第73話 愛情の問い
夜の見張りをしながら、ゼノは確認し続けていた。
昨日からずっと、処理できていないものがそこにあった。消えなかった。眠っている間も——眠れなかったわけではないが——何かが残っていた。
なぜかわからないが、どうしてもエリナを守りたいと思う。
その感覚が、起きている間ずっとそこにあった。
他の四人を守りたいという感覚はある。全員を守りたいと思っている。それは確認できていた。ただ、エリナに対して来るものが、他の四人と質が違った。
何が違うのかを言語化しようとして、止まった。止まることを繰り返した。
円卓に入った。
四人が来ていた。ウェントス、イグニス、テラ、ルミナ。全員がいた。
「今日は全員来ているのか」
「なんとなく、今夜は来た方がいい気がして」とウェントスが言った。
「来た方がいいとはどういう根拠からか」
「感覚」
「セレンみたいな答えだ」
「あたしも感覚で生きてるとこあるから」
「ゼノ君、昨日から何かが残っていますよね」とテラが言った。
「処理できていないことがある」
「言ってみてください」
ルミナが言った。静かな声だった。いつもより穏やかだった。待っていた声だった。
「エリナを守りたいという感覚が、他の人間を守る感覚と質が違う」
「どう違うの?」
「他の四人を守りたいという感覚はある。全員の無事を望んでいる。ただし、エリナに対して来るものが——別の層にある気がする」
「別の層、ね」
「言語化が難しい。ただ、エリナの声を聞いた時に計算が止まった。エリナの寝顔を見た時に処理が止まった。エリナの言葉を聞いた時に何かが来た。他の四人に対しても大切だという感覚はあるが、この止まり方が違う」
「そうね」
「なぜかわからない。ただ、そうしてしまう。計算より先に来る。論理より先に来る。来てから気づく。それが繰り返されている」
「それが愛情よ」
ルミナが言った。
静かだった。断言ではなかった。ただ、確信があった。
「愛情の定義は——」
「定義は後でいい」
ルミナがいつもと違う言い方をした。定義を求めることを止めるのではなく、後でいい、と言った。否定ではなく、順序の話だった。
「今、感じていることを否定しないで。定義は、感じ終わった後でもできる。でも、感じている最中に定義を求めると、感じることが止まる場合があるから」
ゼノは少し黙った。
感じていることを否定しないで。
否定する理由を探した。
エリナに対する感覚が他の四人と質が違う、という事実は観察できている。事実を否定することはできない。
その感覚が何かを定義しようとすれば止まる。ただし、感覚が来ていること自体は確認できている。それを否定することはできなかった。
「……否定する理由が、見つからない」
「なら、そのままでいいじゃない」
「そのままでいい、というのはどういう状態だ」
「来ているものを、来ているままにしておくこと。どこかに整理しようとしなくていい。ただ、あるから、ある。それでいい」
「ゼノ、好きなんじゃないの?」
ウェントスが言った。
直球だった。前置きがなかった。
「うるさい、ウェントス」とイグニスが即座に言った。
「でも、そうじゃない?」
「今はゼノのペースで話してるんだ」
「そうだけど」
「二人とも。ゼノ君のペースよ」
ウェントスが少し口を閉じた。それでもまだ言いたそうな顔をしていた。
「ウェントス」
「何?」
「……好き、の定義を確認したい」
「もう!!」
ウェントスが声を上げた。
「定義を確認することの何が問題なのか」
「問題じゃないけど、ゼノってほんとにそういうとこが! 好きなの、好きじゃないの、どっちなのって聞いてるのに、定義を確認したいって言うの!!」
「定義が確定しなければ、自分の状態を好きかどうかで評価できない。評価できないまま答えることは精度が低い」
「精度が低くていいんだよ、好きかどうかなんて!!」
「精度が低い答えを返すことは——」
「返していいの!! 好きかどうかって、そういうもんなの!!」
イグニスが「ウェントス、うるさい」と言った。
「でも、ゼノのことを思ったら」
「ゼノのペースがある」
「わかってるけど。……ゼノ、あのね」
「何だ」
「好きかどうかを定義してから確認するんじゃなくて、確認してから気づくこともある。計算より先に来た、って言ったでしょ。それが答えだと思うよ」
「計算より先に来たことが答えになるのか」
「なるよ。計算より先に来るものが、一番本物だから」
「ルミナ」
「何かしら」
「愛情は、定義より先に来るものなのか」
「そうよ。定義は後からついてくる。最初は、なぜかわからないけどそうしてしまう、という形で来る。それが積み重なって、いつか定義できるようになる。でも最初は定義より先に来る」
「今、俺に来ているものが愛情かどうかを確認するためには、どうすればいいんだ」
「確認しなくていいの。確認しようとすることで消えてしまうものがある。来ているものを来ているままにしておけば、いつか自然に形になる」
「来ているものを、来ているままにしておく」
「そうよ。難しいかしら」
「……難しい。俺は来たものを処理しようとする習慣がある」
「少しずつでいい。処理しない時間を作ることから始めればいい」
広間が賑やかになった。
ウェントスがまた「でもやっぱり好きなんじゃないの?」と言い始めた。イグニスが「うるさい」と言った。テラが「二人とも落ち着いて」と言った。ルミナが「ウェントスの気持ちもわかるわ」と笑いながら言った。
四人が同時に話していた。
ゼノはその様子を見ていた。
騒がしい円卓は、以前は処理の邪魔になる気がしていた。今は——
何かが来た。
口角が上がった。
ゼノ自身が気づいていなかった。それを見て、ウェントスが止まった。
「ゼノ。今、笑った……」
「笑ったか」
「笑った! ちょっとだけだけど、口角が上がった!」
「……そうか」
「なんで笑ったんですか?」
「わからない」
「わからなくていい。笑えたなら、それでいいのよ」
「笑えた、というのはどういう意味だ」
「楽しかったんじゃないですか、ゼノ君。四人が騒がしくしていて、それが——」
「楽しかった、かどうかは確認中だ。ただ、悪くない状態だった」
「悪くない、ね」
「それ以上の言葉がまだない」
「それで十分よ。今日はね」
「今日は、という限定がつく理由は何だ」
「明日はまた変わるかもしれないからよ。言葉が増えていくから。悪くない、から別の言葉が来る日が、いつか来る」
「その日が来るかどうか、確認できない」
「来るわ。わたくし、信じてるから」
「また根拠なしに言っているな」
「そうよ」
「毎回そうだ」
「毎回そうよ。これからも」
ゼノは四人を見た。
ウェントスがまだ少し言いたそうな顔をしていた。イグニスが腕を組んでいた。テラが穏やかに微笑んでいた。ルミナが金色の瞳でゼノを見ていた。
「一つだけ言う」
「何?」
全員が振り向いた。
「今夜の円卓が、悪くなかった。それだけだ」
「それがゼノの最上評価だから!!」
「うるさい。」
「でも最上評価じゃん!」
「そうだが。うるさい」
円卓を出た。
なぜかわからないが、どうしてもエリナを守りたいと思う。
その感覚は、まだそこにあった。処理しなかった。来ているままにした。
ルミナが言っていた。定義は後でいい。来ているものを来ているままにしておけば、いつか形になる。
今夜はそれを信じてみることにした。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




