 何度も繰り返してきた動作。


 なのに、二度目の突きを放った時、妙な違和感があった。


 槍が、思っていた以上に自然に動いた。


 踏み込む足の位置。

 腰のひねり。

 腕を伸ばす角度。

 頭で考えるより先に、体が正しい動きを選んでいるようだった。


「……あれ?」


 もう一度、槍を構える。


 今度は、わざと少しだけ踏み込み方を変えてみた。

 体が自然に重心を修正し、槍先がぶれない位置へ戻った。

 今まで父さんに教わったことを、体が以前より深く理解している。


 そんな感覚だった。


 試しに、今までやったことのない動きも試してみた。

 踏み込みながら槍を引き、体を半身にしてから突く。

 教わったことも、練習したこともない動きだった。

 それなのに、不思議と形になった。


 もちろん、何でもできるわけではない。

 少し複雑な動きになると、体勢が崩れることもある。

 それでも、以前の自分なら思いつきもしなかった動きが、今は自然に浮かんでくる。

 まるで、体のどこかに知らない経験が刻まれているみたいだった。

 背中に、薄い寒気が走った。


 あの森での戦いが頭をよぎる。

 自分の槍が砕けたこと。

 死ぬと思った瞬間、ジャイガさんの大剣を握ったこと。

 初めて触れたはずの剣を、まるで使い慣れた武器のように扱えたこと。

 あの時の感覚は、今もはっきり覚えている。

 俺は鍛錬用の槍を下ろし、しばらく自分の手を見つめた。


 何かが変わっている。

 それだけは、認めざるを得なかった。


 しばらく槍を振っていると、急に腕が重くなった。


「……っ」


 息が上がり、額から汗が流れる。

 ひと月半もの間、ほとんど寝たきりだったのだ。体力が戻りきっていないのは当然だ。


 俺は槍を下ろし、荒くなった呼吸を整えた。


 ふと、納屋の隅に置かれた鍛錬用の剣が目に入った。


 剣を本格的に習ったことはない。

 それでも、あの時の感覚を確かめれば、今の自分に起きている変化を知る手掛かりになるかもしれない。


 手を伸ばしかけて、止めた。


 脳裏に浮かんだのは、巨熊と対峙した時の光景だった。

 父さんたちを失い、次は自分が殺されるかもしれない。あの時、恐怖は確かにあった。

 それでも、ジャイガさんの大剣を握った途端、体は別人のように動いた。

 初めて手にした武器とは思えないほど、重さも、振り方も、自然に馴染んでいた。


 巨熊の攻撃を受け流すたびに、手応えがあった。

 追い詰められているはずなのに、まだ戦えると思えた。

 恐怖に押し潰されそうだった心が、剣を振るう間だけは、目の前の敵へと向かっていた。

 あの感覚を思い出すと、指先がわずかに強張った。


 もう一度、確かめたい。


 あの時の動きは偶然だったのか。それとも、今の俺には、以前とは違う何かが備わっているのか。

 剣を握れば、答えに近づけるかもしれない。


 だが、同時に思う。


 最後の一撃を放った時、自分の中にあった異様な高揚を。

 死ぬかもしれないという恐怖も、体の限界も抱えたまま、それでも戦うことに心地よさを感じていた。

 あの力に、もう一度身を任せていいのだろうか。


 考えるほどに、剣へ伸ばした手は動かなくなった。


「……今は、いい」


 俺は手を引いた。

 あの力がなければ、巨熊には勝てなかったかもしれない。


 それでも、助かったからといって、何もかも受け入れられるわけではなかった。


 俺は鍛錬用の槍を拾い上げる。

 父さんに教わり、何度も失敗しながら身につけてきた武器だ。

 足の運びも、呼吸も、狙う場所も、繰り返し鍛えて覚えてきた。

 今日の鍛錬で、槍の動きにも変化が現れていることは分かった。それでも、これまで積み重ねてきたものまで、手放したくはなかった。


「……しばらくは、槍でいい」


 槍を構え直す。


 今は、いつも通りに鍛錬を続けよう。


 剣を避けたのは、ただ怖かったからだ。

 あの時の自分を、もう一度確かめる勇気がなかった。

 けれど、いつかは向き合わなければならないのだろう。


 槍を握る手に力を込め、俺はもう一度、足を踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。