第8話 ライナスと魔法
放課後の訓練場に、風の音が繰り返していた。
発動して、散る。発動して、散る。一定のリズムではなく、間隔がばらついていた。試行のたびに少しずつ変えて、それでも結果が変わらない時の音だ。
ライナスが一人で練習していた。
ゼノは訓練場の入口で足を止めた。図書室に向かう途中だった。昨日の席替えでライナスが斜め前になったことで、授業中の観察データが増えた。風属性の制御精度は先週より上がっている。フォームの修正が定着してきた証拠だ。
だが今日のライナスの魔法は、それと質が違った。
「......また、か」
ライナスの声が聞こえた。誰かに言ったのではなく、自分に向けた言葉だった。肩が下がっている。息が少し乱れている。
ライナスがもう一度魔力を集める。右手を前に伸ばす。発動の直前、手の指先がわずかに緩んだ。その結果、出てきた風は弱く、方向が定まらないまま散った。
ゼノは訓練場に入った。
「また来てくれたんですか」
ライナスが振り返って、少し驚いた顔をした。それからすぐに「あ、通りかかっただけですよね、すみません」と付け加えた。
「通りかかった」
「......見てたんですか。格好悪いところを」
「格好悪い、という評価の基準が不明だが......一点、気になる部分がある」
「え」
「発動の直前に力が抜けて、指先が緩んでいる。それで出力が落ちる」
ライナスが自分の手を見た。
「力が、抜けてる?」
「魔力を集めるところまでは問題ない。発動の瞬間だけ、何かが干渉している」
ライナスが少し黙った。訓練場の端に置いてある水筒を手に取って、一口飲んだ。それから「実は」と言った。
「強い魔法が、どうしても出なくて。出力を上げようとすると、決まってこうなるんです。弱い魔法なら安定するんですけど」
「強い出力を意図した時だけ発動の瞬間に力が抜ける、ということか」
「そうです。なんで自分でも分からなくて......意識してないつもりなんですけど」
弱い魔法では起きない。強い出力を意図した時だけ発生する。発動の瞬間の力の抜け。これは技術的な問題ではない。技術的な問題なら出力の強弱に関わらず一定の形で現れるはずだ。
「ライナスは魔法を出す瞬間に力を抜いている」
「はい」
「自信のなさが出力に干渉している」
「......自信のなさ、ですか」
ライナスの声が、少し低くなった。否定するでも肯定するでもなく、ただその言葉を受け取っている声だった。
「強い魔法を出そうとする時、失敗することを想定していないか。出るかどうかわからないと感じていないか」
ライナスが「......そうかもしれないです」と言った。
「強くしようとすると、急に怖くなるというか。出なかったらどうしようって」
「その感覚が、発動直前の身体の緊張を緩ませる。力を入れて臨んだものが、最後の瞬間に抜ける。結果として出力が落ちる」
「じゃあ、自信を持てばいいってことですか」
「そういうことだ」
「そんなこと言われても......」
ライナスが苦笑いした。苦さの方が強い笑い方だった。
「自信を出せって言われても、どうすればいいか」
自信という感情のメカニズムについて、ゼノには詳細な理解がなかった。自信が何から生まれ、どうすれば増えるのか。それは感情の問題であり、ゼノが身体で理解できていない領域だった。
「自信は感情の問題だ。俺には詳細が分からない」
ライナスがゼノを見た。
「ただ身体の動きとして見れば、発動の瞬間に指先が緩むという事実がある。それは修正できる。自信があるかどうかに関わらず、指先に力を維持したまま発動するという動作は、意識すれば実行できる。フォームだけ修正すれば、出力が上がる」
ライナスが「......フォームだけ、ですか」と言った。
「感情の問題を解決しなくても、動作の問題は解決できる。順序としては動作から入る方が確実だ」
ライナスがゼノを見ていた。何かを考えている顔だった。それから小さく頷いた。
「試してみます」
向かい合って立った。
「いつも通り魔力を集めろ。強い出力を意図しろ。発動の直前、指先に意識を向けろ。緩めるな」
「はい」
ライナスが魔力を集め始めた。手に光が宿る。いつもより少し時間をかけて、慎重に。出力を上げようとしている。
発動の直前、ゼノは指先を見ていた。今度は、緩まなかった。
風が出た。
これまでとは明らかに違う規模の気流が、訓練場を横断した。的として置かれていた木の板が、大きく揺れた。
ライナスが固まった。
数秒、動かなかった。自分が出した魔法と、揺れた板と、自分の手を順番に見た。
「......出た」
小さな声だった。
「あ、出た、出ました!」
今度は大きな声だった。
ライナスの目に、水分が溜まっていた。涙だ。声が震えている。手が小さく震えている。笑顔と泣き顔が同時に成立している表情で、ライナスが振り返った。
「ゼノさん、ありがとうございます!」
「......」
涙が出るほどの強度の感情変化。魔法が出たという事実が、これだけの反応を引き起こしている。しかし涙と震えと笑顔が同時に現れる状態が、なぜ発生するのか。
魔法が出た。それは事実だ。フォームを修正した結果、出力が上がった。それだけのことが、なぜこれほどの反応に繋がるのか。
「......礼は不要だ。フォームを修正しただけだ」
「そんなことないです!」と涙を拭いながら、まだ笑っていた。
「俺、ずっと悩んでて。どうしても出なくて。自分には才能がないんじゃないかって、何度も思って」
「才能の問題ではなかった」
「でも、そうじゃないって分かったんです。ゼノさんが教えてくれたから」
しばらくしてライナスが「もう一回やっていいですか」と言った。
「ああ」
ライナスがまた魔力を集めた。今度はさっきより自然な動作だ。指先が緩まない。また強い風が出た。
「出た! また出た!」
今度は泣いていなかった。笑っているだけだ。
一度成功した事実が、次の発動への影響を変えている。自信の問題が技術的な成功体験によって緩和されている。感情と技術が、互いに影響し合っている。
しかし、もう一つ別のことが、頭の中に引っかかって離れなかった。
自分がフォームを指摘した。ライナスが試し、魔法が出た。ライナスが泣いた。
その一連の中で、ゼノは何かに関与している。ライナスの状態の変化に、ゼノの行動が寄与している。
自分が誰かに影響を与えたという事実。
これまでも、情報を伝えることで相手の行動が変わることはあった。授業での指摘も、先日のフォームの修正も。ただ今日のライナスの反応は、それとは何かが違う気がした。何がどう違うのかは、言語化できなかった。
「ゼノさん、何か考えてますか?」
「......処理中だ」
「俺のこと、ですか?」
「ああ」
ライナスが少し不思議そうな顔をした。
「何を処理してるんですか?」
「ライナスが泣いた理由を考えていた」
「あ、なんか、嬉しくて。ずっとできなかったことができたから。それだけなんですけど」
「それだけで、涙が出るのか」
「出ますよ、普通。ゼノさんは出ないんですか?」
ゼノは少し考えた。
「出たことがない。ただ出るということの意味が、今日少し分かった気がする」
「どんな意味ですか?」
「......まだ言語化できていない」
ライナスが「そうですか」と言って、また魔法の練習を再開した。
ゼノはしばらくそれを見ていた。
影響を与えた、という事実が頭に残り続けていた。残り続けていることの意味が、わからなかった。ただ、消えなかった。
図書室に行く時間は、もうなかった。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




