第83話 出発前夜
翌日の朝に出発することが決まっていた。
討伐隊全体が動き始める。魔物の森の方向へ、王都から進軍する。その初日だった。
夜になった。
ゼノは部屋で装備の最終確認をしていた。魔力の状態を確認したが問題なかった。持ち物を確認し、過不足がなかった。明日の行動方針を頭の中で整理した。
整理していると扉が開いた。そこにはレオンが立っていた。
「眠れないか」
「少しな。お前は?」
「まだ確認作業があった」
「俺もそうしようと思って来た。で、来たらエリナとライナスとセレンも眠れないって言ってて、みんなここに来ることになった」
「そうか」
五人が部屋に集まった。
広くはなく、ベッドと椅子と小さなテーブルだけの部屋だった。全員が座れる場所を確保して、床に座った者もいた。
しばらく誰も話さなかった。
遠くで何かの音がした。王都の夜の音だった。明日から始まることを知っている人間たちが、それぞれの場所で過ごしている音だった。
「眠れないのは俺だけじゃないんですね」
「眠れない理由があるんだから当然だろ?」
「そうですよね。でも、みんなが眠れないとわかったら、少し楽になりました」
「一人じゃないってことですか」
「そうです」
「なんか言えよ、ゼノ」
レオンが言った。
ゼノを見ていた。困った顔ではなかったが何かを求めている顔だった。
「こういう時、お前が何か言うと落ち着くんだよ。昨日もそうだったし、旅の間もそうだった。だから、何か言ってくれ」
「……俺が言葉で人を落ち着かせられるとは思っていなかった」
「思ってなかったんですか!?」
「ゼノさんって、自分の影響に気づかないんですよね。でも、してくれてましたよね。ずっと。学園の頃から」
「……そうだったのか」
「そうでしたよ」
ゼノは少し考えた。
落ち着かせる言葉。何を言えばいいのかを、処理しようとした。感情的な励ましは俺には難しい。ただし、事実として言えることがある。今日まで確認してきたことがある。
「……全員に、一つずつ言う」
全員が静かになった。
「レオン」
「おう」
「レオンの火属性は学園の時の三倍になっている。感情が燃料になっている証拠だ」
「三倍って、そんなに変わったのか?」
「変わった。測定として確認している。学園の演習での出力と、旅に出てからの出力を比較した。感情と魔法が連動していることの証明でもある」
「……ありがとう。数字で言ってくれると、本当だって思える」
「ライナス」
「はい」
「ライナスは臆病だと言っていたが、今の俺には臆病には見えない」
「え?」
「前に出る理由を持っている。それは強さだ。臆病と強さは別の話だ。理由があって前に出られるなら、それが今のお前だ」
ライナスが少し黙った。
「……ゼノさんって、そういう言い方をするんですよね。定義を変えてくれる」
「正確に言っただけだ」
「それが嬉しいんです」
「セレン」
「はい」
「感覚は言語化できないが、それはセレンの武器だ。俺には持てないものだ」
「わたしが持っているものが、ゼノさんには持てない」
「そうだ。俺は感覚で動くことがまだ難しい。セレンはそれができる。俺が理論で到達できない場所に、感覚で到達できる。それは実戦で証明されている」
「……ありがとうございます。感覚を武器だと言ってもらえたの、初めてです」
「事実だ」
「それが嬉しいです」
「エリナ」
「はい」
ゼノは少し止まった。
他の三人への言葉は、能力への評価だった。事実として確認できることを述べた。
エリナに何を言うかを、今考えていた。
能力への評価は言えた。回復魔法の水準が上がっている。パーティの生存率に直結している。それは事実だった。
ただし、それだけではなかった。
「……エリナは、俺が守りたい」
部屋が静かになった。
一秒ほど、何も音がなかった。
「おいおいおい!!」
「ゼノさん!?」
レオンとライナスが声をあげた。
セレンが静かに笑っていた。口元に手を当てていたが、笑っていた。
エリナが目を丸くしていた。
「事実を述べた。おかしいか」
「おかしくないけどよ!! そこで急にそういうことを言うのかよ!!」
「急ではない。考えていた」
「考えた結果がそれなのか!?」
「他に正確な言葉が見つからなかった。エリナの回復魔法が上がっている、ということは言える。それは事実だ。ただ、それだけではなかった。守りたいという感覚が来ている。それも事実だ。だから言った」
「両方言えよ!!」
「両方言おうとしたが、守りたいという部分の方が先に来た」
「エリナ、どうなんですか?」とライナスが聞いた。
エリナが少し顔が赤くなっていた。
「……おかしくないです」
「おかしくない、か」
「はい。おかしくないです」
「なぜ顔が赤いんだ」
「なんで聞くんですか!!」
「顔色の変化が確認できた」
「それは確認しなくていいです!!」
部屋が笑いに包まれた。
ゼノは笑っていなかったが、何かが来ていた。
「ゼノさんって、なんで急にそういうことを言えるんですか」
「急ではない」
「急でしょ!!」
「守りたいという感覚は、以前から来ていた。今夜言うことが適切だと判断した」
「なんで今夜なんですか?」
「全員に一つずつ言う、と決めた時にエリナに何を言うかを考えた。最も正確な言葉がそれだった」
「……最も正確な言葉が、守りたい、だったんですね」
「そうだ」
「レオンさん、どうしますか?」とライナスが言った。
「どうする、って何が」
「ゼノさんがああいうこと言ったんですよ」
「いいじゃないか。ゼノが言えたんだから、いいことだよ」
「そうですよね」
「俺も言えるようになったか。言えなかったことが言えた。それが変化だろ」
「……そうだな。以前は言えなかったかもしれない。今夜言えた」
「進歩じゃないか」
「ゼノさん」とエリナが呼んだ。顔はまだ少し赤かった。
「何だ」
「私も、ゼノさんのことを守りたいです。言っておきます」
「……俺は守られる側なのか」
「守り合う、でいいじゃないですか」
「守り合う」
「おかしいですか?」
「……おかしくない」
レオンが「なんかいい雰囲気だな」と言った。
「いい雰囲気、とはどういう意味だ」
「定義しなくていい!」
笑いがまた来た。
今夜、明日に向けての緊張がそこにあった。眠れない夜があった。怖さがあった。
しかしこの部屋の中に、別のものもあった。
全員がいた。笑って話していた。
「少し眠れそうか」
「少しだけな。でも、来てよかった」
「俺もです」
「わたしも」
「私も、です」
「……そうか」
「そろそろ戻りますね。少し眠れると思います」
「俺も」
「俺も寝ます。ゼノさん、ありがとうございました」
「礼は不要だ」
「言いたいから言います」
「……そうか」
全員が部屋を出た。
ゼノは一人になった。
守りたい。
今夜言った言葉が、頭の中に残っていた。
言えた。以前は言えなかったかもしれない言葉が、今夜言えた。レオンが言った通りだった。
エリナが守り合う、と言った。
守り合う。互いに守る。それが今のパーティの形だった。
明日が来る。
ゼノは装備を最終確認して、横になった。
今夜は少し眠れそうだった。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




