第65話 魔王の使者
街を出たのは昼前だった。
物資の補充が完了し、全員の体力も魔力も回復していた。次の目的地に向かって街道を進んだ。
休息前に得た情報を整理していた。魔物の行動変化が報告されている地域の方向、眷属の目撃情報が増えている区域、魔力の異常反応が確認された場所。それらを地図と照合すると、一定の方向性があった。
街道を一時間ほど進んだ頃だった。
気配を感知し、ゼノが足を止めた。
「止まれ」
全員が止まった。
「何ですか?」とライナスが小声で言った。
「前方の木の陰に何かいる。魔物の気配だが、人型だ」
「人型の魔物ですか」
「違う。人間の要素と魔物の要素が混在している。今まで感知したことのない種類だ」
全員が警戒した。すると木の陰から、それが姿を現した。
人型だ。ただ人間ではなかった。
見た目は人間に近かった。二足歩行で、顔があり、手がある。でも目が違った。瞳が黄色く光っていた。肌の色が人間のものではなかった。そして何より、全身から漂う魔力の質が、人間のものでも通常の魔物のものでもない。
非常に濃密な魔力。先日、森の中で発見した魔物の死骸に残っていた魔力の残滓と、同じ質だった。
「貴様がゼノ・アルディスだな。我が君より命を受けている。我が君は、六属性の魔法使いに興味を持っている。ついてきてもらおうか」
抑揚が少なく、感情が乗っていない声だった。
「断る」
ゼノは即答した。
一瞬の間もなかった。計算した結果ではなかった。
使者が少し動いた。表情が変わったのか、変わっていないのかが判別しにくかった。
「断るのか。我が君の招きを」
「用件の内容に関わらず、今の時点で行く理由がない。俺たちには俺たちの目的がある」
「貴様が来れば、争いを避けられる可能性があるが」
「脅しとして受け取った。ただし、脅しが判断を変える根拠にはならない」
使者が少し間を置いた。
「貴様と我が君は似ている」
「どの点で」
「感情を持たない者同士だ」
ゼノは一瞬止まった。
処理した。感情を持たない者同士。魔王と俺が、同じだと言っている。
「俺は感情を持っていないのではない」
「どういう意味だ」
「持っていない状態を理解している途中だ。取り戻している途中だ。感情を持たないことと、感情を取り戻している最中であることは、外から見れば似ているかもしれないが、同じではない」
使者が少し動いた。
意外そうな顔だ。感情があるのかどうか判別しにくい顔だったが、何かが変わった。予想していなかった返答が来た、という反応だった。
「……それが答えか」
「そうだ」
「我が君に伝える価値がある答えだ」
「もう一つ付け加えてくれ。」
「何を」
「俺はいずれそこに行く」
「……いずれ行く、とはどういう意味だ。」
「魔王に会う必要がある。理由はまだ整理できていないが、行くことになると判断している。今ではない。ただいずれ行く」
「それは来る、という意味か?」
「違う。俺が行くという意味だ。招かれて行くのではなく、俺の判断で行く。それだけだ」
使者がゼノを見ていた。
長い沈黙があった。
「……面白い人間だ。我が君に伝えておこう」
使者が向きを変えた。そのまま森の方向へ歩いた。気配が遠ざかっていった。
全員が止まっていた。
しばらく誰も動かなかった。
使者の気配が完全に消えたことを確認してから、ゼノが「行こう」と言った。
全員が動き始めた。
歩きながら、後方でレオンが「……度胸あるな」と言った。
「度胸があるかどうかはわからない」
「魔王の使者に向かって、いずれ行くって宣言したんだぞ。普通怖くて言えないだろ」
「怖くないから言えたわけではない」
「どういう意味だ」
「感情がないから怖くない、ではなく——行く理由があるから、怖くない」
「行く理由って何だ?」
「まだ全部は整理できていない。ただ、行かなければならない理由があることは確認できている。魔王に関する情報を集める必要がある。学園の禁書区画の件から続いている流れがある。この旅の目的の一部がそこにある」
「それだけか」
「……それだけではないかもしれない」
「どういう意味だ?」
「使者が言った。魔王は感情を持たない、と。俺と似ている、と。似ているとしたら、俺が経験してきたことが、魔王にも関係する可能性がある。感情を持たない状態がどこから来るのか、なぜそうなったのか。それを知りたいという気持ちが、行く理由の一部になっているかもしれない」
「気持ち、って言いましたね」とライナスが言った。
「行く理由の一部に気持ちが入ってるって言うことですか?」」
「……そうだな。言葉として出た」
「ゼノさんって、最近そういうことが増えましたよね。気持ちとか感覚とか、そういう言葉が自然に出てくる」
「自分では気づかない場合がある。お前たちが指摘してくれることで気づく」
「指摘し続けますよ」
「使者が言ってたな。魔王と似てるって」とレオンが歩きながら言った。
「そのことは気にならないのか?」
「気になっている」
「どんな風に?」
「似ている部分がある、という評価が正しいとしたら、俺が感情を封じた経緯と、魔王が感情を捨てた経緯に、共通する何かがある可能性がある。その何かが何なのかを知りたい」
「それが行く理由にもなってるのか」
「なっている可能性がある」
「ゼノさんって、自分のことを調べに行こうとしてるんですね、ある意味で」とエリナが言った。
「その表現は考えていなかったが、否定できない」
「なんか、それがゼノさんらしいですよ。合理的な理由と、個人的な理由が両方ある」
「セレン、何か感じたか」
「使者の水の気配が、通常と違いました。魔力の流れが、生き物として自然なものじゃなかった。作られたものというか」
「作られた存在、ということか」
「そう感じました。感覚なので確信はないですが」
「記録しておく。有用な情報だ」
「ゼノさんって、感覚による情報も受け取るようになりましたよね」
「否定できる根拠がなければ受け取る方が合理的だと判断した」
「それが変化ですよ」
街道を進んでいる中、全員が静かだった。使者との遭遇を各自が処理していた。
「魔王が動いている。使者を出してくるほどに。本格的に近づいてきてるな」
「そうだ」
「怖いか? ゼノ」
ゼノは少し考えた。
「怖いかどうかを確認すると——何かはある。使者の魔力の質が異常に濃密だった。あれと同等以上の存在がこの先にいる。その事実に対して何かが来た」
「何かって」
「処理できなかった。怖い、という感覚に近いかもしれない」
「それが怖いだよ」
「……そうかもしれない。ただ、行く理由がある。怖くても行く」
「それが度胸だよ」
「度胸と行く理由は別の話か」
「一緒だよ、お前の場合は」
夜の円卓。
ウェントス、イグニス、テラ、ルミナ。四人になっていた。
「使者に会ったんだね。見てたよ」とウェントスが話しかけてきた。
「見ていたのか」
「ゼノが処理してたから。あたしたちも一緒に感じてた」
「どう思ったんだ」
「怖かった。でもゼノが言った言葉がすごかった。行く理由があるから怖くない、って」
「怖さがあった上で言えたんですね」
「来ていたかもしれない。何かが」
「それでいいんです。怖さがある上で、それでも行くと言えた。それが今のゼノ君です」
ルミナが「ゼノくん、怖かったのに言えたのね」と言った。
「まだ確信はない。ただ、行く理由は確かにある」
「それが全部よ。理由があれば、怖くても動ける。それを今日証明したの」
イグニスが「……悪くない啖呵だった。」と言った。いつものように横を向きながら。
「褒めているのか」
「違う。評価した」
「ゼノの言い方みたいだ」とウェントスが笑った。
イグニスが「うるさい!」と言った。
四人の円卓がは賑やかだ。
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