第79話 魔王の影
街に滞在して二日目。
次の依頼の情報整理が終わって、出発の準備を始めようとしていた頃だった。
宿に、使者が来た。
王国の紋章を持った使者だ。ゼノたちが宿にいることを、ギルドを経由して知ったらしかった。
「アルディス殿、でしょうか」
「そうです」
「王国からの緊急の要請があります。お時間をいただけますか」
宿の一室で使者の話を聞いた。
「魔物の森の深部で、大規模な魔力の異常が観測されました。規模と質から、魔王が本格的に動き出している可能性が高いと判断しています」
「観測された魔力の詳細を教えてください」
「闇属性を中心とした、複数属性の混合魔力です。強度が前例にない規模で、周囲の魔物の行動が一斉に変化しています。統率が強まっています」
「いつ観測されましたか」
「三日前です。それ以降、異常が継続しています」
「王国の対応は」
「討伐隊の編成を始めています。ただ、戦力が不足しています。魔王級の存在に対応できる魔法使いが少ない。六属性の魔法使いであるアルディス殿に、王国への協力を要請したい」
「条件があります」
ゼノは言った。
使者が少し驚いた顔をした。即座に断ると思っていたのか、あるいは即座に同意すると思っていたのか、どちらかだった。
「条件とは」
「俺がパーティを率いています。パーティ全員の安全を確保する体制があるかどうか。俺だけが前に出る形は取りません。パーティ全体として動くことを前提に協力します」
「……確認します。他に条件は」
「情報の共有を求めます。王国が持っている魔王に関する情報を、俺たちにも渡してほしい。不完全な情報で動くことは、全員のリスクを上げます」
「それも確認します」
「返答は急がなくていいです。ただし、こちらも出発の準備があります。二日以内に返答がなければ、独自に動きます」
使者が去った。
全員が部屋に集まった。
「王国からの要請だったんですね」
「そうだ。魔王が動き出している可能性がある。王国が討伐隊を編成しようとしている。俺たちへの協力要請だった」
「行くよな?」
レオンが即答した。
「即答か」
「当然だろ。ここまで来てそれを聞くのか?」
「俺も、行きます。怖いけど、行きたい」
「怖いけど行きたいという状態だ」
「はい。怖いことと、行きたいことが両方あります。矛盾しないって、ゼノさんが言ってたので」
「言ったな」
「それを思い出して、行きたいって言えます」
「セレンはどうだ」
「みんなと一緒なら。みんなと一緒に動くことが自然になってきたので。一人では判断しにくいことも、みんなといれば判断できます」
「エリナは」
「私も、当然です。ゼノさんが行くなら、私も行きます」
ゼノは全員を見た。
四人の顔を、一人ずつ確認した。
「……危険だ」
「わかってるさ」
「魔王が相手だ。これまでの任務とは格が違う。命が取られる可能性がある。覚悟した上での返答か」
全員が頷いた。
声を出して頷いた者もいた。黙って頷いた者もいた。ただし全員の顔が同じ方向を向いていた。
「……わかった。行く」
「よし!」
「ただ一つ条件がある」
全員が「何?」と言った。
「全員、生きて帰る。それだけだ」
部屋が静かになった。
全員、生きて帰る。
その言葉の重さを、全員が受け取っていた。
「それが、一番難しい条件ですね」
エリナが言った。笑っていた。ただし、軽い笑いではなかった。難しいと知った上で笑っていた。
「だから言っておく必要があった」
「わかりました。私も、全員で帰ります」
「俺もだ」
「俺も」
「わたしも」
翌日、王国からの返答が来た。
条件は受け入れられた。パーティ全員の安全確保について体制を整える。情報の共有については、可能な範囲で応じる。
「可能な範囲、という限定がついている」
「全部は渡せない情報があるということか?」
「王国の内部事情がある可能性がある。ただし、実際に動き始めれば情報が出てくることもある。今の段階では受け入れる」
「わかった」
出発は三日後と決まった。
準備を始めた。装備の確認、物資の補充、情報の整理。やることが明確になった。
レオンが武器の手入れをしていた。ライナスが地図を確認していた。セレンが水の確保方法を再確認していた。エリナが薬草と回復薬を補充していた。
ゼノは情報の整理をしていた。これまで収集した魔王に関するデータ、眷属との戦闘で得た情報、ギルドマスターから共有された内容。全部を一度整理した。
夜の円卓。
四人が来ていた。
「決戦だね」
「決戦という表現が適切かどうかは——」
「決戦だよ。魔王に会いに行くんでしょ? それが決戦じゃなくて何なの」
「……そうだな。決戦だ」
「やっと、って感じだな。ずっとその方向に向かってた。やっと来た」
「向かっていたのか、俺は」
「ずっとそうだったよ。旅に出た時から」
「でも、まだ二つ足りないです」とテラ言った。
穏やかな声だったが、確認の声だった。
「わかっている。悲しみと恐怖だ」
「その二つが来ていない状態で、決戦に向かうことになります」
「不完全な状態で向かうことになる可能性がある」
「必ず、揃うわ」とルミナが言った。
「根拠は」
「ないわ。でも、信じてる」
「……毎回同じ答えだ」
「毎回本当のことだから」
ゼノは二つの空席を見た。
薄暗い椅子が二つあった。
「……悲しみと恐怖。どちらも、俺にはまだわからない」
静寂があった。
四人が黙っていた。
「でも、ゼノならわかる日が来る。あたしは知ってる」
ウェントスが言った。
静かな確信があった。いつものはしゃいだ声ではなかった。長い間一緒にいた者の声だった。
「知っているのか。」
「知ってる。確信がある」
「根拠は。」
「ずっと見てきたから。喜びが来る前から、ゼノのそばにいた。来ないかもしれないって思う時もあったけど、来た。怒りも来た。信頼も来た。愛情も来た。だから、悲しみと恐怖も来る。あたしは知ってる」
「ウェントスが一番長くいたからか」
「そうだよ。最初からいたから、全部見てきた。だから確信があるよ」
「……そうか」
「信じて。あたしの確信を、今回だけは根拠として使っていい」
「……ああ」
「決戦の前に揃うと思いますよ」とテラが言った。
「根拠は」
「ないです。でも、大丈夫だと思っています。あなたなら大丈夫」
「また言った」
「これからも言います」
「……わかっている」
「わかっているなら受け取ってください」
「……受け取った」
「ゼノ、怖いか」とイグニスが聞いてきた。
「怖いかどうかを確認した」
「何か来たか」
「来ている気がする。まだ確信はない。ただ、何かある」
「それが怖いの始まりかもしれない」
「始まりか」
「覚醒の前はそういうもんだよ。端っこが来て、それが大きくなっていく」
「端っこが来ているかもしれない」
「来てるよ。わたしには見える。来てる」
「ルミナ」とゼノは読んだ。
「何かしら」
「悲しみと恐怖。どちらが先に来るかはわからないが——来た時に、受け取れるか」
「受け取れるわ。今のゼノくんなら。以前のゼノくんには言えなかった。でも今は言える」
「なぜ今は言えるんだ」
「喜びと怒りと信頼と愛情を受け取ってきたから。感情を受け取ることに、少し慣れてきているから」
「慣れることが、次への準備になるのか」
「そうよ。ゼノくんは既に準備してきた。気づいていなくても」
二つの空席が、静かに薄暗かった。
決戦が近づいていた。
不完全なまま向かうかもしれなかった。ただ、四人が信じていた。全員生きて帰る、という条件を全員に言った。
その言葉を言えた時点で、何かが決まっていた気がした。
「ウェントス」
「何?」
「お前が最初からいてくれてよかった」
広間が静かになった。
ウェントスが少し間を置いた。
「……それ、あたしが一番聞きたかった言葉かもしれない」
「そうか」
「ありがとう、ゼノ」
「……ありがとうは俺の方だ」
四人が静かに微笑んでいた。
二つの空席が待っていた。
決戦への道が、始まろうとしていた。
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ではまた。




