第93話 魔王との邂逅・前半
しばらく休憩した後、動き始めた。
全員の状態を確認した。ライナスの肩は回復していた。エリナの魔力が戻っていた。レオン、セレンも問題なかった。
「行くか」
「ああ」
城の最深部に向かった。
奥に進むほど、空気が変わっていった。魔力の密度が段階的に上がっていた。呼吸の感覚が変わり、魔力を感知しようとすると返ってくる反応が濃かった。
「魔物の気配がないですね」
「たしかに。この区画から魔物がいないな」
「なぜですか?」
「魔王がいる場所だからかもしれない。あるいは、俺たちをここまで誘導するために、魔物を退かせた可能性がある」
「誘導、か」
「使者が来た時から、魔王はこちらに興味を持っていた。ここまで来ることを、想定していた可能性がある」
しばらく進むと、目の前に大きな扉が現れた。
石造りで、高さが人間の三倍はあった。
扉の前に立つと、内側から圧力が来た。濃密な魔力だった。複数属性が混在していたが、闇属性が中心だった。
「ここだ」
「開けますか」
「ああ」
扉を開けると、そこは玉座の間だった。
広大な空間で、天井が高かった。壁に古い彫刻があり、床が石畳だった。全体が薄暗く、魔法的な光が最低限だけあった。
奥に玉座があった。そこに、人がいた。
人型だった。
年齢が読めなかった。見た目は成人に見えたが、それ以上のことがわからなかった。装備は簡素だった。ただし、全身から来る魔力の密度が、これまで遭遇したどの存在とも違った。
ただその顔に、感情が一切なかった。
ゼノはその顔は見たことあるものだった。
学園時代の自分が持っていたものと同じだ。無表情。だが、質が違った。
学園時代のゼノの無表情は、感情が薄かったからだった。感じる部分が動いていなかった。
目の前の存在の無表情は、違った。
完全な空虚だった。感情が薄いのではなく、感情が存在していない状態の顔だった。意図して、全てを取り除いた結果の顔だった。
「来たか、六属性の魔法使いよ」
魔王が言った。
声に抑揚がなかった。人間の声に似ていたが、感情が乗っていなかった。
「……お前が魔王か」
「そうだ」
魔王が玉座から立った。ゆっくりとした動作だった。急いでいなかった。
「そしてお前は——俺と同じだ」
「同じではない」
「なぜだ。お前も感情を封じた。俺も捨てた。結果は同じではないか」
「外から見れば似ているかもしれない。だが、同じではない」
「何が違うというんだ」
「俺は取り戻している途中だ。お前は捨て続けることを選んだ」
「取り戻す……」
魔王が繰り返した。声に変化がなかった。ただし、何かが動いた気がした。微細だった。確認できなかった。
「なぜ取り戻す必要がある。感情は弱さだ。俺はそれを証明してきた」
「証明されていない」
「何を根拠にそう言い切れる」
「俺が、そうではないと知っているからだ」
玉座の間が静かになった。
後ろでエリナが息を呑んだ気がした。
魔王がゼノを見ていた。表情は変わらなかったが、視線の質が変わった。観察している、という動きだった。
「……どういう意味だ」
「感情は弱さではないと、俺は知っている。旅の中で確認した。感情が来た時に、力が引き出された。感情があったから守れた場面があった。感情があったから信頼できた。感情があったから、判断の質が上がった」
「それは錯覚だ。感情があると、判断が歪む。俺は感情を捨てることで、より正確に動けるようになった」
「そうかもしれない。ただ、俺の経験では違った」
「経験、か。お前はまだ感情を完全には持っていない。不完全な状態で、そう言えるのか」
「不完全だから言える」
「ほお?」
「完全に感情がある状態と、完全に感情がない状態の両方を、部分的に経験してきた。その間にいるから、両方が見える。完全にどちらかの状態にある者には、見えない部分がある」
「……面白い言い方をするな」
「事実を述べている」
「お前は俺の記録を読んだだろう」
「読んだ。廊下の壁にあった」
「ならわかるはずだ。俺が何を失ったかを」
「大切な人たちを失った。人間の争いに巻き込まれた。感情があったから傷ついた。だから捨てた」
「理解しているなら、なぜ俺の結論を否定できる。俺と同じ経緯だろう。お前も感情が原因で傷ついた。だから封じた」
「たしかに同じ経緯だ。出発点が同じだ。だが選んだことが違う」
「俺は正しい選択をした。感情を捨てることで、二度と傷つかなくなった」
「それが目的だったのか」
「そうだ」
「傷つかないために、感じることを全部捨てた」
「そうだ」
ゼノは少し間を置いた。
「俺は違う結論を出した」
「ほお、言ってみろ」
「傷つくことは、大切なものがあった証明だ。大切なものがなければ、傷つかない。だから、傷ついたことは弱さではなく、大切なものがあったということだ。それを封じる理由にはならない」
「だが現実として、傷ついた。苦しかった。それを否定できるか」
「否定しない。それは事実だ。その事実が感情を捨てる理由になるとは思わない」
「なぜだ」
「大切なものがあったから傷ついた。なら、大切なものを持ち続けた方がいい。感情を持ち続けた方がいい」
「所詮は理想論だ。現実は違う。失った時の痛みは、その理論で消えるものではない」
「消えなくていい」
魔王が少し止まった。
「消えなくていい、とはどういう意味だ」
「痛みが残ることが、大切だった証明だ。消えることが目的ではない。大切だったことを、大切だったまま持ち続けることが目的だ」
「……」
魔王が何も言わなかった。
初めて、言葉が止まった。
顔は無表情だったが、何かが動いた気がした。微細な変化で確認できなかった。しかし、何かが動いた。
「お前は今、何人かを連れてきた」
「そうだ」
「なぜ一人で来なかった」
「一人で来る理由がなかったからだ」
「全員で来ることに意味があるのか」
「意味がある。全員がいるから、俺は動ける。全員がいるから、来た」
「……依存しているということか」
「依存とは違う。信頼している」
「信頼……その言葉が、俺にはもうわからない」
「わからないのか」
「捨てたからな」
「信頼も捨てたのか」
「感情を全部捨てた。信頼も、その中にあった」
「そうか。ならば話しかけてきた理由は何だ。俺に興味を持っていた理由は何だ」
「……」
魔王がまた止まった。
「俺と同じ存在が現れたから、確認したかった。それだけだ」
「確認したかった。――それは感情ではないのか」
「違う」
「興味を持つことは、感情の一部ではないのか」
「……」
魔王は答えず、静寂が玉座の間を包んだ。
魔王を見ていた。顔に感情が一切なかった。完全な空虚だった。
ただ、その顔が何度か止まった。
止まるということは、何かがあるということだ。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




