第72話 守りたい存在
翌朝、騎士団が動き始めた。
重傷者はまだ完全ではなかったが、移動できる状態になっていた。騎士団のリーダーが「最寄りの街まで自力で向かえる。本当に助かった」と言って、パーティに礼を言った。
騎士団が去っていった。
その後、パーティは野営地で休息をとることにした。昨日の戦闘で全員が消耗していた。エリナが回復魔法を各自にかけながら、自分自身の魔力も回復させていた。
レオンが「今日は休む日だな」と言った。異論がなかった。
午前中は各自が自分のペースで過ごした。
レオンが武器の手入れをしていた。ライナスが地図を確認していた。セレンが近くに川があるといって水の確認に出かけた。
ゼノは野営地の端で、昨日の戦闘を振り返っていた。
状況の分析。動いた手順の確認。改善できた部分。次回に活かせる情報。順を追って整理していた。
ただし、今日はその作業が通常より遅かった。処理が止まる部分があった。
「ゼノさん」
エリナが来て、隣に座った。
「何だ」
「一人で考えてましたよね。昨日のこと?」
「分析していた」
「そうですか。……私も、昨日のことを考えてました」
「何を」
「ゼノさんが包囲された時のことです。昨日、ゼノさんが包囲された時、すごく怖かったです」
「俺は大丈夫だった」
「わかってます。包囲を抜けてくれて、みんなが助けに行って、結果的に大丈夫だった。わかってます。でも、怖かった」
「怖い、という反応は正常だ」
「そうじゃなくて。ゼノさんが、具体的に怖かったんです。ゼノさんに何かあったらどうしようって」
ゼノは少し間を置いた。
「……俺も」
「え?」
「エリナが叫んだ時。何かが、動いた。」
「何が動いたんですか?」
「わからない。判断の前に来た。エリナが叫んでいた。その声を聞いた瞬間に、何かが来た」
「どんな何かですか」
「……エリナが安全でなければならないという感覚が——論理より先に来た」
「論理より先に、ですか?」
「そうだ。俺が包囲されかけていた。脱出する方法を計算していた。その計算の途中で、エリナの声が来て——計算が止まった。計算より先に、エリナが安全でなければならないという感覚が来た。その後で計算に戻った」
「計算が止まったんですね」
「止まった。理由がわからなかった。後衛のエリナが、前衛の俺より危険な状況にあるはずがなかった。計算上は、俺の方が危険だった。それでも——」
「それでも?」
「エリナの声で計算が止まった。非合理的だ。俺より後衛のお前の方が安全なはずだった。それでも、お前が安全でなければならないという感覚の方が、計算より先に来た」
エリナが少し黙った。
ゼノも黙った。
言葉が全部出てしまって、返答を待っていた。返答が来るかどうかわからなかった。ただ、言葉が出た。止めることができなかった。
「……ゼノさん」
「何だ」
「ありがとうございます」
エリナが静かに言った。
ゼノは内心で処理しようとした。
礼を言われる理由を探した。計算が止まったことへの礼か。声に気づいたことへの礼か。それとも別の何かへの礼か。
どれでも、礼は不要だ、という言葉が来なかった。代わりに、何かが来た。
処理しようとして、止まった。
なぜかわからないが、どうしてもこの人を守りたいと思う。
その感覚が来た。論理ではなかった。計算でもなかった。
論理的な理由を探した。エリナはパーティの回復役で、生存率に直結する。守ることが合理的だ。その理由は成立した。
しかしそれが理由ではない気がした。
論理的な理由が成立する前に、守りたいという感覚が来ていた。
なぜかわからない。
なぜかわからないのに、そうしてしまう。
その構造が、今まで処理しようとしてきた何かと、形が似ていた。
ルミナが言っていた言葉が頭に来た。
――定義なんてないの。ただ、そう思うからそう言うの。
――なぜかわからないけど、どうしてもそうしてしまう。
――それが愛情よ、ゼノくん。
「ゼノさん、今どんな気持ちですか」
「……処理が止まっている」
「どんな部分が?」
「エリナを守りたいという感覚の理由が、見つからない」
「理由が見つからない、とは?」
「合理的な理由は成立する。回復役を守ることが戦力の維持に繋がる。それは正しい。しかし、それが理由ではない気がする」
「じゃあ何が理由なんですか」
「……わからない。なぜかわからない。ただ、どうしてもそうしてしまう。」
エリナが少し息を吸った。
「それって——」
「何だ」
「それって、すごく大切なことを言ってもらえてる気がして」
「大切なのか」
「私にとっては、大切です。理由がなくてもそうしてしまう、って言ってもらえることが。」
「俺には、理由がわからないことが不完全な状態に感じられる。なぜかわからないことを認めることが、適切な答えかどうかも確認できていない」
「不完全でいいです。なぜかわからなくていいです。どうしてもそうしてしまうって、それだけで十分です」
「十分か」
「十分です。私も、なぜかわからないけどゼノさんのそばにいたいと思ってます。最初から、理由なんて考えたことなかったです。いたいから、います」
「いたいから、いる」
「はい。それだけです」
「それが理由として成立するのか」
「成立すると思います。――少なくとも、私にとっては」
ゼノは処理しようとして、止めた。
止めることを選んだ。今日は処理しなかった。
なぜかわからないが、どうしてもこの人を守りたいと思う。
この感覚を処理しようとすれば、何かが消えるかもしれない気がした。ルミナが言っていた。言語化しようとすると、感じることができなくなる場合がある、と。
「エリナ」
「はい」
「昨日、声を聞いて計算が止まった。それが何かはまだわからない。ただ、止まった」
「はい」
「それが答えになるかどうかも、わからない。ただ、事実として止まった」
「それが答えだと思います」
「なぜそう思うんだ」
「なぜかわからないけど、そう思うから」
エリナが笑った。
ゼノが言った言葉と同じ構造の答えを返してきた。
「お前は俺の言い方を使ったのか」
「使いました。こういう時は、これが一番正確な気がして」
「……そうだな」
「ゼノさん、今、少し笑いましたよね」
「笑ったか」
「笑いました。ほんの少しだけ」
「顔に出ていたか」
「出てました。ちょっとだけ」
二人でしばらく並んでいた。
遠くでレオンとライナスが会話していた。何かを話していた。内容は聞こえなかった。
普通の時間だった。
昨日の戦闘があって、全員が無事で、今日は休息していた。
なぜかわからないが、どうしてもこの人を守りたいと思う。
その感覚が、まだそこにあった。消えていなかった。処理しなかったからかもしれなかった。
「ゼノさん」
「何だ」
「また包囲されたら、ちゃんと助けを呼んでください。一人で全部やろうとしないで」
「……わかった」
「約束ですよ」
「約束は守る」
「知ってます。ゼノさんは嘘をつかないから」
エリナが立ち上がった。
「お昼の準備をしてきますね」
「頼む」
エリナが歩いていくその背中をゼノは見ていた。
なぜかわからないが、どうしてもそうしてしまう。
その感覚の名前が、まだわからなかった。
ただ、確かにあった。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
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ではまた。




