第94話 魔王との邂逅・後半
沈黙が続いた。
魔王とゼノ。二人とも動かなかった。
玉座の間の薄暗い光が、二人の間にあった。
後ろでエリナたちが待機していた。何も言わなかった。ゼノが話している。それを確認していた。
魔王が口を開いた。
「お前は何のために戦う」
「守りたい人間がいる」
「守りたい……それでこそ感情ではないのか」
「そうだ。感情から来た理由だ」
「その感情が、いつかお前を裏切る。俺のように」
「俺のように、か」
「感情を持っていた。大切な人を持っていた。失った。その痛みで、俺は壊れかけた。感情があったから、そうなった。お前も同じ道を辿る」
「失う可能性があることは認める」
「認めて、それでも持つのか」
「ああ」
「なぜだ」
「失うかもしれないから大切にする。大切にするから、今がある。その順序が、俺には正しいと感じられる」
「感じられる、か。感覚で言っているのか」
「感覚と判断が合わさっている。両方から来ている。お前の大切な人は、どうなった」
ゼノは聞いたその一瞬。
無表情の中に、何かが動いた。目の奥に、何かが通り過ぎた。見えた気がした。確信はなかった。
それは即座に消えた。
元の完全な空虚に戻った。
「死んだ。人間に殺された」
声が平坦だった。感情がなかった。しかし、その言葉には質があった。
「だから感情を捨てた。復讐のために」
「復讐のために感情を捨てたのか」
「感情があると、判断が歪む。復讐を遂行するためには、感情を排除する必要があった」
「復讐を遂行することが目的だったのか」
「そうだ」
「復讐は終わったのか」
「……終わらない」
「なぜ」
「人間がいる限り、俺の復讐は終わらない」
「人間がいる限り、か。それは復讐ではない。ただの破壊だ」
魔王の目が細くなった。
感情がない顔で、目が細くなった。怒りではなかった。でも何かが来ている目だった。
「お前は何を知っている」
「お前の状況を聞いた。特定の人間への復讐が目的だったなら、その人間はもう存在しないかもしれない。それでも続けているなら、復讐の対象がすでに存在しない状態で、ただ破壊を続けていることになる」
「人間は続く。同じことを繰り返す。大切なものを奪い続ける。だから、終わらない」
「それは個人への復讐ではなく、存在への否定だ。最初の理由と変わっている」
「……」
「大切な人を失ったことへの痛みが出発点だったはずだ。その痛みと、今の行動が繋がっているか」
「俺も、同じ事件を経験した」
ゼノは言った。
魔王が動かなかった。
「大切な人が傷ついた。自分の判断で。俺の判断が間違っていたから、大切な人が傷ついた。その事実を受け取れなかった。感情があったから間違えた、という結論を無意識に出して、感情を封じた」
「……」
「お前と同じ出発点だ。大切な人が傷ついた。感情があったから、という結論を出した。感情を持たない方向を選んだ」
「それは俺と同じだ。」
「出発点は同じだった」
「ならなぜ、お前は感情を取り戻そうとする」
魔王が初めて、ゼノを真剣に見た。
今まで観察している目だった。確認している目だった。今は違う。聞きたい、という何かがあった。
それも感情の一部ではないか、とゼノは思った。
「なぜ取り戻そうとするんだ。同じ痛みを経験した。同じ結論を出した。それでも取り戻そうとする理由が、俺にはわからない」
なぜ取り戻そうとするのか。
旅に出てから、ずっとそうしてきた。意図していたわけではなかった。ウェントスがいた。イグニスが来た。テラが来た。ルミナが来た。アクアが来た。
一人ではなかった。
一人ではなかったから、取り戻してきた。
「……それを、今から証明する」
その言葉が出た。
計算して出た言葉ではなかった。来た言葉だった。
「証明する、とはどういう意味だ」
「感情は弱さではない、という証明だ。言葉で言っても届かないかもしれない。だから、証明する」
「どうやって」
「感情があるから動ける、ということを見せる。感情があるから守れる、ということを見せる。感情があるから、お前にここまで言える、ということを見せる」
「……俺に言える、とはどういう意味だ」
「感情がなければ、お前の話を聞こうとしなかった。感情がなければ、お前の記録を読んで動けなかった。感情がなければ、お前に問いかける理由がなかった。俺が今ここにいることが、感情が弱さではないことの証明の始まりだ」
「俺に話しかけることが、証明になるのか」
「お前は今、俺に話している。俺も話している。これが何を意味するか、考えたことがあるか」
「確認しているだけだ」
「俺と同じ出発点の存在が、なぜ違う道を選んだか。それを確認している。それは興味だ。興味は感情の一部だ。お前はまだ、感情の欠片を持っている。」
「持っていない。捨てた」
「一瞬、動いた。俺の問いに答えた時、目の奥で何かが動いた」
魔王が動かなかった。
「大切な人が死んだ、と言った時に動いた。感情を全部捨てたなら、その言葉に何も来ないはずだ。ただの情報として処理されるはずだ。動いた、ということは、残っているものがある」
「残っていない」
「残っていないとしたら、その言葉に何が来たんだ」
魔王が答えなかった。
長い沈黙があった。
玉座の間の光が変わらなかった。魔王が動かなかった。
「お前は俺を変えようとしているのか」
「変えようとしているわけではない。話している」
「なぜ話す。戦わないのか」
「戦うことが目的ではない。お前が何者かを知りたかった。俺と同じ出発点から、なぜ違う道を選んだか。それを知りたかった」
「知ってどうする」
「わからない。ただ、知りたかった。それが感情から来た動機だ」
「……なぜ取り戻そうとするのか」
魔王はもう一度、ゼノに聞いた。
先ほどと同じ問いだったが、声の質が少し違っていた。
「俺が答えた通りだ。これから証明する」
「何を見せれば証明になるんだ」
「お前が決めることではない。俺が動く。その結果が、証明になるかどうかは、お前が判断する」
「……」
「ただし、一つだけ聞く」
「何だ」
「お前は今も、大切な人を思い出すことができるのか」
玉座の間が完全に静かになった。
魔王が動かなかった。
答えが来るかどうかわからなかった。
後ろでエリナが息を止めているのがわかった。
魔王の顔が、変わらなかった。何度目かの、何かが動く感覚が来た。
今度は、一瞬より少し長かった。
魔王が何も言わなかった。その沈黙が、答えだった気がした。
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ではまた。




