第96話 記憶の鍵
戦闘が続いていた。
魔王の力が段階的に上がっている。最初の段階より出力が増していた。感情のない魔法の精度が、さらに上がっていた。
ゼノが対応し続けた。
六属性を切り替えながら、攻防を繰り返した。押す。押し返される。また押す。拮抗が続いていた。
いくらゼノと言えど消耗が来ていた。
魔王は消耗している様子がなかった。感情がない分、無駄な力が一切出ていなかった。必要な時に必要な量だけ使っていた。完全な効率だった。
ゼノは感情が来るたびに力が上がった。だが、感情が揺れるたびに判断が乱れた。それが積み重なって、消耗が増えていた。
すると後方で音がした。
大きな音だった。ゼノは前を向いたまま、気配を確認した。
眷属の一体が、ライナスの防御を突破していた。
ライナスが壁に当たった音だった。
「ライナスさん!」とエリナの声がした。
重傷ではなかった。ただし、立ち上がれる状態ではなかった。
次の瞬間、別の音がした。
セレンだった。
眷属の攻撃にセレンが水属性で対応しようとしたが、間に合わなかった。
セレンが倒れ、動かなかった。
ゼノが見た瞬間——何かが崩れた。
崩れる、という感覚があった。内側の何かが崩れた気がした。
処理しようとしたが、できなかった。
処理を開始する前に、何かが来た。
来た、という言葉も追いつかなかった。ただ、何かが崩れた。
意識の端に円卓が見えた。
一瞬だった。
アクアが立ち上がっていた。
今まで静かに座っていたアクアが、立っていた。顔がゼノを見ていた。水色の瞳が、いつもより開いていた。
来る。そう感じた。まだ来ていなかった。ただし、来ようとしていた。
意識が戻った。
「セレンさん!
」
エリナが駆け寄った。
ゼノは魔王から目を離さなかった。目を離せなかった。
「ゼノ。俺が前に出る。少し下がれ」
「大丈夫か」
「大丈夫だ。お前が崩れてる」
「崩れている、か」
「今、顔が違う。下がれ。セレンを確認してこい」
ゼノは下がり、代わりにレオンが前に出た。
セレンの傍に来た。エリナが回復魔法をかけていた。
「どうだ」
「意識はあります。重傷ですが、動けなくなるほどでは。今、止血しています」
「続けてくれ」
セレンが目を開けた。かすれた声で「ゼノさん」と言った。
「動くな」
「……続けてください。わたしは大丈夫です」
「大丈夫ではない。エリナに任せろ」
「はい」
その時だった。
記憶が蘇った。突然だった。来ようとしていた気配がなかった。
冬の夜道だった。
悠斗と詩織が前にいた。ゼノはその場に立っていた。
ナイフを持った男が走って来た。
詩織に向かったが、悠斗がそれを庇った。刃が届く前に、悠斗が間に入った。
悠斗が倒れた。後退した衝撃で詩織が倒れた。
ゼノ――蓮は立っていた。無傷で。何もできなかった。一歩も動けなかった。
「……あの時、俺は——何を感じていたのか」
魔法の音が遠くなった。広間の中で、ゼノは一人で立っていた。
レオンが前にいた。戦闘が続いていた。だが一瞬、別の場所にいた。
円卓が見えた。
今度は一瞬ではなかった。
アクアが立っていた。ゼノの前に来ていた。水色の瞳がゼノを見ていた。
「ゼノさん」
「アクア」
「今だけ、思い出してください」
「何を」
「あの時、感じていたことを」
「思い出せない」
「思い出せます。封じていたけど、消えてはいない。さっき来たでしょう。あの日の記憶が」
「……来た」
「来たということは、準備ができています。今だけ、向き合ってください。あの時、何を感じていたか」
「封じた。感じていたかどうかすらわからない」
「わかります。感じていたから封じた。感じていなければ、封じる必要がなかった」
あの日の記憶が来た。詩織が刺されそうになったのを悠斗が庇った。自分は何もできずに立っていた。
あの時、何があったのか。
感じていたはずだった。感じていたから、封じた。何かが来たから、それを止めた。
「……来ていた」
「何が来ていたんですか」
「何かが来ていた。だから止めた。何かが来て、それを受け取れなかった。受け取ったら、俺は動けなくなると思った。だから止めた。だから封じた」
「その何かが、何だったか」
「……わからない。来た瞬間に、止めた。だから何だったかが、わからない」
「今、思い出せますか?」
戦闘の音が遠くから来た。
レオンが戦っていた。エリナがセレンを回復していた。ライナスが立ち上がろうとしていた。
それが見えた。
今日もそれと同じことが起きた。セレンが倒れた瞬間に、崩れる感覚が来た。
あの時と同じ種類の何かだった。
「……同じだ」
「何が同じですか」
「今日、セレンが倒れた時に来たものと、あの時に来たものが——同じ種類だった気がする」
「そう思いますか?」
「同じ崩れる感覚が来た」
「その崩れる感覚が何か、わかりますか」
崩れる感覚。内側の何かが壊れる感覚。守れなかった時に来るもの。
「守れなかった時に来るものだ」
「そうです。それが悲しみです、ゼノさん。守れなかった時に来るもの。失った時に来るもの。間に合わなかった時に来るもの」
「悲しみか」
「はい。あの時も来ていた。二人が傷ついて、自分が無傷で立っていた。その時に来たものが、悲しみだった。それを受け取れなかったから、封じた」
「受け取れなかった」
「受け取ったら壊れると思ったんだと思います。だから止めたんです」
「壊れなかったか」
「今、壊れていないじゃないですか」
「今日、崩れる感覚が来た」
「崩れる感覚が来ても、立っています。セレンを確認して、エリナに指示して、レオンに任せた。崩れながらも動けた」
「……動けた」
「受け取っても、壊れない。今日それがわかった。あの時に受け取れなかったものを、今日は受け取れた。その違いが、ここまでの変化です」
「……アクア」
「はい」
「あの時に来たものを、今受け取ることはできるか」
「できます。今がその時だと思います。戦闘の中でも、向き合えています。それが準備ができた、ということだと思います」
「向き合う方法を教えてくれ」
「方法はないです。ただ、来たものを来たままにしておくこと。それだけです」
「ルミナと同じことを言っているのか」
「感情はどれも同じです。来たものを来たままにしておく。それが受け取ること」
意識が戻った。
戦闘が続いていて、レオンが踏みとどまっていた。
セレンが起き上がろうとしていた。エリナが「まだ動かないでください」と言っていた。
ライナスが立ち上がっていた。
全員がいた。
セレンが倒れた時に来た崩れる感覚が、まだそこにあった。
来たままにした。処理せずに受け取った。
意識の端で、アクアが立っていた。
まだ来ていなかった。だが来ようとしていた。
「ゼノさん」
アクアの声が来た。
「わかっている」
「もうすぐです」
「ああ」
ゼノは前を向いた。
今この瞬間に、向き合う準備が出来た気がした。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




